ケース7 団地の立退き②


 見るからにトイレと思われる扉の前にソファを置き、男二人が座って扉を見つめるという異様な光景に、部屋にいる誰もが困惑の色を隠せない。

 

 そんな中、メガネの男が口を開いた。

 

「ええ……腹痛先生様でよろしいんでしょうか……? 私役所の後藤と申します」

 

 

 

「卜部だ……腹痛先生とやらは知らん……」

 

 

 一瞬そこにいる全員が沈黙した。

 

 まるでトイレが話しているようだとかなめは思う。しかし絶対にそれは口にしない。

 

 

 

「ええ……今日卜部先生のところに来たのはですね……他でもないお願いがありまして……」

 

 

「御託はいい。さっさと要件を言え」

 

 

 扉から聞こえる不機嫌な声に二人は顔を見合わると、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

 

「実はですね……うちの市の管轄内に、戦後の、ええ……昭和三十年代に建てられた古い団地がありまして……」

 

「老朽化が進んだこともあり、維持費が市の財政を圧迫しているためというのが本音ですが……取り壊しが決まったんです」

 

「住民の方々には立退きの費用をお支払いして全員同意の上で退去頂いたんですが……立ち退き料を受け取って、一度は出て行ったにも関わらず、戻ってきた住民の方がいて困っているんです……」

 

  

 

「それがなんでうちに相談に来るんだ? 行政命令でも法的措置でも何でもして強制的に追い出せばいいだろ」

 

 扉から声がした。

 

 やはりトイレが話しているように思えてかなめは必死に笑いを噛み殺す。

 

 

 

「吉田と申します。それがですね……ことはそう簡単ではなく……」

 

 小太りの吉田という男が重々しい口調で話し始めた。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ちょっと小林さん!! 困りますよ!? 退去料もきちんと支払ったのになんで帰ってきちゃったんですか!?」

 

 

「うるさいねぇ!! みーんな立退きなんてしてないじゃないのよ!! 私を騙そうったってそうはいきませんからね!!」

 

 

「何言ってるんですかぁ……皆様立退きされて、もう誰もここには住んでないですから!! 電気もガスも水道も止まってるんですし、危ないですからここ出ましょう!! ね?」

 

 

「フンっ!! 見え透いた嘘を……白々しい!! 見なさいよ!! 水も出るし電気も点くわよ!?」

 

 

 私は目を疑いました。たしかに止まっているはずの水道と電気が生きていたんです。

 

 

「ば……そんな馬鹿な!?」

 

 

「これで解ったでしょ? 退去料返せっていうんなら返すわよ!! 私はここを出ていかないから!!」

 

 

 そう言って小林さんは扉を閉めて鍵をかけてしまいました。

 

 私は仕方なく、その日は帰ることにしたんですが……

 

 その直後また信じられないものを見たんです……

 

 

 小林さんが住む部屋の二つ隣の部屋を横切るときのことです。

 

 誰もいないはずの部屋に明かりが点っていました。

 

 私は他にも退去を拒んでいる人がいるのではないかと不安になって呼び鈴を鳴らしました。

 

 

 びーーーーっ

 

「ごめんください!! 役所の者です!! ここはもう退去手続きが済んでるので入らないでください!!」

 

 見ると佐藤という表札が残っていたので、私は名前を呼ぶことにしました。

 

「佐藤さん!! 聞こえてますか!? 返事をしてください!! 佐藤さん!?」

 

 

「ハーイ……」

 

 部屋の奥から低い声で返事が聞こえてきました。

 

 

「佐藤さん!! もう退去料もお支払いしてるんだから!! すぐに出て行ってくださいよ!!」

 

 

「ハーイ……」

 

 またしても低い声で返事がきました。

 

 この時私はなんとなく薄気味悪くなって厭な汗をかき始めました。

 

 

「さ、佐藤さん!?」

 

 上ずった声でもう一度尋ねると、奇妙に間延びした声が延々と繰り返されました。

 

 

「ハーイ……サトウサンデス……ハーイ……サトウサンデス……ハーイ……サトウサンデス……ハーイ……」

 

 

 全身に鳥肌が立って私は立ち尽くしてしまいました。その時です。

 

 

 

「イマイキマスカラネ……?」

 

  

 

 その声と同時にドアノブがと音を立てて回りました。

 

 それを見た私は叫び声をあげて全速力でそこから逃げ去りました。

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