1.再会―――初夏のビール (2)
「せーんせ、これ、お願いしまーす」
貸出カウンターに本が置かれる。『工学部で学ぶ数学』。一緒に差し出された学生証には盛次慶の名前。
樹は、無表情で学生証と書籍を機械で読み取る。
「ねーせんせ、何時に上がり?」
冷たい態度も何も効果が無かった、と樹が気づいたのは、盛次慶との再会の翌日だった。慶は授業時間以外はずっと図書館に居座り続けたのである。学生だから図書館に一日中居ても、何も問題はない。むしろ奨励されている。慶は、概して静かに過ごし、基本的に勉強している。そして、樹が貸出カウンターに出ているときに、本を借りに来て話しかけるのである。
「……私語は慎んでください」
樹は、冷たい声で慶を見ずに本を押し付ける。
「はい……」
慶はシューンとなって引き下がるので、それ以上の邪魔はされない。それでも、カウンター近くの座席に陣取って、樹をちらちら見ているのですでに図書館内では話題になっていた。
「あの大きな子と知り合い?」
ベテラン司書さんには三日目に訊かれた。樹の引きつった顔を見て、司書さんは笑いながら続けた。
「別に騒いだりしてるわけじゃないから、いいんだけどね。あの子、すごく目立つでしょ。だから」
同情するように言われて、樹はため息をついた。このままでは、図書館内での自分の評判に傷がつきかねない。学内でのアルバイトは、非常にありがたいのだ。他に、学内でのアルバイトと言えば、購買くらいしかない。自分が愛想よく物を売れるとは思わない。ここは死守したい。樹は、自分の来し方行く末を思い描いて、苦心の一計を案じた。
盛次慶は、樹のいる日、いる時間を狙って「せーんせ」と貸出カウンターに来ているらしい。司書さんや他のアルバイトさんから聞いた。というか、聞かされた。慶は、誰にでも人気なのだ。誰もが気になる存在なのだ。明るくて派手で、なのに真面目で穏やかで、かっこよくてかわいい。そりゃ人気者だわ、と樹だって思う。
なんでオレに執着するんだ。オレは目立たずに生きていきたいんだ。
樹は、五日目に慶が「せーんせ」と貸出カウンターに来たときに、まじまじと慶を見上げた。
「せ―――」
慶は大きな体で樹を見下ろして笑いかけていたが、樹の目を見て、口をつぐんだ。意志を持った視線というのは、ただ目が合うのとは違う。それは伝わるのだ。動物にだってそれは伝わる。
慶の目がゆっくりと見開かれていく。樹の目を真剣に見てくる。その真剣さに樹の方が貫かれそうだった。
「今日は夜九時上がりだ。どうしても話がしたいなら、待ってろ」
慶を睨みながら、声をひそめて早口で伝える。慶の表情がみるみる明るくなる。それを見て、樹は「しまった」と思ったが遅かった。何か進展があったことは、同じフロアの人に知れ渡ったに違いない。慶の表情で。
「返却は6月16日までにお願いします」
何事もなかったように本と学生証を慶に押し返して、樹はビジネスライクに「次の方」と告げる。
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