第7話 親指 アケミは殺している。

 雨の上がる駐輪場。

 屋根をたたきつけていた雨音はウソのように止み、雲の切れ間から春の温かい日差しがもれてきました。私はマドカからあの晩の惨事を聞くことによって、さらにわからなくなっていました。


「じゃあ結局、ミドリの手首はその旅館で見たんでしょ? その後、いったいどこへ行ったのよ?」

 そう、気味の悪い話です。私の寝ついた体の回りでうろついていたという。

 マドカは冷めた笑いを浮かべます。

「ああ、大丈夫。手首なんてものじゃない。

 おそらく私はミドリに丸ごと取りかれたのよ。で、頭がおかしくなっている。ホラッ、アケミだってそう思っているでしょ?

 でもね、ホッとしている部分もあるの。

 だって春休みをずっと行き来しているってことは、三人の楽しいキャンパスライフを聞かないですむってこと。ラッキーだったってこと。それだけが救い」


 こいつ、現役合格に対するひがみがひどい………。

 私には浪人の精神状態がまったく理解できませんでした。

 おそらく今ここでなぐさめる言葉を言ってもキバをむいてきそうです。だから、あいさつ程度でした。 

「じゃあさ。要は不幸続きってことでしょ? ついてないなら、おはらいでもしたら?

 もしそうなったら、私も連れてってよ。私もさ、ミドリの手首がくっついているようで気持ち悪いんだよね」

 わざと頭をかいて、ふざけてみせます。しかし、マドカはおかまいなしでした。

「フフフッ、おはらいね。それも何度も試してるけど」

 ああ言えば、こう言う。思わず、私は首をかしげます。

 そんなとき、私のスマホが震えました。見ると、ウルルからの着信でした。


「ちょっと、ゴメン!」

 私がさえぎると、しかしマドカが思わぬことを口にします。

「わかってる、どうせウルルからでしょ? 忠告するけど、会わないほうがいいよ。きっと、後悔するから」

 私は聞こえなかったフリをして、駐輪場をあとにしました。



 ギシギシ。ギシギシ。

 雨でぬれたせいでしょうか。自転車のペダルが重く、いつもより進まない気がします。どうも土手で転んだ後もあり、調子が悪いようです。それでも、タオルでふいたとはいえ服はびしょ濡れ。早く家へ帰って、着替えたい一心でした。

 そのウルルは待ち合わせを私の家にしてくれました。

 私の家は閑静な住宅街にある一軒家です。庭付きの高い壁。ちょうどコーナーに建っていたので、曲がるとすぐにウルルの姿を見つけました。


「どうしたの? 急に呼び出して」

 私は不機嫌そうにたずねます。ウルルはランニング中だったようで、上下ともジャージ姿でした。

「アケミの家、入っていい? さっきの通り雨でさ、シャワー浴びたいのよ」

 ついでかよ! 私はムッとします。

「ダメ。素直に家に帰ればいいじゃない、ウルルは足が速いんだから。私も見ての通り、ぬれているでしょ。早く帰ってシャワーも浴びたいの。洗濯もしなきゃ」

「あっ、そう! じゃあ、本当にここでいいのね?」

 怪しくも、念を押すウルルです。


 彼女はおもむろにポケットから取り出しました。

  何?

 ヒラヒラと、それはどこかで見た写真。

 いったい?

 そこで、私は一気に凍りつきます。

  !!!


「はい! 忘れ物、届けに来たのよ。もうアケミったら、勝手にうちの部屋に貼ってかないでよね」

 それは夕日を背にした千住大橋の写真でした。

 あの日、あのとき。

 ウルルには初めて来る名所だと、自殺の名所とは知らないと伝えていたはず。

「な! なんで、私なのよ! こんな写真、知らないわ!」

 思わず、目を背けます。そこにズケズケと彼女がのぞき込んできました。

「何、言ってんの? 教えていなかったけど、私の部屋ね。防犯カメラがついているの。先輩を呼んだとき、いろいろ証拠を残すためにさ。

 んで、あの日の上映会を見返していたら、アケミがコソコソと貼ってる姿が映っていたのよ。だから、返すね。先輩以外、貼らない主義だから」


 この犯罪女、どこまで知っている?

