第6話 誓ってよ! 綾小路円夏(マドカ)はその重さを知っている。

 通り雨の駐輪場。

 少しの間、私は幻覚を見ていたのでしょうか? それともあまりにもミドリを意識していただけでしょうか? マドカを自殺したミドリと重ねてしまいました。目をこすると、やっぱり違う。タオルをしぼるマドカがいました。


「うまく、ふきとれなかった。私がふくから」

 普段の言葉が少ない彼女のしゃべり方へ戻っています。ただ、何を言っているか理解できませんでした。

 そして、私の背後には吸いつくように重なるマドカです。それも首筋をじっとりとなめ、私の胸もとへ指を回すのでした。


 その、はいずるように指先でゆっくりと鎖骨を通過。甘い吐息を私の耳のふきかけます。

「すっかり、びしょねれ」

 もう、胸元の下着まで外しにかかりました。もちろん、私はひじを投げて拒みます。

「もういいから! 帰るから!」

 

 私が振り返ると、頭からずぶぬれのマドカはニヤリと笑っていました。

「クププププゥ! 冗談よ、冗談。

 ちょっと、アケミをからかいたくなっただけ。ていうか、今の今まで、ループの話も全部、嘘。

 ビビった? 私がおかしくなったと思った? ホントの話、私たちはアケミのことをウザいと思ってるから」

「はあっ?」


 私は怒りをぶつけます。

 その口調と態度。おこがましくて不愉快です。さらにはツバを吐き捨てるマドカがいました。

「だって、ありえない。あの大橋での夜を。

 アケミは勝手に寝ていたんだ。あの夜も、あの後も、ホントに大変だった」


 えっ? えっ? 私にとっては初耳です。

 確かに旅館へ着いた後、疲労が重なり三人より早くは寝てしまいました。気がつけば、朝。その間、知らない事実でもあったのでしょうか?

「分かった。もう、否定しないからさ。ちょっと一緒に思い出していこうよ」

 私はマドカの記憶と組み合わせながら、あのときを確認していきました。



 私は千住大橋から無我夢中で車を飛ばします。山道を猛スピードで駆け下り、カーブの多い一本道を抜けました。すると、そこにはさびしい一軒家。しかし、その旅館は廃屋のような有様だったと思います。


「汚な。何十年前に建てられたのかしら?」

 不満のヒラリです。 目の前には色あせたツタがからまる木造の二階建てです。

 駐車場は満車でしたが、人の気配がまったくありませんでした。自動ドアもなぜか手動で、手あかでいっぱいでした。

 受付ではベルを鳴らさないと出てこない。出てきてもなかなか受付すらしてくれないなど、つかれきった私たちを困らせます。

 ようやく受付も終わりましたが、館内はすべて予約済みのわりには、誰一人すれ違うこともありませんでした。


 廊下もギシギシ、かすんだ風景画ばかりがかざられていて、なぜか菊の大輪が生けてあったと思います。

 でも、私たちはとにかく休むことを優先しました。ウルルでさえ、声に出して気味悪いとこぼさなかったほどでした。


そして、向かった部屋はふすまの間に簡単なカギを差し込むタイプ。立て付けが悪いのかなかなか開きません。少し片側のふすまを上げて、ようやく開きました。

 電気をつけると、そこには八畳の和室です。畳は新緑ではなく、日焼けした薄茶色。ささくれもありました。


「クソボロい部屋ね。よくこれでお金を取れる」

 またも開口一番、グチをもらしたヒラリです。

 小さなテレビに小さな冷蔵庫。何も書かれていたいじくに何もかされていない花びん。

 WI-FIもなく、飛んでいるのは小バエでしょうか。ぶんぶんと電気のカサを無限回遊です。

 きっと、外の障子しょうじに穴が開いているからでしょう。ウルルも舌打ちしていました。

「チェッ! これじゃあ、まるでお化け屋敷じゃん。今日はどこまでもついてない」

 マドカは私を思ってフォローします。

「3月の繁忙期はんぼうきだから、宿泊できるだけでもラッキーだと思わないと」

 相づちを打つ私です。

「そうよ。マドカがもっと、早くに行くって判断していたら良いホテルも予約できたんだけど。みんなでガマンしようね」 

 おそらく卒業旅行なら、それすら良い思い出だったでしょう。しかし、四人の心はすでに冷えていました。



 部屋の真ん中には茶色く大きな机と給湯セット。夕食もなく、持ち込みOKということです。ただ、電子レンジもなく置かれているのはポットだけ。旅館の通路で見たカップラーメンの自動販売機ですませと言いたいようでした。


