第1話 見習いメイドと謎の女性
▪️エリス
「お前はクビだ」
「え?」
突如、執事らしき男から投げられた言葉にエリスは身体を強張らせた。
「あの……もしかして、わたしが、ですか?」
「この状況でお前以外に誰がいる! 一日に何十枚も皿を割り、掃除も出来なければ飯も作れない! メイドとしての仕事なんか何一つ出来やしないじゃないか!」
「あはは、はは……は」
「とっとと出て行け!」
「ひうッ!?」
まるで羽虫をあしらう様に屋敷から追い出される。
街を転々としてやっと仕事を見つけたばかりだった。なのに現実は残酷であり、たった半日程度で見限られた自分に対して嫌気が差した。
「あうう、これからどうすれば……」
今月に入って五度目の失業だ。流石のエリスも、追い出されたばかりの屋敷の前でがっくりと肩を落として項垂れるしかなかった。
(またクビになっちゃった……魔法だけじゃなくて家事も向いてないのかな、わたし)
十歳で孤児院を出てからは天涯孤独、日銭を稼ぐ日々はもう七年になる。
魔法学院に通う為に学費を稼ぐつもりが、気が付けば毎日の生活にさえ苦しむほどの貧困に苦しんでいた。
本来であればある程度の魔法の素養があれば学費は免除されるのだが、生憎とエリスの魔法のセンスは地を這うレベルであった。
加えて生まれつきの要領の悪さと手先の不器用さも相まって、生きていくだけで精一杯という状況である。
「稼がなきゃ死んじゃうけど……お腹空いたよう」
せめて屋敷の賄いだけでも食べておけば良かったーーーーと、無責任に鳴り響く腹の音に思わず苦笑した。
「悪い方に考えちゃダメだよね。食べたらまた頑張ろう。うん、それがいいそうしよう!」
とりあえずパンでも買おうと、エリスはなけなしの銅貨を握りしめ奮起した。
◆
クビになった奉公先から徒歩で二十分ほど歩いた。
大陸の中枢に存在する街ベルウォルト。王都から近い事もあり、数多くの貴族達が好んで住んでいた。
人々の往来も多く、狭い範囲ですら宿屋や食事処で溢れており、通常であれば働き先も豊富なのだが、エリスに務まりそうなものは限られるだろう。
(そもそも、メイドも向いてないんだよね)
孤児院では歳上の義姉がメイドとして奉公に出ており、たまの休暇に帰ってきた際には色々と作法を教わっていた。
しかし義姉はエリスを溺愛していたせいか、何をやっても「エリスちゃんは上手ね、きっと素敵なメイドさんになれるわ」と褒めちぎっていた。
義姉にしてみればおままごとの延長線上だったのだろうが、当時のエリスはそれを間に受け、メイドになろうと決意したのだ。
現に今では香りのない薄い紅茶を淹れ、料理を運べば皿を割り、残されたのは唯一の愛嬌だけという。
「ええと、このパンをひとつ下さいな」
「あいよ! おや、お嬢ちゃんメイドさんかい?」
露店の店主に問い掛けられ、エリスはオロオロと目を泳がせた。
「ま、まあ……そんな所ですね」
「屋敷にパンを買っていくんなら一つじゃ足りないだろう? ちょうど焼き立てがあるんだ、沢山買っていってくれよ」
「焼き立て!?」
裏の釜から香ばしい匂いが立ち込める。
「あ、でも……やっぱり一つで大丈夫です。実はわたし、たった今メイドをクビになりまして」
「……そ、そりゃ災難だったな。なら……アチチ、そんな君にウチの自慢のパンをプレゼントしようじゃないか」
店主は紙に三つほどパンを包むとエリスに手渡した。
「こんなにお金はーーーー」
「プレゼントと言っただろう? もし君がまたメイドとして雇ってもらえたら、貴族様にウチのパンを自慢しておくれ」
「!? じゃあ、お言葉に甘えて……」
ぐうううう。
紙袋からフワリと上るパンの香りに、返事に合わせて腹の虫が鳴った。
「がはは、可愛い嬢ちゃんだ。気に入ったよもっと持っていきな。嬢ちゃんみたいな子に食べてもらえたらウチのパンも喜ぶよ」
「ソーセージパンにマフィンまで!?」
