ケース6 田園の一軒家⑲

 

 

 びっしりとお経の書かれた長い半紙で巻かれたは台から水が滴るほどに濡れていた。

 

 

 涙……

 

 

 それを見た瞬間、二人の脳裏に同じ言葉が浮かんだ。

 

 地蔵の目があると思しき場所から滲んだ墨が黒い線を描いて垂れている。

 

 どす黒い涙を流す凶悪な地蔵の口元は、半紙の上からでも分かるほどに両端が吊り上がっていた。

 

 

「嗤ってますね……」

 

 翡翠がつぶやくと同時に、かなめの記憶が蘇る。

 

 田んぼで大合唱する蛙たちの声に紛れて、闇の中に響くゲラゲラゲラという嗤い声。

 

 

 身震いをひとつしてから、かなめは意を決して地蔵に駆け寄った。

 

 かなめの歩調に合わせてぴしゃぴしゃと水溜りが音を立てる。

 

 本来ならば触れるべきではない穢れた水だが、後のことは先生がなんとかしてくれるだろう……

 

 

 服の裾を固く握り、唇を噛み締めて地蔵を見下ろしたかなめは、改めてその姿に戦慄する。

 

 

 地蔵の首が置かれた台には黒々と苔が生えていた。

 

 苔は根を伸ばし胞子を撒き散らし、中心の苔島から放射線状に触腕を伸ばしている。

 

 その姿はまるで地蔵の身体を形作らんと藻掻いているようにさえ見えた……

 

 台から垂れた無数の根は血管か、あるいは神経のように静かに振動を繰り返し寄生すべき実体を探しているようだった。

 

 

 

「気合入れろ!! 負けるな亀!!」

 

 かなめは自分の頬を両手でピシャリと叩くと、目を瞑って黒い涙を流す地蔵の頭部を手に取った。

 

 ずっしりと重く、生暖かい地蔵の頭を抱きかかえると、かなめは恐怖と嫌悪で顔を歪めながら翡翠の方に振り返った。

 

 

「行きましょう……!! 先生たちが待ってます!!」

 

「はい……急いだほうが良さそうです……」

 

 

 恐怖で引きつった翡翠がかなめの背後を指さした。

 

 振り返ると苔の身体が地蔵の首を取り返さんともごもごと動き始めていた。

 

 

「いやぁぁぁあああああ……!!」

 

 かなめの悲鳴を合図に二人はもと来た道へ全速力で駆け出し、蔵の出口へと向かうのだった。

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 卜部は導かれるように台所へと向かった。

 

 泉谷はそんな卜部に黙って付いていく。

 

 台所の床下収納を開けて中を調べる卜部の背中から泉谷は声をかけた。

 

 

「おい……卜部。何探してんだ? 腹減ったのか?」

 

 

「どこかに入り口があるはずだ。邪視の親玉の場所に通じる入り口がな……」

 

 

「なっ……!? あいつが親玉じゃないのかよ!?」

 

 

「言っただろ? もっとヤバいのがいると……ここじゃないな……」

 

 

 そう言って立ち上がった卜部は部屋を見渡して目を細めた。

 

 泉谷もそれにならって目を細めて部屋を観察する。

 

 

「なぁ卜部……? この糸は邪視が張ったのか?」

 

 

「そんな訳無いだろ。神隠しに遭った連中が張ったんだ」

 

 

「何のために?」

 

 

「邪視がどこにいるか知るためだ……」

 

 

「てことは皆どっかに隠れてるのか!?」

 

 

 卜部は泉谷に一瞬だけちらりと目をやると低い声で答えた。

 

 

 

 

「いや……目が見えないんだ」

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