【10】
——―ティロリロリン
電気給湯器の操作モニターが、湯はり完了のメロディを鳴らす。
「裕太、お風呂湧いたよ」
また廊下に向かって声を掛けたが、返事は無く、扉も開かず、物音すら聴こえてこなかった。諦めて、リビングに戻る。テレビでも点けようかと思ったが、そのまま併設されている和室へと向かった。スマート仏壇の前に座り、空中ディスプレイを起動して、映し出された妻の遺影ホログラムを眺める。
「……なあ、どうすればいいと思う?」
柔らかく微笑む妻に問いかけたが、当然のように、返事は無い。私はまた、ため息をつくと、小さく項垂れた。
「あなた、裕太をお願い。難しい年頃だから、色々と大変だろうけど、寄り添って、支えてあげて。あの子は意外と引っ込み思案で打たれ弱い性格だから、父親であるあなたがずっと傍で見守っててあげないと……」
そう言い残して、妻は旅立った。肺がんに侵され、呼吸するのも辛いというのに、必死に声を絞り出し、ずっと裕太の高校受験のことを心配していた。結果として、裕太は第一志望の高校に受かったが、その晴れ姿を妻が見ることは叶わなかった。
ずっと傍で見守ってて、か……。
言い得て妙と言うべきか、裕太のことをずっと傍で見守ってはいる。見放したことなど一度も無い。
だが、これが見守っていると言えるだろうか。
一緒に暮らしてはいるものの、ほとんど会話をしない。するのは、必要最低限の事務的なやりとりだけ。とても家族とは思えない、無気味で渇いた、他人のような関係性。
好かれも嫌われもせず――いや、直接的に言葉にしないだけで、裕太は私のことを嫌っているのだろう。私が作った食事を食べないのは、その意思表明だ。話しかけても門前払いで、心を開いてはくれない。
なぜ、こんなことに?
その原因は、自分が一番良く理解していた。
裕太が産まれてからというもの、私は会社で必死に働いていた。どうにか出世コースに乗ってやろうと、足掻いていた。家族に何不自由ない生活を提供しようと、一端の家庭を築いてやろうと、意気込んでいた。
故に、当時、最新式の次世代型スマートマンションとして売り出されていたこの3LDKの一室に居を構えた。収入からすると、身の丈に合わない行動だったが、尻に火を着けるつもりで購入に踏み切った。それを主軸としたその他諸々のローンに追われながら、身を粉にして働いた。平日も休日も無関係に、夜遅くまで。
ただただ、金を稼ぐことに必死で、家庭を顧みようなどと思わなかった。
その代償が、この現状だ。
子育ては、ほとんど妻が一人で担っていた。忙しく働く私の代わりに、裕太のおむつを替え、服を着せ、食事を食べさせ、絵本を読み聞かせ、寝かしつけていた。幼稚園の行事も、小中学校の行事も、出席するのはいつも妻だった。
裕太にとって、親とは妻のことだ。私は、親の務めを果たしてこなかった。経済面を支えていただけで、触れ合おうと、向き合おうと、してこなかった。
「……お前が」
生きていてくれたら――と、零そうとして、口を噤んだ。そんな叶わないことを願っても、無駄だ。虚しいだけだ。
仏壇の前から離れると、リビングに戻った。魚を焼いた時の臭いが残っているような気がして、空気を入れ替えようと、窓に向かって手をかざした。
——―ピッ
短い電子音の後、窓が自動で開く。虫が入らないように、指先の動作で防虫モードを透過電磁網戸式に設定していると、ふと、目に付くものがあった。
窓の向こうのベランダの地面、置いてあるスリッパの回りに、夥しい量の羽虫の死骸と鳩の羽毛が散乱している。また、ため息を吐こうとして、どうにか呑み込んだ。
この家を購入した当時、スマートマンションといえば高級品だった。備え付けの電気設備の動作はもちろん、部屋の扉や窓の開閉、施錠に至るまで、ほとんど自動で行ってくれる。
それを総括的に管理するのは、家庭用生活補助型AI〝
上を見上げる。天井に、碁盤の目状に張り巡らされた黒光りするコンピューターレールには、部屋中を明るく照らす照明機能の他、無数の小型カメラが内蔵されており、真下をうろつく人間を常に観察している。その動作を、レール本体に組み込まれているAI、mimamoが学習することによって、段々とこちらの要求を察して実行してくれるようになるのだ。
先程のように、何も言わずとも手をかざすだけで窓を開け、指先の些細な動作だけで防虫モードの種類を設定できるように。部屋内の温度や臭気、季節や時間帯、これまでの居住者の行動パターン、些細な仕草や表情の変化などから判断して。ロボット掃除機や全自動洗濯機などの家電製品とリンクさせれば、掃除や洗濯といった家事を行う必要もほとんどなくなる。
〝あの頃、夢見た未来がここに。みんなの暮らしを見守る、mimamo〟
そんな宣伝文句に惹かれて購入したが、長い年月が経てば、必然的に最新も埃を被るものだ。
テレビで見たが、最近のスマートマンションでは、建物自体を覆うように微弱な電磁壁を張ることにより、虫や鳥といった生物をそもそも入れないようにしてしまうのが標準設備なのだという。我が家のように、窓に電磁網戸を張ることによってベランダに感電死した虫の死骸が溜まることもなければ、鳩が巣を作ろうと寄り付くこともないのだ。
それだけでなく、備え付けの電気設備やAIの学習機能も進化し、それはそれは便利な生活が送れるのだという。壁に組み込まれたコンピューターアームが食卓から皿を下げたり、トイレットペーパーを補充したり、脱ぎ散らかした靴を揃えたりと。
「ええっ!?お前んちの全自動クローゼット、コーディネート機能付いてないの!?」
テレビのバラエティ番組で、司会のタレントがそんな風に貧乏な若手芸人の暮らしぶりを弄って笑いを取っていたのを思い出す。
当時は憧れの的だった最新式住居も、今となっては古臭い嘲笑の的か……。
かつて、家族三人でここへ越してきた時のことを思い出す。まだ、裕太が一歳にも満たなかった頃だ。
あの頃は良かった。妻もいて、裕太も可愛げがあって、自分にも若さと活力が合って、何もかも輝いていて―――。
窓の外を眺めながら、そんな物思いに耽っていた時だった。
——―キャハハッ
窓の向こうから、甲高い声が小さく聴こえた。
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