ケース7 団地の立退き⑩

 

「お前名前は?」

 

 雨のそぼ降る灰色の団地に卜部の声が響いた。

 

 

「なんでそんなこと答えなきゃ……ぐぅ……!!」

 

 男はそう言ったかと思うと首を押さえて苦しそうに口をパクパクと開閉する。

 

 

「さっき質問に答えると契約したばかりだろ」

 

 卜部は呆れたように言い放った。

 

「もう一度聞く。お前の名前を言え」

 

 

「お、岡村……!!」

 

 男は見えない力から開放されたようで慌ててぜぇぜぇと荒い息をした。

 

 かなめは幽霊も息をすることに驚いて口走った。

 

 

「幽霊も息ってするんですね……」

 

 ちらと卜部に目をやる。

 

「ああ。息と霊はヘブライ語では同義だ。נֶפֶשׁネフェッシュと言う」 

 

 

 卜部はかなめにそう答えながら102号室の扉を見ていた。

 

 かなめもと解ったような解らないような返事をしながら、釣られてそちらを見るとドアの上に備え付けられた古びたプラスチックカバーには確かに岡村と書かれた紙切れが挟まっていた。

 

 

 いつの時代のものかもわからない黄ばんだ古い紙切れ。

 

 かなめはそれに違和感を覚える。

 

 目の前にいる怪異の男はどう見ても三十代半ばくらいに見えるのだ。

 

 

「先生……名札の古さとこの人の見た目が合わないんじゃ……」

 

 かなめは卜部に囁いた。

 

 岡村と名乗った怪異は耳ざとくそれを聞きつけ、絶望的な表情を浮かべて抗議する。

 

 

 

「う、嘘じゃない!! 本当だ!! ずっと前に死んだんだ!! それからずっとあの部屋は空き部屋だったんだ!! 信じてくれ!!」


 卜部は目を細めて岡村を観察してから口を開く。

 

「まぁいいだろう。名前を聞いたのは呼び方が面倒だったからだ」

 

 

「それだけのために僕は首を絞められたんですか!?」

 

 岡村は信じられないと言った表情でつぶやいた。

 

 

「お前がさっさと答えないからだ。言っておくが呪は全自動だ。俺は知らん」

 

 

 またしても絶望的な表情を浮かべた岡村に卜部はお構い無しの様子で続けた。

 

 

「ここからはよ?」

 

 

 卜部は鋭い目で岡村を見据えた。

 

 空気の変化に岡村もごくりと息を呑む。

 

 

「なぜここに来た?」

 

 

「……ここしか居場所がないからだ……」

 

 

「なぜ成仏しない?」

 

 

「……出来ない……」

 

 

 

 

「いいだろう」

 

 卜部はそう言って最後の質問を繰り出す。

 

 

 

「お前達の親玉は誰だ?」

 

 その言葉で空気が一段冷えた気がした。

 

「い……言えない……それだけは言えない……」

 

 岡村はガクガクと震えだし見る見るうちに青ざめていく。

 

 

 

「祓われたいのか?」

 

 無機質な卜部の言葉に岡村は震えたまま頷いた。

 

 

「祓われたほうがマシだ……やるならやれ……」

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