 私のこめかみから冷や汗が流れるのを感じます。ただ、そこは押しとどめ、いたって冷静に答えました。

「ウルルさぁ。それだけで呼び出したんなら、もういいでしょ」

「それだけって、結構な写真よね? アケミ………、あの大橋は初めてじゃなかったんだね。それも写真に映っている景色を見ると、やけに最近ぽいけど」

「………そう、どこが?」

 私はわざとよく見るため、近づきます。その瞬間、ガバッと奪い取りました。

 その速さに、たじろぐウルルです。


「………、まあ。返すつもりだったけど。そんなに大事だった?」

「ハアッ? 別に」

「な・る・ほ・ど・ねっ! その反応だけで充分」

「ウルル。もしかしてケンカ売りにきた?」

「お~~~、コワ! でも、それよか私、スマホの機種変したんだよね。シールも貼っていない新品よ」

 超意外。私も一気にほころびます。

「ホ、ホント!!! 見せてよ! 番号は変えてないよね?」

 もう一つのポケットからスマホを取り出すウルルです。色鮮やかなで、コンパクトで。それでいて、手のひらで輝いていました。

 でも、いったいどういうことでしょう? さっきまで意味深な会話からの急展開。    

 ウルルはさらに声を弾ませます。

「うん、番号は変えてないよ。だからさ。立ち話もなんだから、アケミの家へ入れてよ」


 私の顔は一転、石化します。

「ダメ」

 しつこい。わかっていたけど、このしつこい女。やはりマドカの忠告を聞いておけばよかったと苦虫をかみました。

「別にいいじゃん。最新の使い方、教えてよ」

「ダメ。うち、亀が死んで家中が臭いのよ」

「マジ~~~! それって、ミドリ亀だったりして。私はそれでもかまわないけど」

「ダメ。近くの公園にしよ!」

「え~~~。ベンチもまだ、ぬれているし。アケミだって、早くシャワー浴びたいって言っていたじゃん!」

 もう、軽いノリのくせにしつこい女だ!

「だったら、ウルルも早く帰って着替えなさいよ」

 私の家の中のことは絶対にバレるわけにはいかない。断固、拒否し続けます。

 結局、二人は公園で話すことになりました。



 桜吹雪のじゅうたんで染まる公園です。

 となりではウルルのくしゃみ。私は自転車を片手で引き、もう片方の手で写真を握りつぶし、ポケットへしまいました。

 ここは険悪ムードを作った私の責任です。適当に話題をふりました。

「ところでさ、さっきまでマドカと会っていたんだけれど。ヤバいぐらい、陰キャ度が増していたよ」

 しかし、ウルルはさっきの悪い顔で、

「フ~~~ン。でも、そんなことはどうでもいいの。

 私、思い出しちゃってさ。アケミはあのとき運転中、千手大橋が駅から遠いって言ってたよね。何で知っていたの? 自殺うんぬんもとぼけていたでしょ?」

 やはりまた、その話か。身構える私でした。

「へ~~~。そんなこと、言ってた?」

 ウルルはなめまわすように見つめます。彼女はうそつきを見破れます。さんざん、先輩にうそをつかれたから。推察もお手のものでしょう。


 女子四人の卒業旅行。

 いったい誰の計画で

 いったい誰が先延ばしにした?

 答えは一人。『アケミ』だ。


 ウルルは激しく疑います。

 そもそもアケミは焦っていたわりには旅館までの山道を迷わず車ですっ飛ばした。その旅館でもビビることなく、熟睡できた。普通なら、迷子になって夜も眠れないくらいだけど。

 下手をしたら、あの旅館でさえ初めてじゃなかったかもしれない。

 

 私は内心、震えます。

 クソッ! ウルルはどこまで感づいている? 先輩以外はアホだと思っていたが、どうも鼻が優れている。しかも二人とも雨でぬれた状態。それを踏まえて、よく観察してくる。いつも以上に冷静にならないと!

