ケース7 団地の立退き⑮
屋上から見える景色にかなめは息を呑んだ。
雨に濡れた灰色の墓標が並んでいる。
コンクリート造りの巨大な墓標の中には、死者たちの魂が今も静かに息づいているようで、かなめは時折景色が膨張するような奇妙な錯覚に襲われた。
壁面には雨染みが黒々と不気味な模様を描いている。
それが巨大な黒髪の女ように見えて、思わず背筋に冷たいものが走った。
その時足元の穴からぬぅと卜部の頭が顔を出し、思わずかなめは身体をびくりとさせる。
「何をビクついてる……」
卜部は団地を見渡しながら言った。
「いえ……あの壁の染みが大きな女の人に見えて……」
「どれだ?」
「あれです……」
そう言ってかなめが指差すと、すでに壁の染みは雨に侵食されて女の姿はみとめられなかった。
「気にするな。見えたものは逐一報告してくれ」
そう言って卜部は屋上に立てられたテレビのアンテナに目をやった。
錆だらけの骨のようなアンテナの横には比較的新しい傘状のアンテナが増設されていた。
そこから伸びる黒いケーブルや電線ががなんとも言えない不吉な印象を与える。
建物同士にも渡されたそれは団地全体に伸ばされた根のようでもあり、逃さぬように掛けられた縄のようでもあった。
「嫌な感じがする……ここに入ってから霊感が上手く働かない……この雨のせいか……はたまた別の何かか……」
そう言って卜部はどんよりと低く垂れ込めた雨雲を見上げた。
その時かなめは背後に視線を感じて向こうに見える団地に目をやった。
「あ……」
その声で卜部もかなめの視線を追う。
するとそこにはベランダに干した洗濯物を取り込む中年女の姿があった。
「あれって役所の人が言ってた立ち退きを拒んだ小林さんじゃないですか?」
卜部は屋上の端まで行って大声を出した。
「おい……!! あんた……ここに住んでるのか!?」
声に気付いた女は慌てた様子で洗濯物を取り込むと、窓の隙間に滑り込んでカーテンを閉めてしまった。
「ちっ……」
卜部は舌打ちすると部屋の位置を数え始めた。
「四階の左から三番目だ……とりあえずあそこに向かうぞ……!!」
しかし先に穴に入ろうとする卜部にかなめが叫ぶ。
「先生……!! わたしが先です……!!」
しかし卜部は少し考えてから梯子を降り始めた。
「ちょ……!! ちょっと……!!」
慌てて止めようとするかなめに卜部が言う。
「お前、一人じゃ地面に降りれんだろ……」
「あ……」
短い沈黙の後、卜部は梯子を下り、地面に飛び降りた。
「何も見るつもりはない……受け止めるからさっさと降りてこい……」
かなめは真っ赤な顔で握った拳をぷるぷるとさせていたが、やがて大きなため息をついて梯子を下っていった。
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