第21話 俺の心が錆びていた

 俺は歩いている。

 いつもの猫背に、ハンドポケット。 


 頭上には中空を舞い踊る風の王者だ。射抜く瞳の先には、塵芥とすべき愚物。

「食い殺せ、烈風竜王イルルヤンカシュ。現存する細胞全てを圧殺せしめよ!」


 人が走る限界速度は、オリンピック金メダリストで約45km/hだそうだ。

 地を駆るヒトが如何に逃げようとも、大地の軛から放たれた風竜の飛翔に勝るはずもなし。運命は定まった。


「ちくしょ、あー、なんでだよ! 俺が自由にできねえとかありえねえだろうがよっ! クソ、あのガキ絶対殺してやるからなぁっ!」

 呆けている兵士を後ろに突き飛ばし、風竜の供物にしながらスパイクは無様に逃亡をしている。

 

 巻き込まれた者は漏れなく粉砕し、圧壊する風の塊だ。イルルヤンカシュが通過した後は、赤い霧が立ち込めるのみ。

 まだまだ敵の数は上だ。所詮は俺も一人の兵であり、どんなに粘ったところで二個大隊を壊走させるには至らないのは分かっている。


「スパイク、終わりだ」

 風を纏った牙が、スパイクの赤い髪を切断しようとし――。


 ガキン、と弾ける音とともに跳ね返された。

 俺は少々困惑してしまう。この世界にイルルヤンカシュを防ぐことができる者がいるとは誤算だった。

 驚愕すべき事実だが、俺は己の甘さを噛みしめる。いつから自分は評価する側に回った? 常に挑戦者であり続けるのが進化への道であると、俺の先生は言っていた。

 俺は心の隙を恥じる。なまくらに錆びた神経を研ぎなおす必要があった。


 だが、今は目先のことに専心する。

 魔法障壁—―か。

 

