ケース6 田園の一軒家⑤
「いいか? 絶対に顔を見るんじゃないぞ? まあ大丈夫とは思うが……」
部屋に戻る間際、卜部はもう一度念を押した。
卜部の残した不吉な忠告のせいか、慣れないビジネスホテルのせいか、嫌に神経が逆だって落ち着かない。
そんな中、かなめはシャワーを浴びるのを躊躇っていた。
無防備な背中を得たいの知れない何かに晒すようで恐ろしい。
しかしおそらく、明日も卜部とあの狭いセダンで移動することになる。
しかも隣合わせだ。
そう考えるとシャワーを浴びないわけにもいかず、かなめは覚悟を決めて浴室へと続くプラスチック製の扉を開いた。
バスタブに向かう途中、備え付けられた鏡に映る自分の姿をちらりと確認する。
何も異変が無いことに安堵して次なる難関、バスタブにかけられたカーテンに手をかけた。
シャッ……
勢いよくカーテンを開くと何の変哲もないバスタブが待ち受けていた。
やや経年劣化は感じるものの、不潔ということはない。
建設当時は純白だったであろう淡く色褪せたバスタブ。
蛇口をひねるとたっぷりとお湯が噴き出し浴室を湯気が覆った。
過敏になっているためか先程から妙に鏡が気になってしまう。
かなめは湯気で曇った鏡にバスタオルをかけようと正面に立った。
ぼやけた鏡の向こう側を見ないようにかなめは急いで鏡をタオルで覆い、服を脱いで湯船に駆け込んだ。
湯に浸かると体の緊張がほぐれたせいか疲れがどっと吹き出してくる。
ぼんやりと昼間あった出来事を思い返していると奇妙な音が聞こえてきた。
ダアアアアアアアア……
勢いよく流れるお湯の音に混じって意味のある音が聞こえる気がする……
ダアアアアアアアア……
それを聞くべきか聞かぬべきかに関わらず、かなめの神経は音の正体にピントを合わせようと動き始める。
駄阿嗚れ呼嗚れ呼嗚呼れ嗚……
声とも物音ともつかないソレはどうやらカーテンの向こうから聞こえてきているようだった。
まるで時計のアラームのように規則的に機械的に響くノイズのような音。
ダアアアアアアアア……
駄陀田那田唾田打蛇……
唖々猗嗚呼吁亜嗚呼……
れれれれれれれれれ……?
「だ・あ・れ・?」
かなめは声に出してつぶやいた後に意味に気付いて鳥肌が立った。
視線を感じてカーテンの方に目をやると黒い影が佇んでいるのがわかった。
長く美しい黒髪に真っ白な肌。
カーテンの向こうで見えないはずなのに、鮮明に浮かび上がる姿。
その顔には目が付いている。
まだ見ぬ悍ましい目が付いている。
目のある場所には顕になった傷口が痛々しく脈打っている。
そんな映像が脳裏に浮かんでかなめの心臓は悲鳴を上げていた。
追い打ちをかけるように影はゆっくりと手を上げて、カーテンの方にその手を伸ばしてきた。
かなめは咄嗟に手を伸ばし蛇口を捻った。
キュッ……ごつん。
湯の止まる衝撃が手に伝わる。
水の音が消えるの同時に不気味な声も消えていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
かなめは荒く肩で息をしながら湯船の中にへたりこんだ。
心臓の高鳴りがおさまるまでかなめは湯の中で震える膝を抱えていた。
やがて少し落ち着きを取り戻し、恐る恐るカーテンを開くと、鏡にかけられたバスタオルは床に落ちてずぶ濡れになっていた……
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