ケース6 田園の一軒家㉘
「諦めるな」
突如卜部の声が地底に響いた。
そこにいる全員の視線が卜部に注がれた。
「この暗闇に囚われていたくないのはお前たちの主も同じはずだ。後ろの連中も一緒に出られるように俺が交渉する。それに……」
そう言って卜部は小川巡査の方に目をやった。
「あんたはまだ肉体を持ってる。例え目を失っても日の下で生きることを諦めるには早いんじゃないのか?」
小川はそれを聞いて俯いた。
俯いたまま絞り出すように言葉を綴る。
「俺は……刑事になって悪い奴らから皆を守るのが夢だったんです……。泉谷さんみたいに……。でもこの目じゃもう……」
重たい沈黙を破ったのは目から耳を生やした少年だった。
「小川のお兄ちゃん……小川のお兄ちゃんは目が見えなくても意地悪な怪物から僕らを守ってくれたよ?」
少年は小川の袖を引きながら笑った。
背後の闇では犠牲者達が頷く気配がする。
「シュウくん……皆さん……」
小川は顔を上げて気配の方を向いた。
「あの紐はあんたのアイデアか……」
「はい……化け物は目を奪った後、私達を虐めるんです。だからあれと出くわさないために皆で協力して……」
小川は卜部の方を見てつぶやいた。
「小川……デカじゃなくっても、人を守る方法はきっとある。お前さん、現にもうそれを実行したじゃねぇか……!!」
それを聞いた小川は肩を震わせてむせび泣いた。
シュウと呼ばれた少年は小川の背中を優しく撫でていた。
「俺を主の所に案内しろ」
卜部の言葉に小川は頷いて言った。
「案内します。こちらです」
小川が指さした壁が溶けるようにして闇に消えた。
「張さん。何があっても俺の後ろにいろ。主の放つ気で正気を失いかねん。俺の作法を真似て気配を消しててくれ」
卜部は人差し指を立てて念を押した。
泉谷は緊張の面持ちで頷き、卜部のあとに従った。
通路を抜けるとそこに主がいた。
暗がりの奥に闇より深い漆黒の影が鎮座していた。
主は凄まじく穢れた御度を放っており、卜部の後ろに隠れていても泉谷は酷い目眩と吐き気に襲われた。
「主を見るなよ」
卜部が小声で忠告する。
「よくぞ参ったな客人。その
卜部は地に両膝を付き深々と頭を下げた。
泉谷もすぐにそれに習って跪いた。
「突然の来訪と無礼をお赦しください。荒神様の激しい御度はかくも小さき我々には、真に畏れ多く息を忘れるほどでございます。荒ぶる御度をお鎮め下さいと白す……」
それを聞いた主は大きな笑い声を上げた。
その声は大気を震わせ、岩を揺さぶり、生者の魂を震え上がらせた。
泉谷は卜部の背後でガクガクと震えながら全身に脂汗を浮き上がらせていた。
無理だ……こんなやつ……人間が太刀打ちできっこねぇ……
「人間!! 貴様は面白い!! 我を前にして言葉を発した人間など何時以来か!?」
主はそう言って暗がりから首を伸ばした。
泉谷は目を固く閉じてその姿を見ないように努めたが、努力も虚しく脳裏に姿が映し出される。
それは巨大な白蛇の身体に人の頭を持つ異形の神だった。
倭健命を思わせるような、切れ長の目と薄い唇。
青白い肌に黒々と生やした口髭。
二股に別れた長い舌で髭を整える様は形容し難い恐怖を魂に刻みつけてくる。
ぐるりと卜部と泉谷を取り囲み、舐めるように凝視する蛇神は不気味な笑い声を上げていた。
「フフフ。そうかなるほど……人間。貴様は随分と暗闇に足を突っ込んでおるな? ん? どれほどの穢を取り込めばそんなことになるのか……フフフ」
「気に入った。お前を我が眷属として仕えさせてやろう。光栄に思うがいい。面をあげよ」
蛇神はそう言って卜部に立ち上がるよう促した。
しかし卜部は頭を地に付けたまま、はっきりした口調で応える。
「真に畏れながら。私のような穢れた者が、貴方様のような高貴なお方にお仕えすることは叶いません」
それを聞いた蛇神は目を細めて卜部を睨んだ。
「高貴とな……? それは我に対する皮肉か!!」
蛇神は激しく尾を振るって周囲の岩肌を傷つけた。
その尾の威力は凄まじく、壁には抉れた跡が無数に残った。
ぜぇぜぇと苦しそうな息遣いで暗がりから出て全身を露わにした蛇神の身体は汚れ、傷つき、腐り、酷い悪臭を放っていた。
頭部は疎らに禿げ上がり、頬はこけ、病に蝕まれ、咳き込むと口から血を吐き出した。
「この地に張られた忌々しい結界で我は穢れた忌神も同然じゃ!! 高貴な弁財天様の眷属の我が見る影もないわ!!」
血と涎を撒き散らしながら蛇神は吠えた。
それでも卜部は地に伏したままはっきりと答える。
「今、地上に控えた私の連れがその結界を破壊する準備をしております。貴方様をこの地に縛るモノも、流れ込む穢も止みましょう」
「そうなればこの地を離れ清らかな貴方様に相応しい地にお移りすることも叶いましょう。どうか荒ぶる御度をお納めください」
そこまで話して卜部は顔を上げた。
蛇神は卜部の真正面に首をもたげて言った。
「それは真か?」
「はい」
「いつだ?」
「あと一刻もあれば」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます