6. 十月 かぼちゃのスープ(2)
もう十月も半ばになって、肌寒い日が続いていた。
「……久しぶり」
ドアが開くと、樹が少し笑っていた。
「―――久しぶり。ようやく顔見れた」
慶は、ちょっと間をおいて眩しそうに眼を細めた。
「……入らないのか」
「うん……ちょっと久しぶりで、敷居が高く……」
「そんなタマだったか、お前、あんなに強引だったくせに」
樹は笑った。鼻に皺が寄る。無理して笑ってることが、慶には胸にズキ、と来た。
樹はドアを大きく開けて、慶を通してくれる。
「お前の冬服、初めて見るな。学ラン以外、見たことなかった―――」
「―――入っていい?」
大きな体つきで背をかがめて、室内に入ってくる。
樹がドアを支えてる間から、慶が入ってくる。慶が思いがけず近くを通ったときに、何かの匂いがした。無意識に確かめようとして、樹は息を吸い込んだ。
「何か匂いした?」
慶が手を温めるように息を吐きかけながら、振り向いた。
「あ……ああ、秋?……の匂いがした気がして……」
樹は驚いて、素直に答えた。慶が笑う。
「ああ、どこかで何か燃やしてるのかな?秋だよね」
手を離していた扉が、パタンとゆっくりと閉まった。狭い玄関で、慶が笑って見下ろしている。距離が近い。樹は壁に追い詰められるような形で、小さな空間で大柄な慶に挟まれてることに、突然気づいた。
玄関のライトがつかない。ああ電球が切れているんだった―――。樹は頭のなかで考える。
「あ……オレがなんで匂いがしたと思ってるって……」
分かったんだ、って言葉が出てこなかった。慶を見上げる形になる。こいつは身長何センチあるんだろう。関係ないことが頭に思い浮かぶ。オレが170センチで、こいつは185㎝以上あるんだろうな。頭ひとつ以上大きい。肩幅も。高校生の時、こいつはこんなに大きかっただろうか。
あの日、オレが背中に庇ったとき、こんなに大きな―――大人だったっけ?
「ああ、先生さ」
慶は、間近で笑いながら見下ろしてくる。体温すら感じる近さだ。
「食べ物の匂いとかすると、鼻をスン、って動かしてるよね。オレ、途中で気づいたんだよ、いい匂いする時って−−−」
あははは、と慶が笑うのを樹は狭い空間から見上げていた。
喉が苦しい気がした。玄関のライトが切れていてよかった。少なくとも顔色は見えないくらいには暗い。
「え……オレ、そんなに……匂い、嗅いでるかな」
ははは、と乾いた笑いを漏らす。どぎまぎする。
こいつはいつからそんなにオレを見てるんだ−−−オレはそんなに見られていたのか−−−
教え子だから高校生の子どもみたいな気持ちで接していたが、こいつはもう子どもじゃないのか。
「どうしたの?」
慶は、動かない樹に体ごと振り返った。慶が手をついている壁が、ぎし、と鳴る。この手が―――大きくて力強くて、オレをやすやすと背負えるこの力強い腕が―――女を抱くのか。
「先生?」
ぎし、と慶が樹の方に足を踏み出した音がする。樹は、心臓が跳ねた。
それ以上近づくな―――。
「な、んでもない」
樹は、慶が廊下の壁についた手の下をすり抜けた。ちょっとかがめば、その下を通り抜けられてしまうことが、樹を動揺させていた。
「……どうしたの?美味しくない?」
気まずいまま、慶お手製のかぼちゃスープを食べていたときに、慶が聞いてきた。
ゴホッ。
いきなり訊かれて、樹はむせた。ゴホッゴホッ。
慶が背中をさすってくれる。その大きな手が触れた時に、樹は自分が大事なことから目を逸らしていたことを思い出させられた。
咳が収まったあとも、慶は樹の肩に手を置いて、樹の顔を覗き込んでいる。
「なに……」
樹はチラッと慶の顔をみて、目を逸らした。視線が動揺するのを見られたくない。そっと慶の手が離れるように体をズラす。
「もう治ったよ」
「先生、今日、変じゃない?」
慶が更に樹の顔を覗き込んでくる。その視線を、体温を、温かい手を、樹は直視できない。
「オレが不愛想なのはいつものことだろ」
離せよ、とでも言うように、樹は慶の手を左手で払った。慶の手が離れる。すっとそこが寒くなる。
「そうじゃなくて、具合悪いとか。心配してるんだよ。前も言ったけどさ」
慶は、気まずい雰囲気を緩和しようと、明るい声を出して、立ち上がった。台所へ向かう。
「あ、ごめん」
慶がばさばさと積んであった、書類を落とした。
「あ、いいよ、オレがやる」
樹は、気まずい空気が緩和されたことにホッとして、立ち上がって自分が拾おうとした。
拾っていた慶の動きが止まる。
「―――これ何?」
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