9. 十二月のたこ焼き (3)

「なんだそれ」

 記憶にない。

「覚えてへん?ほら、図書館の前で、ちょっと年上?の男の腕、掴んで……」

 慶はズキ、と胸が痛んだ。

「あんまり真剣なんで、遠くからでもなにかトラブルかと思たわ。殴るとか……。慶はガタイいいからさ。でも慶が、「先生」って言ってたわ。結構大声で。近くによったらトラブルじゃなくて、“先生“の方が、慶を振り払いたそうやったから、意外やったけどな」

「ああ」

 慶は顔を手で覆った。絶望的な声が漏れる。

「え?なんなん?慶、マジで大丈夫?」

「……オレ、そんなめちゃくちゃだった?真剣な顔してた?」

「え……うん」

「なに、その妙な間は……」

「いやあ、……真剣というのは言葉の綾でぇ……正直言うと、必死に縋りついてたって感じ?」

「うわあ……」

 慶は突っ伏した。机に突っ伏した。顔を上げられない。

「あの人さあ、オレの高校の先生なんだよ、もとは」

「へえ〜」

 慶は、突っ伏したまま顔を上げなかったが、友人の「へえ〜」の後に何かが省略されているのが分かった。

「先生と生徒にしては……えらい必死で」とでも思ってるだろう、と思った。でも、孝之はへらへらしてるように見えて、いつも周りのことをよく見てる奴なのだ。実は口が堅くて、美香を好きなくせに一歩引いてる真面目な奴なのも知っていた。

「友人の話だけど」

 いきなり切り出した慶に、孝之は合わせてくる。

「……あ〜……はいはい、友人の話ね」

慶は突っ伏したまま言う。顔なんて見れない。

「元から知り合いで、再会したんだけど、それで毎週、飲みに言ったり、一緒にご飯食べたりしてたんだけど」

「うん」

「相手はさ、ちょっと無愛想なんだけど、本当は優しくて正義感が強くて、あと何かに傷ついてて、もう地元には戻らないって人で」

「ふんふん」

「でも、喧嘩になったんだよね。なんとなく距離感があるな~みたいな雰囲気もあったんだけど、いつも通り、ご飯作って食べようってところで、言い争いになっちゃって」

「何が原因やったん?」

「せ……」

「せ?」

「いや、郵便物が」

「郵便物?」

「結婚式の招待状でさあ、それが地元からなんだよ。で、その書いてある名前が、せ……その相手が、酔っ払った時に呼んだ名前なんだよ。泣いて……たんだって。で、オレ……は、その友達が、両方の人を知ってて」

「……しん……新郎新婦のどっちでもいいな、相手は。そう、それはどうでもいいことやんな」

「……そうだな」

 慶は孝之が何を言おうとしたのか分かったが、それは突っ込まなかった。

「で、「その人のこと好きなんだろ」、「そんな奴の結婚式に行くのか」、って言っちゃて」

「あ~……言っちゃうことあるよね~……」

「オ……それは、その人にそれ以上傷ついて欲しくないから、ってのがあるらしいんだけどさ!そしたら、全然会えなくなっちゃったらしくて」

 慶は、笑って言った。

「な、なんか下らないことでケンカしてるよな」

ハハハハ……と乾いた笑いでごまかした。

「……その彼はさあ、気づいてるのかいないのか分からんけど、その関係って、友達ちゃうやんな?」

孝之は、茶化すこともせず笑いもせず、誰もいない教室で、後ろに伸びをしながら言った。


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先生の涙はしみるほど甘い 暁 雪白 @yukishiro-akatsuki

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