『異世界』の存在を意識する

五感が『異世界』の存在を意識している

 広大な自然の中に身を置いている自分を想像してみて欲しい。新芽の柔らかそうな芝生が辺り一面に敷き詰められ、なんとも目に優しい黄緑色の風景である。


 天候は雲ひとつ見当たらない快晴そのもの。照りつける太陽は、ジリジリと身を焼くわけではなく、春らしい陽気な暖かさである。それでも日差しが気になるのであれば、木陰も充分にあり、おそらく涼むにはちょうどいいのではないだろうか。


 南からほどよく吹きゆく春風は木々を揺らし、静けさの中に『癒しの音』を運んでくれる。こういった『自然音』は近年注目を浴びており、睡眠時の導入に流すことで、自律神経を整えてくれるらしい。


 この『のどかな自然』というのは、癒しの空間であり、空気感を少しスローにしてくれる。時間に追われた忙しない生活を送っているものとしては憧れの場所であり、休日にはこういった場所で骨休めをしたいものである。



 問題なのは、その『風景』が押入れの中に広がっていることである。


 うん……。もう思考が追いつかない。


 昨日の『スライム』騒動から一夜明け、日中の仕事を終えて帰宅。今日は花の金曜日だというのにどこにも行かず、自宅の平穏を取り戻そうと勇足で帰ってきたというのに。ドアを開けると、そこに『やつ』の姿はなかった。懸念事項だった体液でベトつくかと思いきや、床やテーブルにもその痕跡はなかった。正直言って、その処理をしなくていいのはありがたい。消毒だけで済むのだから。


 信じられないことに、何もなかったかのように忽然と消え失せてしまっている。しかし、安心はできないので、部屋の中を大捜索している最中であった。


 さて、目の前の光景に戻る。


 おそらく、『やつ』はここから来たのだと推測できる。これは間違いないだろう。むしろこの不思議な状況ながらも、辻褄が合ってしまうのだから仕方がないのである。


 気になることは山ほどある。まず空間のキャパシティがまったく合っていない。元々は一畳程度のスペースの押入れが、地平線の彼方まで芝生で埋め尽くされた風景になるわけがない。


 次に、時間帯が合わないことである。部屋の時計は18時30分を少し回ったところ。冬に比べてこの頃は陽も伸びているが、こんな照りつける太陽が出ている時間帯ではない。


 この不思議な現象をどのように解釈すればいいのだろう。ここまで非現実的だと、頭でいくら否定をしても、五感が『異世界』の存在を意識している。その要素は充分に揃っているのだ。


 ふと地平線の奥に目を移してみる。そこには、太陽の光を反射し、濃い緑色の物体がのそのそと這いずり回っている姿があった。


 あ、いた。


 待望の再会である。

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