1.再会―――初夏のビール(4)
カツカツ。
敷石を鳴らすヒールの音に、樹はハッとした。
どう見ても、男が男に迫ってるようにしか見えない。こんなとこ見られたら―――。
「わかった!わかったから!」
樹は、慶の腕を無理やり引っ剥がした。胸を押して、押しやる。
ヒールの女性が通り過ぎるのを待った。樹はそっちを見れなかった。
「先生、じゃあ、先生ん家で飲みだよね?外で構うのがダメなら」
ヒールの女性を見送ってから、慶がにっこりと笑って振り返った。
「……オレへの最大の恩返しは、オレに構わないでいてくれることなんだが……」
樹の声は「先生ん家、どこの駅?」という慶の楽しい声に、かきけされたのだった。
「おお……大学に近い……」
慶が感嘆の声を上げる。大学生にとって「住居が大学に近い」ことが意味するのは、ひとつである。
「そうかよ……」
嫌な予感しかしない樹は、暗い顔で202号室の鍵を開けながら、早々に引っ越しを決意した。
「お邪魔しまーす」
慶は礼儀正しく部屋に上がる。靴を揃える辺り、育ちの良さを痛感する。
それにしても慶がいると廊下がめちゃくちゃ狭い。壁に張り付かないといけない。
「本しかない」
部屋に入った慶が言った言葉は、それだった。
「オレは大学院生なんだから、勉強ばっか―――」
「大学院生なんだ」
しまった、と思ったときには遅かった。できるだけ個人情報を漏らさないでおこうと思っていたのに。
「何学部?あ、学部じゃないか」
慶は、部屋の中央に置かれたローテーブルの前に座って、買ってきた酒をガサガサと出しながら聞いた。
「ん、教育学研究科か、何するところ?」
慶は横に積んであった本をちらりと見て、樹の所属をさっそく特定した。
「な、なんで」
「え?ここに「教育学研究科図書館」ってシールが貼ってある」
こいつの基本調査能力の高さを忘れていた。自分の個人情報はまるっと特定されたに等しいことが予想されて、樹は激しく後悔したが、後の祭りだった。
「―――お前、飲むなら何か作れよ」
無理難題を押し付けて、オレはその間に部屋のなかの諸々を片付けなければ、こいつは何を探し出すか分からない。
「え?おつまみ?」
「そうだ、恩返しするんだろ。それでいい。おつまみを作って、それで一回飲んで、それで恩返しはおしまいだ、充分だ、それでオレは」
樹は早口でまくしたてた。慶は変な顔をしていたが、「わかった」とだけ言って台所に立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます