ケース6 田園の一軒家⑰
ひたひたと薄暗い蔵の中に
やがて辺りには土臭い苔の臭いが充満し始めた。
時折あきらかに鼠のそれとは似つかわしくない影が紛れていたが、二人は黙って気付かない振りを決め込んでいた。
先程から異様に湿度が高い。そのせいかどれだけ空気を吸い込んでも息苦しさが取れなかった。
明かりの届かない場所に控える窒息しそうなほど濃厚な闇は、まるで二人を帰すまいと取り囲む狭い牢のように閉塞感を加速させる。
閉所がもたらす精神への影響は計り知れなかった。それは二人の心をみるみるうちに蝕んで、やがて冷静さを奪い取っていく……
しとしと……
もうこんな所はたくさん……
しとしとしと……
翡翠の胸の中で恐怖と焦燥感は小さな苛立ちに姿を変える。
しとしとしとしと……
なんで関係のない私がこんなことまで……
しとしとしとしとしと……
ふと足元に目をやると巨大なカマドウマと目があった。
禍々しい縞模様がくっきりと確認できる気持ちの悪い太い胴の先端には、上を向いて弧を描く鋭い産卵管が目についた。
「ひきぃ!! む、虫ぃい!!」
翡翠は思わず叫び声をあげた。
「どうしました!?」
かなめの声がした。
「だから……!! 気持ちの悪い虫がいるの!! もうこんな所うんざりよ!!」
翡翠は叫びながらかなめにきつい視線を向けた。
「どれですか?」
きょろきょろと足元を確認するかなめを見て翡翠は言葉にならない悲鳴をあげた。
かなめの顔を無数のカマドウマが覆っていた。
顔だけではない。身体も腕も足も……全身が気持ちの悪い虫でびっしりと覆われている。
かなめと繋いでいる手に止まった一匹と再び目があった。
大きな漆黒の目は電球の明かりを反射して邪悪そうに光っている。
「ぎゃああああああああああああ!!」
それが自分の顔めがけて飛んできた瞬間に、翡翠はかなめを押しのけて叫び声を上げながら闇の中に逃げ去った。
「ま、待ってください!! 翡翠さん!! 落ち着いて!!」
尻もちを付いたかなめは闇に向かって大声で叫んだが返事は無かった。
砂利砂利と砂を蹴る足音が遠ざかっていく。
その時だった。
する……
する……
するるる……
かなめのすぐ背後で衣擦れの音がした。
一気に鼓動が早まり、背中や脇に冷や汗が滲むのがわかった。
ジジジジジッ……くうッ……
鼠の悲鳴が聞こえた。
恐る恐る振り返るとそこには衣紋掛けに袖を通した緋色の着物が置かれていた。
まるでスポットライトを浴びるかのように電球の下で雅に広がるそれは異様な圧を放っている。
ぴと……ぴと……
着物のすぐ後ろから水の音がした。
かなめが着物を避けるように覗き込むとそこには板の上に置かれた人の頭ほどの大きさの何かがあった。
びっしりと経文が書かれた半紙で包まれているそれの、ちょうど目にあたる部分を起点に墨が滲んで、黒い涙のような染みが垂れていた。
「あった……」
かなめはそう独りごちて地蔵の方へと駆け出した。
カラカラカラ……
「いっ……」
かなめの行く手を阻むよう独りでに衣紋掛けが動いた。
そしてかなめは気づいてしまった。
薄暗い蔵の中では近付くまで解らなかった。
しかし電球の下、近くで見るそれは、赤い着物ではなく……
血に染まった白無垢だった。
それに気が付くと同時に赤い白無垢の中身が盛り上がっていく。
気が付くとそこには美しい花嫁の姿があった。
恐怖で震えながら目を離せないでいると、女がゆっくりと振り返る。その口元には一筋の血が流れていた。
女はかなめと目が合うとにぃ……と笑みを浮かべ、お歯黒で染まった真っ黒な歯をかなめに見せつけるのだった。
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