「私は疲れたから、もう寝るね。ご飯もいい。お風呂も朝にするから」

 LIFEゲージ0の私です。

 独断で小休憩を選択。それもそうでしょう。自分がいじめていたミドリの飛び降りから、その彼女の手首にさんざん追い回されるまで、ずっとなれない運転です。あまりに長い発狂の時間でした。


 私は私服姿のまま、座布団を二つ折りにして横になります。残された三人は旅先で買ったお菓子を出し合い、食べ始めました。


 ウルルが机にほおづえをつきながら、ヒラリを誘う声が聞こえます。

「どうする? カップラーメンでも買いにいく?」

 時計はまだ21時を差したばかりです。それでも、ヒラリは断わりました。

「よく、アスリートがそんなことを言うわね。寝る前に食べると太るじゃない」

 けれど、ウルルはお菓子をほおばりました。

「元だから、元アスリート。それにつかれたときはちゃんとカロリーも取らないと」

「で、あの骨董品こっとうひんみたいな自動販売機? 笑わせる。絶対、お腹壊しそう」 

 きっと、みんな。さっきの最悪な体験を忘れようと必死なのでしょう。


 そんなくだらないおしゃべりが聞こえていましたが、声のトーンが変わります。それはマドカがテーパックを湯飲みに入れてお茶を作ろうとしていたときでした。

「アレッ? 湯飲みが三個しかないけど。 四人部屋なのに一個、少なくないかな?」

「別に、いいんじゃない。もう、アケミは寝てるし」

 ウルルの投げやりな発言。でも、私。横になってはいても意識はありますけど!とは、さすがに言えませんでした。


 さて、給水と。マドカはポットを持ち上げます。

 しかし、エッ? 入っている? 思わず両手持ちです。旅館の人が事前に入れておいたのでしょうか? お湯が入っていて、すでに保温状態でした。

 ちょっと、気にかかりますが、それでもポットの頭を押すと


 ズ、ズズズズ………。


 鼻水をすするような音。湯気を出して、湯飲みに注がれます。その湯飲みは、すぐにティーパックのミドリ色に染まりました。

 ただ、中央の表面を黒いものがクルクルと回り始めます。もしや、茶柱でしょうか? その答えは


「うわっ!!! 何、これ!!!」

 思わずマドカの声。なんと、そこには複数の虫の死がい! ポットからでした。

 それを見たヒラリも飛び上がり、悲鳴です。

「なんで、こんな!!! ちょっとヒドくない!!!」

 じゃあ、このポットの中はどうなっているの? 想像するだけで飲みたくありませんでした。ウルルは証拠になると、スマホで動画を撮ろうとしました。でも、なかなか動画モードになりません。そこでいったん、スマホを別のアングルに変えるのでした。しかし、そこからあることに気づいていくのです。


「ちょっと、あの障子のシミ。柱もさぁ。人の顔に見えなくない?」

 外の障子には三つの穴が開いていました。そのため、うっすらと黄色いシミと合わせて見えなくもない。そして、柱のこぶもでっぱりで人の顔のように見えてしまいました。


 まるでムンクのさけびのような、苦しくゆがんだ顔。その濃いシミが、流れるラインがそう思わせるのです。そうなると、逆に探し出す。あの天井の木目は? ふすまの汚れは? よく見ると、だんだんそのように見えてきました。


 しまいにはウルルが探しに立ち上がります。

 その障子を開けると、すぐにガラス戸。それも開けると、手すりつきのベランダがありました。外は深く、真っ暗な闇。外灯の一つも立っていません。

「なるほどね。それなら、光ってるこの旅館に虫も入ってくるものだ」


 なぜか感心しているウルルです。後ろのヒラリとマドカは早く閉めてと願っていました。それはまだ、春の夜は寒く、白い吐息へと変わります。髪の先から凍っていく感覚。目が慣れたウルルはひどく暗い顔で振り返りました。

「ヤバい。この部屋、メチャメチャおかしいよ………」



 木造で、不安定なベランダ。

 イスもライトアップもありません。そして左側。急に空気が重かったのです。

 おそるおそる目線をおくると、そこはトイレでした。


 ベランダにトイレ? 個室風呂やサウナなら分かりますが、ポツンと隠れるようにあったのです。それもトイレのトビラには上の部分がなく、のぞける意味不明さ。 

 木造のトビラで少し傾いています。おそらく和式でしょう。天井には裸電球のコードがぶら下がっているように見えました。


 ヒラリもマドカも顔を出します。すぐにヒラリからはため息がもれました。

「はぁ~~~。何この作り?