 スパイクの魔砲剣はそのスペックを攻撃に振り切っている。それも遠距離投射型で、一発撃つとリロードが必要だ。

 魔法は制約が重要だ。

 用途を限定し、魔力を絞り、用途を決め打ちすることで威力が増す傾向がある。


 地球での検査結果によるもので、被験者三名というサンプルの少ないものであるが、使用している俺も同様の感覚を得ていた。


「防御特化。それも属性や対象者、それに時間も限定しているのか」

 スパイク『だけ』が烈風竜王の牙をはじき、周りの兵士は守られずに命を落としている。


 試しに常に起動状態にある『使い古された記号ラグ・マジック』の、火炎礫ファイアボールを投げかけてみる。

 礫は殺傷力に乏しく、属性も明確だ。魔法戦では目くらましやフェイント以外には使うことがない。

 一般的な物品で例えると、ロケット花火に近いだろうか。


 結果、火炎礫はスパイクの背に命中した。服が多少焦げる程度の威力だが、それでも障壁を貫通することが証明されたわけだ。


「はあっ、はあっ、アンジェリュール! 助けてくれ、あのクソガキ俺を殺ろうとしてやがる。手を貸してくれよ!」

「……無理です。私には戦う力はありません。貴方を死地から脱出させるだけで精一杯。行きましょう、スパイク」

「おいこのガキ! てめえ覚えてろよ。必ずぶっ殺しに戻ってくるからな! そのツラ忘れねえからよぉ!」


 アンジェリュール、あの病魔に蝕まれた売春婦か。

 生命力が少ない状態で魔法を発動すると、余計に悪化するものだ。しかし初対面では苦しそうだった表情が、やけにすっきりとしていたのが気になる。


 白い陶磁のような肌に、桜色の唇。

 銀のウェーブがかったロングヘアは、翠の瞳をたたえて戦場を照らす。


「さようなら、同じ星の人。もう会いたくないわ」

 黒い球体が二人を包む。まるで漆黒の惑星に飲まれたかのように、どろりと抱擁し、地面に溶け行った。


 地面に意識を集中させる。地下を移動しているのかと錯覚させるほど、鮮やかな消え具合だった。


 アンジェリュールの能力は障壁。であれば、恐らくは別の木偶が戦場に出てきているのだろう。敵も試験運用は欠かさないらしい。


 自分の失態の多さに目をつぶりたくなるが、作戦自体は順調に進行した。

 阿鼻叫喚の戦場をさらに燃やす。錬金術の釜のように、骨になるまで煮込む。


「行くぞ、死にたいのは誰だ! 希望者は前に出よ!」

 風竜を纏わせ、俺は再び前進制圧を開始した。


――

「これは……どういう状況だ……」

 破城槌の攻撃が止み、敵の爆轟魔法も飛んでくる気配がない。

 指揮官のヘンリエッタ・ザクセンは城壁の指揮台から大地を見下ろす。そこにあったのは一直線の赤い舗装がなされた道だった。


「あの人間、どれほどの能力を隠し持っていたのか。これは認めざるを得ないわね」

 ヘンリエッタはまだ二十五歳と若いが、実戦経験の豊富な指揮官だ。

 多くの猛者と邂逅してきたがリオンほどの才を見せた者はいなかった。彼はやると言えばやる。敵でないことを心底感謝するほどだった。


「しかし……まずいな。中央突破は定石だが、敵の縦深陣に囲まれる可能性が高い。それに突き抜けても城砦まで戻るのは至難の業だぞ」

 城壁に取りつく兵士を弓兵が取り払っているように、まだ敵は前線から引き切っていない。

 リオンはいわば、敵兵の袋の中に入りに行ったようなものだ。


「閣下! ダルシアン儀仗騎士団のフレリア様より早馬が!」

「申せ!」


「『全門開け、我ら騎兵100吶喊す。のちに歩兵150、魔法兵50が続き敵を駆逐する』とのことです。ご指示を、閣下」


「強気じゃないか。先日までは儀仗兵だった貴族令嬢の軍団にしては、よく吼える。仕方あるまい、我らも兵を抽出し護衛に回す。下手に捕虜になられたら政治的にも大打撃だ」

「承知いたしました。すぐに編成にあたります」


 報告を聞いている間に、リオンは敵陣を貫通せんとしていた。

 雁行陣の中央を突破し、奥にいる大隊指揮官の場所へと向かう姿に、ヘンリエッタは勝機を見出した。


「勢いの余波に乗る。フレリア様が到来されたら、我らも突撃だ」

「ハッ!」


 俄かに慌ただしくなるガイアス城砦に、フレリア率いるダルシアンの騎兵が到着した旨が報ぜられる。

 馬が駆ける。開け放たれた裏門に飛び込んだフレリア隊は、そのまま対象点にある正門へと突き進む。


「下知通り、フレリア・ウェスティリア、参陣致す! 道を開けよ!」

「よし、我らも続くぞ。ガイアス機動部隊進軍開始だ! 私も出るぞ!」


 気炎を上げ、二つの部隊は敵陣へと踊りかかる。

 浮足立ち、ややもすれば敗走気味の敵兵の心にダメ押しの一撃を加えた。


「敵は退却するも地獄、踏みとどまるも地獄……か。下手に逃げれば先頭部にいるリオンと戦うことになり、城砦前に残れば磨り潰されるだろう」


 ヘンリエッタの呟き通り、『突撃だけは』優秀と称されるようになった、ダルシアン乙女騎士たちに蹂躙されていく人間軍があった。


 リオンと騎士団で、数的有利のある敵を動揺させ、挟み撃ちにする。

 後にリオンに問うたところ、斯様な返答があった。


「古の兵法、掎角きかくの計だ。打って出ては敵をおびき寄せるつもりだったんだがな。少々驚かせすぎたようだ」


 やがて敵の大将旗が、ゆっくりと倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る