私は顔を整えて答えました。


「だって、初めての卒業旅行よ。他にもいろいろ調べていたから」

 ウルルは噴き出します。

企画、立案者として当然とでも言いたいの? でも、最寄り駅まで探すなんて無理あるでしょ。当日だって、違和感があった。四人で車を借りていないこと。ひょっこりとアケミが迎えに来てくれた。

 じゃあ、おまえはいつから借りていたんだ!


「フフフッ! いくらでも言えるよね。でも、こっちには証拠がある。すべて録画してんだよ! 何だったら、今から見る?」

 そして、ウルルはにわかに覚えていました。

 アケミの家では一年前に再婚していることを。ミドリと名乗るお母さんを迎えていたことを。

 おそらくそれが同級生の竹中美鳥をいじめるキッカケになったことも感づいていました。



 私の美しいはらわた。ウソという黒いかたまりが何メートルもつまっていました。グルグルと怒りのツメを引っかきながら暴れる。それを吐き出そうなら、成人女性一人分の死体が出てきそうです。

 仕方なしに吹っ切れました。

「でも、そのスマホはないんでしょ? 無知なおまえがクラウドなんて使っている?」

 ただ、そこでウルルは勝ち誇った顔。

「アレッ、知ってなかったの? 私って、意外とそういうの得意だけど。

 それはそうと、アケミがなんで知らんぷりしていたのか? 写真を勝手に貼ったのか? そんなこと、どうでもいい。私の興味は先輩だけだから。

でも、その先輩がね。陸上の有望選手に選ばれて、アメリカへ高地トレーニングに行ったんだってさ。それも何ヶ月単位。

 いや~~~、それはないっしょ!

 せっかく先輩と同じ大学ってときに許せない。だから私、決めたの。私も行くって。その準備に、外国でも使えるスマホにしたんだ」

 私にとって彼女の言葉一つ一つが画びょうのように、小さなトゲと危険を含んでいました。


「………、それは大変ね」

「でしょ? このスマホ、30万円したんだ。アケミさあ、ちょっと貸してよ」

 そうか。これが本題か。

 説明うんぬんも、たぶんウソ。30万円もしたなんてのも、たぶんウソ。すべてはゆするための口実だろう。


 とんだ親友だ。きっと、口止め料としての対価だろう。

しかし、私の真っ黒なりんごまでたどり着いていないとみえる。いや、わざとここまででストップしたのか。これ以上、首をつっこまないというブレーキ料ってことか。

 私の奥歯は怒り狂っていました。それでも、冷静に。

「でも、先輩もウルルもそのうち帰ってくるんでしょ? その、30万円はムダにならない?」


 あれは興味深い事件なの。

 誘拐して殺した挙げ句、その死体に新聞をもたせて何度も身代金をせしめたってね。

 そんな感じで、繰り返しせがまれると困るでしょ。おどし取られるお金って、契約じゃない限り払ってはいけないと思わない?


 天の声が聞こえたのか、ウルルはあっさりしている。

「ムダ? そんなことはないよ。だって、アケミは頭が良いからさ。

 きっとその間、ちゃんと対処してくる。そこに手を突っ込むなんて、ヘビにかまれるようなもんだから。

 大丈夫! 一切、これ以上の追加はなし。

 何だったら、今の言葉も録音する?

 逆に、そうしようよ! そのためにもこのスマホの操作方法を教えてくれない?」

 ウルルめ、なるほど自分と同じ穴のむじなか。

 周到で、合理的で、大胆で。だから、心も通じるところがあるのかも。


 私は深く息を吐きました。

「そう。私もアメリカへ行きたいな。

 でも、あそこって銃とか日常にあってハンパないじゃん。ねらわれないように、つつましく過ごしているんだよ」

「………何、それ?」

「確かさ。ウルルのガンショップ。一挺、どこかに消えたんだって? 大変だね」

「………それ、誰から聞いたの?」

「もちろん、あなたのお父さんからよ。

 ちゃんと管理していないとダメだよね。下手したら、娘の頭に風穴開くかもしれないのに」

 すでに日がかげったせいでしょうか。公園のじゅうたんはいつの間にか黒く色づいていました。


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