ケース6 田園の一軒家⑬

 

 す……す……す…… 

 

 

 暗がりで衣擦れの音がした。

 

 二人は同時に闇に目を凝らすがそこにはじっとりとした闇がへばり付くばかりだった。

 

「音……しましたよね……?」

 

 かなめは小声で翡翠に尋ねた。

 

「はい……着物を引きずる衣擦れのような音が……」

 

 

 その声を最後に蔵の中は静寂に満たされる。

 

 しかしその無音がかえって気持ち悪かった。

 

 音のない世界はやがてありもしない耳鳴りを産み、やがてそれは幻聴へと姿を変える。

 

 一定のヘルツで鳴動を続ける電球のノイズは怨嗟の呻きに変わり、暗がりの奥から僧たちの読経が怨怨おんおんと響き始めた。

 

 

「とにかく……早く地蔵の首を探してここを出ましょう……」

 

 翡翠の声で我に返ったかなめは頷いて足を踏み出した。

 

 

 歩きながら並べられた曰く付きの物品達にちらりと目をやると、古びた黒電話が目についた。

 

 

 じりりりりりりりりん

 

 じりりりりいりりりん

 

 

 突如けたたましい音を立てて電話の呼び鈴が鳴った。

 

 恐怖に固まって電話を凝視しているとガシャンと音がして呼び鈴は切れた。

 

 

「翡翠さん……」

 

 そう言って振り返ると焦点の合わない目をした翡翠が吸い寄せられるようにして電話に手を伸ばしていた。

 

「だめっ……!!」

 

 かなめは慌てて翡翠にしがみついた。

 

 翡翠はなおも焦点の合わぬ目で電話をぼぉと見つめながらぶつぶつと何かを繰り返している。

 

 

「私は価値がない。私は価値がない。行かないと。逝かないと。私は価値がない。私は価値がない。逝かないと。逝かないと。逝かないと!!」

 

 

「翡翠さん!! 駄目です!! そのおっぱいが失われるのは人類の損失なんでしょ!?」

 

 

 

「水鏡先生はどうするんですか!!」

 

 

 

 かなめが叫ぶと翡翠は我に返って震えだした。

 

「わ……私……今何を……!?」

 

 奥歯をがちがち鳴らしながらぽろぽろと涙を流す翡翠の背中をかなめは擦った。

 

 

「とにかく行きましょう……ここに居ないほうがいいです……」

 

 翡翠はコクコクと頷いた。

 

 かなめは震える翡翠を支えながらさらに奥へと進んでいった。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「張さんこれを持っておいてくれ」

 

 卜部は目玉の絵が書かれた一枚の札を泉谷に手渡した。

 

「邪視除けってやつか……?」

 

「ああ。昨夜書いた。無いよりはマシだろう……」

 

 

「ありがたいねぇ……勇気が湧いてくるよ」

 

 泉谷はそう言うと札を大事そうにスーツの内ポケットにしまい、服の上からぽんぽんと二度ほど叩いた。

 

 

「それと先に言っておくが……」

 

 卜部がおもむろに口にする。

 

 

「邪視よりヤバいのが中にいる……そいつに遭っても叫んだりパニックは起こさないでくれ」

 

 そう言って卜部は泉谷の肩を叩くと、腰ほどの高さの門を押し開いて庭の中に入っていった。

 

 

 泉谷は口を大きく開けたまま顔を硬直させて卜部の後ろ姿を眺めていたが、我に返り慌てて卜部の後を追った。

 

 

「お、おい……!! 何だよ!? もっとヤバい奴って!? おい!! 卜部!!」

 

 

 どんよりとした曇り空からは、今にも大粒の雨が降ってきそうな気配だった。

 

 昼にも関わらず家の中は薄暗い。

 

 不穏な薄闇が充満する家の中に、とうとう二人は足を踏み入れるのだった。

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