「本当ならウチで雇ってやりたいところなんだが……ここらは場所代が高くてね」
これだけ人の往来があるのだ、店を出したい人間はごまんと居る。客商売をするのであれば、高い場所代を支払うだけのメリットは多い。
「いえいえ! わたしなんか雇ったらパンがコゲコゲになっちゃいますよ」
「がはは、そりゃ勘弁だな」
(気を遣って言ったんじゃなくて本当にコゲコゲにしちゃう)
エリスは他愛もない会話で元気になったらしく、紙袋に大事に抱えて店主に頭を下げた。
「いつかきっと、素敵なメイドさんになれたらまた来ますね。貴族様に毎日ここのパンを食べてもらいます!」
「ああ、待ってるよ」
「ーーーーもし」
「え?」
突然、隣で女性の声がした。
(うわあ……綺麗な人だなあ)
クラシックなメイド服を着た女性だった。
蒼い瞳にミディアムの白髪、そして透き通る肌。まるで氷から切り出した様な美しさを有している。
「……なんだ、アンタかい」
「良い香りに誘われまして。我が主は本日の朝食にパンを所望しておりますので」
女性の視線は焼き立てのパンに結ばれた。
「残念だが、このパンは全部嬢ちゃんのもんだ」
「へ!?」
「ほらほら、持っていきな」
「ちょっ……え? え!?」
追加で二つの紙袋を押し付けられ、エリスは慌てふためいた。
「ご覧の通り売り切れだよ。とっとと向こうに行ってくれ! 店じまいの邪魔だ」
店主は女性に対して悪態付くと、背を向けて店を畳む準備に取り掛かった。
「……えっと」
ただならぬ雰囲気に冷や汗をかいたエリスは、店じまいをする店主に深々と頭を下げ、そそくさとその場から立ち去った。
◆
「はあ……何だったんだろう、さっきの」
少し離れた場所にある公園のベンチに座り、エリスは焼きたてのパンを頬張った。
外はカリッと芳ばしく、小麦とバターの香りが口いっぱいに広がり、数日のモヤモヤや疲れが吹き飛んだ気がした。
「んふ〜……ふふふっ♡」
また頑張ろう。そう思わせてくれる味だった。
「もし」
「ん……んぐごッ!?」
「喉に詰まってますね。ミルクありますよ」
「ぐ、ぐだざい!」
ミルクの入った小瓶を受け取ると、エリスはその中身を一気に飲み下した。
「はあ……はあ、し、死ぬかと思いました」
「申し訳ありません。驚かせるつもりは無かったのですが」
「あなたは……さっきの」
見れば先程パン屋で会った女性だった。
「もしよろしければ、そのパンをいくつか売っていただけたないでしょうか?」
「へ? このパンですか?」
「どの店も、わたくしが顔を出すとパンを切らしてしまうらしく」
「…………」
「それで、銀貨五枚でどうでしょう?」
「ぎ、銀貨五枚ぃいい!?」
住み込みメイドの一般的な月の給金が銀貨八枚ほどだ。それを考えるとパンに銀貨五枚は狂っているとしか思えない。
しかし女性は相変わらずの表情のまま。とても冗談を言っている風には見えなかった。
「ええと……」
戸惑ったエリスだが、二分ほど視線を泳がせた末に出した答えは「銀貨はいりませんのでお譲りします」だった。
「よろしいので?」
「はい」
「……大変失礼ですが、生活に困っている様子とお見受けします。ここは銀貨を受け取っておくのが貴女ご自身の為でもあると思いますが」
「生活に困っているのは確かですけど、それは自分の所為なので……」
「そうですか」
エリスは半分の紙袋を渡した。
「美味しいですよ。あなたのご主人さまにも食べてもらって下さい」
「…………では」
女性は踵を返すと、前を向いたまま「では参りましょうか」と溢す。
「へ?」
「せめて屋敷でお礼をさせて下さいませ」
「いやいや、そんなのーーーー」
「このままでは我が主人の品位に関わります故」
「うぐ……」
「では改めて、参りましょうか」
こうしてエリスは、謎のメイドに誘われるまま屋敷へと向かう事となった。
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