【111】
その日の夜、家事を終えてから、リビングで一人、スマートソファに備わっているデバイスで、住んでいる区内における過去の死亡者情報を検索してみた。〝澄田 一家〟という、キーワードを踏まえて。
すると、すぐに目当ての情報に辿り着くことができた。
昨年の五月に、住んでいる区内にて起きた、凄惨な事故の記事。
事故の概要は、大体こういったものだった。
四十一歳男性の澄田
これが……。
空中ディスプレイを消し去ると、ぐったりとソファにもたれた。
まったく、気が付かなかった。思い返してみれば、昨年に区内で死亡交通事故が起こったという話を耳にしていた気がしないでもないが、まさかそれが、隣人に起こった出来事だったとは……。
無理もないだろうか。今日の昼間に会話を行うまでは、隣人の苗字が澄田ということと、どうやら子供のいる家庭らしい、ということくらいしか知らなかったのだ。事故の報を耳にしただけでは、想像力や好奇心が逞しい人間でもない限り、興味など持たない。
こんな、情報が隔絶され、動向が制限され、個人と個人のコミュニケーションが失われた場所に住んでいなければ、すぐに気が付いていただろうか?悔やみや励ましのの言葉のひとつでも、掛けられていただろうか?
分からない……だが。
アインが、家族の代わりを―――。
光景として見たことは無い。漏れ聴こえてきた声でしか、その様子を窺い知ることはできない。が、あの家族団欒が作り物だとは、到底思えなかった。
家庭用生活補助型AIが、あんなにも淀みなく、あんなにも感情豊かに、話すことができるものなのか。ホログラムによって、故人を再現することができるものなのか。
偽りの存在なのに、まるで生きているかのような、本物のような、挙動ができるものなのか。
夫人の沈痛な眼差しと、悲愴な言葉が蘇る。
「偽りの存在に、家族ごっこをさせるのは、悪いことでしょうか?」
「……裕太」
閉め切られた扉に向かって、声を掛けた。返事は無い。
「裕太、ちょっと出てきてくれないか」
やはり、返事は無い。
「裕太、ちょっと話が――」
「何だよ」
苛立っている鋭い声が聴こえてきた。調子からして、裕太は扉のすぐ向こうに立っているようだった。が、扉は開かない。
「開けてくれないか。話がしたい」
「ここでいいだろ。何だよ」
仕方ない。
「……なあ、もし、母さんが今も生きていたとしたら、裕太はどう思う?」
沈黙。返事は無い。
「もしもの話だ。母さんが今も生きてたら、一緒に暮らしてたら、どう思う?例え、それが形だけだったとしても、今よりはいいか?父さんと二人だけで暮らしてるよりかは、母さんがいた方が――」
——―カチャッ
不意に、扉が開いた。
その向こう——何らかのモニターの光だけが灯っている薄暗い空間の中から、裕太が現れた。全身をぶるぶると震えさせながら、息を荒くしながら。
その手には、酒瓶が―――。
「な、何を――」
「黙れえっ!」
振り下ろされたそれを、慌てて後ずさって避けた。
「ゆ、裕太、何をやって――」
「うるせえええっ!」
尚も、酒瓶を手に向かってくる裕太から、必死に逃げた。後ろ歩きのままリビングに戻り、
「裕太っ、やめろっ!やめてくれっ!」
どうにかなだめようとするが、
「うるせぇああああっ!死ねっ!死ねっ!」
裕太は、口から唾を飛ばしながら、酒瓶を振り下ろしていた。その猛攻をよろよろと避け続けた末に、とうとう腰が折れてしまい、床にへたり込むと、
「はあっ、はあっ、はあっ……」
裕太は、ようやく猛攻を止めた。酒瓶を握りしめ、肩で息をしながら、
「……お前のせいだ。お前が……お前が全部悪いんだっ!」
と、絶叫し、私の脳天に向かって、
「ゆ、裕太っ!」
——―パリィンッ!
思わず瞑った目を開けると、へたり込んでいた床に、飴色のガラス片が散らばっていた。裕太の握っていた酒瓶は、私の脳天ではなく、目の前の床に叩きつけられたようだった。
「ふーっ、ふーっ……」
裕太は――今年で三十五歳になる私の息子は、血走った目で私を睨みつけると、不健康そうな肥満体を引きずるようにして、どたどたと二十年もの間引き籠っている自分の部屋へと戻っていった。
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