 部屋を変えてもらうにも、アケミは寝ちゃったし」

 三人は肩を落としますが、ふと部屋からの物音に気づきます。


 ササササササ、それは小動物が地を走る音でした。

 ガラス戸を開けている間に侵入されたのでしょうか? ただ、三人の目があれば、何らかの目撃はあったはずです。

 とても耳ざわりで二度と聞きたくない。それがアケミが寝ている、そのきれいな髪に『何か』が入り込むのを目撃したのでした。



 「ヒラリ……、マドカ……、見た?」

 さすがのウルルも声が震えていました。走り去る影。とても表現が追いつかない。あまりの速さに目も追いつていませんでした。もしかして暗いところから急に明るいところを見たせいでしょうか? いいえ、物音がしたのですから。

 もしかして………?

 その言葉の先はのどの手前で引っかかり、なかなか出ませんでした。ただし、間違いなく見たと確認し合います。つまりはこの部屋にまだ『何か』が、いる! 寝ているアケミに入り込んだ。


 三人は黙りきり、耳に集中します。まだ、どこだ。。。。どこにいる。

しかし、集中しているのは彼女たちだけではありませんでした。

 じっと視線を感じる。

 そう、個室トイレの中からのぞかれている気配を感じました。背中に激しい悪寒。あの、暗がりからも『何か』がのぞいているぞと脳が伝えてくるのです。


 もう、ウルルはさけんでいました。

「ダメだ、なんもかんもそう見えてくるし、そう思い込んじゃう。やっぱ、部屋を変えよう!」

 ただし、ヒラリはここでも断わります。

「それは無理! こっちはお菓子もひろげて、お湯も出して、かなり使っている。クレーマーだと思われたら大変よ!」

 にらみつけるウルルです。

「そんなこと言ってさ! 自分にマイナスになるだけでしょ! ただのしょーもない議員の家族が、こんなところでウワサが広まる? ど~~~でもいい、いい」

 ああん? ヒラリのとがった目でした。

「無知のウルルは知らないのよ。口コミの怖さ。気のゆるむ旅行中ってのが一番、危険なんだから!」

「ハンッ! 今までミドリをいじめきたヒラリがどの口な? 気を集中していじめてたってこと?」

「ハアッ? このストーカー女に言われたくないんですけど」

 ツバの飛び交う醜い応酬です。

 逆に、外はとても静かでした。たまらずマドカが仲裁です。


「二人とも、やめてよ。

 ウルルは結構夜なんだしさ、部屋替えは無理かもね。それよりとなり同士は部屋なんだから声響くよ。

 とりあえず私がフトンを敷いておく。その間、受付にでも説明してきてよ」

 二人はふくれた顔をいったん解除。距離をあけ、無言で受付へ向かいました。


 残されたマドカは一人、ガラス戸と障子も閉めます。二人の足音が聞こえなくなった後、ぐったりとしてつぶやきました。

「ホント、うっせぇわ。あの二人もホント、死んでくれればいいのに」



 使えない有料テレビ。全員のスマホもバッテリーが赤表示です。

 マドカは机を引きずりながら部屋の隅へ移動。荷物もまとめて、せっせと寝床のスペース作りです。

 アケミの体。さすがに引きずるわけにはいきません。どうしようかと悩みます。現役合格した三人。ホント、自由だよね。マドカはだんだんと腹が立ってきました。


「ケッ! でもさぁ、アケミの場合は担任にさんざんコビ売っての推薦じゃん。ウルルだって、スポーツ推薦? このバカ食い女のストーカーが! ヒラリだって、おんなじよ。親のツテで大学に受かったようなもんだし。

 世の中、要領の良いやつだけがおいしい思いしてるって、ふざけんなよ」


 小声は大きくなっていました。ふと、顔面を踏みつけたい衝動へかられます。しかし、そんなことはできません。この卒業旅行で踏ん切りをと、思っていましたから。マドカにとって、これで彼女らとは終わりの旅行と決意していましたから。

 

 だって今後、彼女たちと付き合っていたらキャンパスライフの話に絶対、およぶでしょう。そこで、うらやましいとは口が裂けても言えません。

 もう準備、準備と。気持ちを切り替えて、押し入れのふすまに手を入れます。

 暗がりに白いフトンの山。マドカはかまわず両手ごと、突っ込みました。


 ただ、

 あ、あれれ?

 フトンの中で『何か』とぶつかる。急いで手を引っ込めると、小指にからまっているけど! 誰かの小指と! 

 喉頭が、瞳孔が、開いて止まない。心臓が握りつぶされそう。それほどのきちがいな衝撃。しかし、マドカは自分でも気づきませんでした。自分がさめざめしく笑っていたことを。 


「くふふふふぅ!

 なぜ、私たちは悪いことしてないのに、

 いつも隠れて、

 様子を見て、

 へつらって、

 ご機嫌取り。正直、もううんざり。

 ウルルも死ね! ヒラリも死ね! アケミは苦しんで苦しんで殺す!」

 フトンの奥からも笑い声が共鳴する。それは小指と小指が結ばれるほど固い約束でした。 

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