ケース6 田園の一軒家㉛
卜部は邪視の眼孔から何かを抜き取ると、その手をコートのポケットに突っ込んだ。
その光景を見た主は顔を顰めると吐き捨てるように言った。
「貴様の言は真だったな……興が失せた。貴様のような穢人……我の側に置く気にもならぬ。とっとと去ね」
主がそう言い終わるのとほとんど同時に空気が揺らいだ。
どこからか清浄な外の空気が流れ込んでくる気配がする。
それを合図に異形の被害者たちは歓声をあげて抱き合い出口に向かって駆け出した。
「約束はお守りしました。外の連れが結界を壊したようです。我々はこれで失礼いたします……」
卜部はそう言って頭を下げると出口に向かって振り返った。
「行こう張さん……」
泉谷は黙って頷き小川の肩を支えながら卜部の後を追った。
「待て」
不意に主の冷たい声が響き、空気が凍りついた。
「我の眷属を殺しておいて何もなく帰るつもりではあるまい?」
卜部は振り向き主の眼を見つめた。
「私は穢れていると仰ったはずでは?」
「そのとおりだ。貴様はいらん。そこの人間。お前が残れ。残って我に仕えよ」
主は舌を伸ばして泉谷を指した。
「な……!! お、俺なんてとんでもねぇ!! こんな老いぼれ何の役にも立ちゃしねぇよ……!!」
泉谷は両手を前に突き出して大慌てで拒否した。
それと同時に卜部との約束を思い出し冷や汗が吹き出す。
「我と言葉を交わしたな? 神聖な我と言葉を交わしたならば貴様は今をもって我の眷属だ」
主は意地の悪い笑みを浮かべて舌なめずりした。
「何も取って食おうというわけではない。恐れるな。光栄に思え!!」
主は地下に響き渡る声で朗々と泉谷に命じた。
その迫力に泉谷は小さな悲鳴をあげて、思わずひれ伏してしまう。
「そうだ!! それでいい……!!」
卜部は左手の拳の中で爪を肉に食い込ませながら泉谷に耳打ちした。
「俺が時間を稼ぐ。その隙に外に出てこの街からできる限り離れるんだ……いいな……?」
泉谷は涙と鼻水を垂らしながら何度もコクコクと頷いた。
卜部が立ち上がり、主を睨みながら足を一歩踏み出そうとした時だった。
「待ってください……!!」
見ると卜部よりも先に小川が主の方に駆け出して地にひれ伏していた。
「蛇神様……!! どうか私を眷属としてお仕えさせてください……!!」
「何故盲の貴様を我の眷属にせねばならんのだ?」
主は眼を細めて小川を見ながら言った。
「私は先に出世した同期を妬んでいました。この地域の巡査に任命された時も、都会の暮らしに羨望を抱いていました。その結果……」
「その結果……私は妬みと羨望に駆られて、邪視に魅入られたんです……」
「ふん!! そのような俗物取るに足らんわ!! 去ね!! 地上で惨めに這いつくばって生きるがいい!!」
主は大声で怒鳴った。
泉谷はまたしても縮みあがったが、小川は辛うじてそれに耐えて主に食い下がる。
「ですが、私の欲にまみれた眼はもうありません!! 私の欲と穢れは眼と共に死にました!!」
「お願いします!! 私に蛇神様と共にこの地をお守りする仕事をさせてください!! もう一度人々を守るチャンスを下さい!!」
「お願いします!!」
小川は地に額をこすりつけて主に叫んだ。
主は再び眼を細めて小川を観察する。
「それに、貴方様に怯えて残りの人生にしがみつくこの男の方が、今の私よりよっぽど俗物です!!」
「それとも蛇神様はご自身の言葉を曲げるような嘘つきな神様ですか……?」
小川は失った眼でしっかりと主を見据えた。
主はそれを見て口を大きく開くと大声で笑った。
「はぁっはっはっはっはっはぁああ!!」
「なるほど……!! 人間!! 我を前によく喋る!! 我とこれだけ言葉を交わしたならば、確かに貴様の方が眷属に相応しい!! 貴様の豪胆さと厚かましさに免じて貴様を眷属にしてやる!!」
「おい。そこの老いぼれ……!! この人間に感謝することだな……!!」
主はそう言ってニタリと笑った。
「お、小川……お前なんで……!?」
泉谷は腰が抜けたように這いつくばって小川の方へ近付いた。
小川は泉谷の手を取って言う。
「泉谷さん……さっき懺悔したとおりです……これは僕の欲が招いたことなんです……そのために泉谷さんや、たとえプロでも一般人の方を危険に晒すわけにはいきません……」
そう言って小川は卜部の方に顔を向けた。
そして真っ直ぐに立ち敬礼して言う。
「本官は警察官であります!! これからもこの地域の皆さまをこの場所よりお守りする所存であります!!」
卜部は小川をまっすぐ見据えた。
そして姿勢を正すと無言で右手を上げて敬礼を返した。
泉谷もなんとか立ち上がると肩を震わせて泣きながら敬礼し、言葉を絞り出す。
「小川……すまん……よろしく頼む……お前は……立派なデカだ……!!」
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