ケース6 田園の一軒家⑥

 

 時計の秒針が嫌な音を立てる。

 

 先程から気になって何度も時計に目をやるが時は遅々として一向に進む気配がない。

 

 先生のところに行こうか……

 

 そうも思ったが忠告だけで卜部がそれ以上のことを言わなかった理由を考えればそれで事足りると考えてのことだろう。

 

 

 かなめは寝返りを打って目を閉じた。

 

 

 チチチチチチチチチチ

 

 耳障りな秒針が神経を逆撫でる。

 

 tititititititititititititititititit

 

 意識しないでおこうとすると余計に意識がそちらに向いてしまう。

 

 

 かなめはガバっと上半身を起き上がらせた。

 

 

 途端に冷や汗が吹き出し、心臓がどくん。どくんと鼓動を強める。

 

 

 眼の前にはこちらに背を向けて椅子に座る女の姿があった。

 

 

 白いブラウスに紺色のスカートを履き鏡を見つめる女の姿。

 

 

 かなめは目を逸らすことが出来ないでいた。

 

 

 女は小首を傾げて髪を梳かしている。

 

 

 

 するり……するり……

 

 

 

 長く美しい黒髪につげの櫛を通す女。

 

 

 かなめはごくりと唾を飲んだ。

 

 その音が静かな部屋に一際大きく響いた気がした。

 

 

 こと……

 

 女は鏡の前に櫛を置き、ゆっくり、ゆっくりと首をこちらに向けて回し始めた。

 

 

 

 目を見ちゃ駄目!! 目を見ちゃ駄目!!

 

 

 かなめは心のなかで叫んだが身体は一切言うことを聞かない。

 

 

 瞬きすることも出来ずにこちらに振り返る女の動きを凝視する。

 

 

 女の口元はうっすらと嗤っていた。

 

 

 かなめは必死で目を瞑ろうと試みたがどうしてもそれは叶わない。

 

 

 やがて顔の全容がはっきりと視界に入った時、かなめは戦慄した。

 

 女の口はこぽこぽと音を立てて何かを発しようとしていた。

 

 

 

「きゃああああああああああああああああ!!」

 

 

 

 かなめは自分の叫び声で目が覚めた。

 

 全身にびっしょりと汗をかき、心臓は飛び出しそうなほど激しく鼓動し全身に血液を送っている。

 

 

 慌てて部屋を見渡したがそこに女の姿はなく、耳障りな時計も存在しなかった。

 

 枕元に置かれた赤い文字盤のデジタル時計は午前三時を告げている。

 

 

 かなめはベッドの脇に脱ぎ捨てられたスリッパに足を通すと直ぐ様部屋を出た。

 

 

 コンコン……

 

 

 ノックをするとすぐに扉が開いて仏頂面の卜部が顔を出す。

 

 

 卜部はうつむくかなめの足先から頭まで視線を往復させると小さく入れとつぶやいてかなめを招き入れた。

 

 どうやら卜部は起きていたらしく古びた本が数冊机に伏せられていた。

 

 卜部は部屋に備え付けられたポットで茶を淹れるとそれをぶっきらぼうに突き出し言う。

 

 

「ん……」

 

「ありがとうございます……」

 

 

 かなめはそれを両手で受け取ると小さくすすった。

 

 

「で? 何を見た?」

 

 卜部は自分の分の茶を注ぎながら問う。

 

 

「怖い夢を見ました……」

 

 

「どんな夢だ?」

 

 

「邪視の顔を見ちゃいました……」

 

 

 卜部は目を細めてかなめを見つめる。その視線が居た堪れなくかなめは再び顔を伏せる。

 

 

 

「お前からは何も邪気を感じない」

 

 

「え……!?」

 

 かなめは驚いて顔を上げた。

 

「それってどういう……?」

 

 

「見た限り邪視の呪いは受けていない」

 

 

「そんなはずありません……!! わたしこの目ではっきり……」

 

 そこまで言ってかなめはふと気がついた。

 

 

 女の顔が思い出せないのだ。

 

 

 あれほどはっきりと、鮮明に目に焼き付いたはずの恐怖が、記憶の中から霞のように消えてしまっていた。

 

 

「どうして……?」

 

 

 卜部はかなめをじっと見据えていたが、やがて小さく頭を振った。

 

「何にせよ邪視でなくてよかった」

 

 卜部はそう言うと伏せられた本の一冊を手にとって視線をそちらに移した。

 

 

「先生……邪魔しないのでここにいてもいいですか……?」

 

 かなめは恐る恐る小声で言ってみた。

 

 

「好きにしろ。ベッドが空いてる」

 

 卜部はそう言って手の甲で猫を追い払うようにシッシと合図した。

 

 

 かなめは卜部の方に頭を向けて布団に潜り込むとオレンジの薄明かりに照らされた卜部の横顔を眺めた。

 

 やがて恐怖が薄らぎ、安堵と疲れが押し寄せると、かなめの意識は深い泥の底へと沈んでいくのだった。

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