第4話

奨里の彼女と自称する女性は思ったよりも素直に作業をしてくれていた。おかげで雫の作業も捗る。風船を膨らませてもらっている間に料理を綺麗に机に並べて、部屋を飾っていく。一人の時よりもずっとスピード感を持って進めていけた。


「ねえ、さすがに風船こんなに膨らませたら疲れるんだけど」


女性は今度は風船を膨らませすぎたせいで顔を赤くしながら、風船の口を縛っていた。


「ええ、まさかわたしも一人で50個近く膨らませてくれるとは思わなかったので、驚いてます。正直こんなに膨らまされても飾る場所がなくて困るんですけど」


「なら途中で止めなさいよ。無駄に疲れただけじゃないのよ……」


10個ほど用意できたら充分だったのだけど、次々膨らんでいく風船を見ているのが楽しかったから膨らませ続けたのだった。


「まあ部屋に適当に飾っていって余ったものは適当に床に置いておきましょう」


「足の踏み場が無くなりそうね……」


当初壁に飾る予定だった風船はすぐに飾り終えることができた。一人暮らし用のアパートだから、余った40個近い風船が床を埋めている。


この光景も一目でビックリできるから、サプライズの一端を担ってくれるだろう。カラフルな風船がたくさん置かれている様子は、子どものときに遊んだボールプールみたいで楽しそうだ。


少しハプニングもあったけど、これで無事にサプライズパーティーの準備は完了した。あとは舞衣が帰ってくるのを待つだけだ。


時間に余裕ができたので、雫は女性に尋ねた。


「ところで、あなたは奨里さんの彼女を自称していましたけど、奨里さんの彼女は舞衣さんだったんじゃないんですか?」


「はぁ? 何言ってるのよ。元々わたしが奨里とは付き合っていたのよ。それなのにあの女が途中から付き合い出したのよ!」


初めて会った時に抱いたほんの少しの既視感の正体が今更合致した。


「もしかして、奨里さんがキスをしていた写真に写っていた相手があなただったってことですか?」


真正面からしっかりと顔を見ると、先ほど消した写真の女性にそっくりではないか。


「ええ、そうよ。ていうかなんであんたあの写真のこと知ってるのよ? 今日の昼間奨里が知らない女に脅されたって相談してきて、問い詰めたら浮気してたことがわかったからここに来たのだけど、その脅した女が奨里に見せるより先にあなたに写真見せたわけ?」


「知らない女が誰のことを指すのか分かりかねますのでなんとも言えませんが、そもそも写真を撮って奨里さんに見せたのがわたしなので、当然知っているとしか言いようがありませんね」


「はぁ? なんであんた脅すような真似をしたのよ?」


「この部屋の鍵が欲しかったからですけど」


雫が首を傾げた。目の前の女性がほんの少し声を震えさせながら尋ねてくる。


「部屋の鍵が欲しかったって、この部屋の鍵は奨里の浮気相手……、あなたの親友の舞衣に直接借りたんじゃないの……?」


「まさか。直接借りたらサプライズにならないじゃないですか。驚きが減ってしまいます。それにわたし、舞衣さんとほとんど喋ったことがないから直接部屋の鍵を借りるなんて恐れ多いことできませんよ」


和やかな笑みを浮かべる雫とは対照的に、女性は絶句していた。空気をいっぱい飲み込むみたいにして、無理やり唾を飲み込んでから、女性は声を発する。


「あなたたち親友なんでしょ?」


「ええ、親友です!」


雫が目を輝かせながら明るい笑顔で答えた。


「だって舞衣さんはこのボールペンをわたしの誕生日にくれたのですから!」


雫がカバンの中からソッと丁寧に両手でボールペンを取り出した。雫の手の中に抱えられているボールペンに女性の視線は動いていく。


「それ、100均で10本くらい1セットになって売っているボールペンだと思うんだけど、その中の1本をもらったってこと?」


「ええ、そうですよ。ていうか、あなた人のくれたプレゼントの値段を邪推するのは如何なものかと。大切なのは値段ではなく気持ちだと思いますよ?」


「そうね、そう。その通りだわ。大事なのは気持ちよ……。でも気持ちって……」


女性が小さな声で独り言を呟いてから、雫に問いかける。


「ねえ、このボールペンをもらった時のこと、教えてもらっても良いかしら?」


女性に尋ねられて、雫はパッと笑みを浮かべた。


「去年のわたしの誕生日に、舞衣さんがくれたんです! 舞衣さんは初めて会った日にいきなりプレゼントをくれたんですよ! とても優しい人です!」


「初めて会った……」


女性の困惑なんて意に介さずに雫は続けていく。


「舞衣さんは論文を書くために学生にアンケートを配っていました。テーマはなんでしたっけ、舞衣さんに夢中ですっかり忘れちゃいましたけど、そんなことはどうでも良いですよね」


雫がクスクスと笑った。


「アンケートに答えないといけないのに、そのときわたしはペンも何も持ってなかったんですよ。だから、そのことを舞衣さんに伝えたら、舞衣さんこのボールペンをくれたんです。『アンケートに答え終わったらそのまま持って帰ってもらって大丈夫ですので』って言って。素敵なプレゼントでした。嬉しかったので、ずっと大切に取ってるんですよ!」


数十秒ほど不自然な間が空いてから、女性は恐る恐る雫に尋ねた。


「その後に、その、あいつ……。いえ、舞衣、さんとはどこかに一緒に遊びにいったりはしたのかしら?」


「ないですね」


「一緒に講義を受けたり、ご飯を食べたりは?」


「ないですね」


「……喋ったことは?」


「ないですね」


雫は軽く微笑んだまま表情も変えず、淡々と答えた。女性は唖然としたまま何も言わなかった。


2人とも黙ってしまったから、そのままカチカチと時計の秒針の音だけが部屋に響いている状態が続く。しばらく経ってから聞こえた音は、玄関ドアが開く音だった。

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