ケース6 田園の一軒家⑱
厳かに、嫋やかに、禍々しく。
ゆっくりとお歯黒の女は振り返る。
その顔がちょうどかなめの顔を捉えた瞬間に、女はビデオを早送りにしたような動きで口を動かした。
「きゅるるっ……くちゃくちゃクチャっ……きゅる……」
かなめは小さく悲鳴をあげて一歩後ろに退いた。それと同時に電球がほんの一瞬だけチカチカと明滅した。
気が付くと女は再びこちらに背をむけていた。
異様な違和感がかなめを襲う。
女はそんなことはお構いなしに、再びゆっくりとこちらを振り返りお歯黒を見せつけて嗤った。
「キュルルるるる……た……くちゃくちゃくちゅ……きゅる……い」
判別不能の早送りのような動きと言葉がかなめ目から視神経へ、耳小骨から蝸牛へと侵食し、恐怖は体中の神経と骨とを蝕んでいく。
「ひぃ……」
かなめは小さな悲鳴を上げて、一歩後ろに退いた。
チカチカ……
電球が明滅する。
かなめは息を呑んだ。
繰り返される明滅の度に女が近付いてきている……
逃げ出そうと思ったが、かなめの足は地面に縫い付けられたように動かない。
それどころか女から目を逸らすことも出来なかった。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい……!!
かなめの脳内で激しく警鐘が鳴り響く。
あの女に捕まる前に何とかしてこの場を離れなければ……!!
しかし女はゆっくり振り返っては意味不明の言葉を発して近付いてくる。
「きゅる……な……た……くちゅくちゅくちゅ……しい」
近付くにつれて女の言葉が鮮明になっていることにかなめは気がついた。
しかし無情にも電球は明滅を繰り返し女との距離は縮まっていく。
「あなたきゅるきゅるくるるうのくちゅくちゅからだがちゅる欲しい……!!」
とうとう目の前に迫ったお歯黒の女はかなめの頬に自身の頬をぴたりと付けて耳元で囁いた。
「分かるわ……くちゅ……」
女はかなめの耳を舐めながらつぶやいた。
恐怖と嫌悪感で酷い吐き気に襲われる。かなめは必死でそれを押さえつけながら目を瞑って耐えた。
「あなた……想い人がいるのね……くちゃくちゅ………」
ねっとりと纏わりつくような猫なで声が身体の芯から寒気を呼び起こす。
「私にあなたの身体をくれれば……その人と添い遂げられるわ……ぐちゅ……」
「あなたの身体が欲しい……!! 欲しい欲しい欲しい欲しい……!! あの人の子が欲しい!! 子宮が欲しい!!」
女は突如狂ったように耳元で喚きちらした。その狂気がたまらなく恐ろしくてかなめは思わず涙を流した。
「ね……? ちょうだい?」
女の手がかなめの下腹部に向かってゆっくりと伸びていくのが見えた。
「い、嫌!! 触らないで!!」
かなめは必死で叫んだが身体にはいつの間にか血で真っ赤に染まった白無垢が着せられていた。
着物はぎゅうぎゅうとかなめの身体を締め上げて自由を奪っていく。
「ふふふふふふふふふふ……」
女の目は狂気で吊り上がり、嗤う口元には真っ黒な歯が電球の明かりを受けて光っていた。
「た、助けて!! 先生……!! 助けて……!!」
パーン……!!
鋭い痛みが頬に走った。
慌てて周囲を見渡すと、そこにはお歯黒の女の姿はなく、かわりに半泣きの翡翠がかなめの襟を掴んでこちらを見ているのが見えた。
「ひ……翡翠さん……?」
それを聞いた翡翠は泣きながらかなめに抱きついた。
「よかった……正気に戻って……」
「一体……わたし……? お歯黒の女は……?」
翡翠は震えながら衣紋掛けを指さした。
そこにはどす黒い血で汚れた白無垢が掛かっていた。
「かなめさんは突然上の空になって、あれを着なくちゃってうわ言を言い出したんです。いくら止めてもまたアレに向かって行こうとするので……」
そこまで話すと翡翠は申し訳無さそうに続きを口にした。
「申し訳ありません……一発本気で叩きました」
それを聞いた瞬間、鋭い痛みがかなめの左頬を襲った。
「あはは……痛い。でもおかげで助かりました……!!」
かなめは左目に涙を浮かべながら情けない笑顔を浮かべて礼を言うと思い出したように立ち上がった。
「それより!! あの白無垢の奥に地蔵があります……!!
「はい……急ぎましょう!!」
二人は白無垢の脇をすり抜け、とうとう件の地蔵の前に立つのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます