4. 八月旧盆、チェイサーグラス(1)


「イツキさん、飲み過ぎですよ」

 バーのカウンターに肘をついていた樹の前に、チェイサーグラスがトン、と置かれた。

 「うるさい」

 樹はグラグラ揺れる頭を肘で支えて、グラスを見た。

「これ水?」

「日本ではチェイサーは水ですよ。酒を浴びるように飲むな」

「うんちく」

 樹は水を喉に流し込む。熱を持った喉が冷えて気持ちいい。一気に飲む。

「何かあったんですか。お盆はお客さん少ないので、来てもらえるのはありがたいんですけど」

呆れた声でバーテンダーの須川が言う。

「イツキさんが、ここまでベロベロになるの、珍しくないですか?」

 須川はグラスを磨きながら、樹にもう一杯水を出してくれる。

「オレには手に入らないものが、何度も何度もオレの前に現れては、オレを殴る」

 樹の言葉に、須川はしばらく沈黙した。

「金とか……?」

「ちがう」

酔っ払いの樹は、カウンターに突っ伏しそうになりながら言う。

須川は言い直す。

「……幸福、とかですかね」

「そう、諦めたはずなのに、捨ててきたはずなのに、いつの間にかそれを求めてて、また失う」

 樹は相当飲んでいた。ここは、女性は基本的に入れない方針で運営されているバーだった。

「気をつけてくださいよ。投げやりにならない方がいいですよ」

須川の言葉に、樹はぼんやりと反応する。

「気をつけるって?」

「たとえば、その男」

 須川は、樹の後ろを顎で示した。

「お兄さん、雰囲気あるね〜。オレ、こういうアンニュイでキレイな感じの人、すっげ~好き」

 割り込んできた男が、樹の肩を抱く。

 驚いた樹が、男の顔を見る。そこには、晴れやかで自信に満ちた顔があった。

 ああ、明るい。樹は思った。眩しく思った。

 あいつが高校生の頃って、こんなだった気がする。

 樹は、酔った頭でぼーっと、肩を抱いてきた男の顔を見ていた。

「……お兄さん、酔った目つきで見てくるの、クるね……」

 男は喉を鳴らして唾をのみ込んだ。

「出よ」

 男は酔っ払いの樹の腰に手を回した。樹は他愛もなく、スツールから下ろされる。

「イツキさん」

 須川が眉根を寄せて、樹に躊躇するように促す。

「なんだよ、お前、このお兄さんとデキてんの?」

 欲望に目をギラつかせながら、男は、樹の腰を抱いたまま須川に食ってかかる。

「違います。完全に酔ってる人なんで……」

「オレはヤサシーから大丈夫だよ」

 男は強引に、樹を店から連れ出した。

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