第6話 誓ってよ! 綾小路円夏(マドカ)はその重さを知っている。

 通り雨の駐輪場。

 屋根にはバシバシと雨音が響きます。私の背後には吸いつくように重なるマドカです。それも首筋をじっとりとなめ、用意していた白いタオルで私の胸の前へ回すのでした。

 その、やわらかなタオルはゆっくりと鎖骨を通過。細い首をじっくりと通り、そのまま頭部へ。私のぬれた頭をガシャガシャとふき始めるのです。もちろん、私はひじを投げて拒みます。

「もういいから! もう帰るから!」

 幼い子ならいざ知らず。勝手に頭をふかれる不機嫌さ。私が振り返ると、頭からずぶぬれのマドカはニヤリと笑っていました。

 ええ、つやのある青紫の口紅がよくしゃべる。

「フフッ、殺されると思った? 冗談よ、冗談。

 ちょっと、アケミをからかいたくなっただけ。ていうか、今の今まで、ループの話も全部うそなわけ。ビビった? 私がおかしくなったと思った? ホントの話、私たちはアケミのことをウザいと思ってるから」

「ハアッ?」

 私は眉間にしわをよせます。

 その口調と態度。おこがましくて非常に不愉快です。そこにはツバを吐き捨てるマドカがいました。

「だって、そうでしょ? あの大橋での夜。アケミは勝手に寝ていたんだし。あの後、ホントに大変だったんだから」

 エッ? 私にとっては初耳です。

 確かに旅館へ着いた後、疲労が重なり三人より早く寝ていました。気がつけば、朝。その間、知らない事実でもあったのでしょうか?

 マドカはツラツラと話し始めました。


 千住大橋から無我夢中で逃げ帰った四人です。山道を車で駆け下り、うっそうとした一本道を抜けるとそこにはさびしい一軒家がありました。しかし、その旅館ですら廃屋のような有様でした。

 ツタでからまる木造の二階建て。駐車場は満車であるのに人の気配がまったくない。自動ドアもなぜか手動で、手あかがいっぱいです。受付ではベルを鳴らさないと出てこない。出てきてもなかなか受付すらしてくれない。

 さらには廊下もギシギシと床がきしみ、かすんだ風景画ばかりが飾られている。通された部屋も、ふすまの間に簡単なカギを差し込むタイプでした。立て付けが悪いのかなかなか開きません。少し片側のふすまを上げて、ようやく開きました。

 電気をつけると、そこには八畳の和室です。畳は日焼けした焦げ茶色。ささくれさえありました。

「クソボロい部屋ね。よくこれでお金を取れる」

 着いて早々、グチをもらすのはヒラリです。

 小さなテレビに小さな冷蔵庫。ムダな掛け軸にムダな花びん。WI-FIもなく、飛んでいるのは小バエでしょうか。ぶんぶんと電気のカサを無限飛行です。

 きっと、外へのぞむ障子しょうじに穴が開いているからでしょう。ウルルも舌打ちしていました。

「チェッ! これじゃあ、まるでお化け屋敷じゃん。今日はどこまでもついてない」 

 おそらく楽しい卒業旅行なら、それすら良い思い出になったでしょう。しかし、四人の心はすでに冷えていました。


 部屋の真ん中には茶色く大きな机と給湯セット。夕食もなく、持ち込みOKということです。ただ、電子レンジもなく置かれているのは白いくすんだ花がらのポットだけ。旅館の通路で見たカップラーメンの自動販売機ですませと言いたいようでした。

「私は疲れたから、もう寝るね。ご飯もいい。風呂も朝にするから」

 LIFEゲージ0のアケミです。それもそうでしょう。自分がいじめていたミドリの飛び降りから、その彼女の手首にさんざん追い回されるまで、ずっとなれない運転。あまりに長い発狂の時間でした。

 私服姿のまま、座布団を二つ折りにして横になるアケミです。残された三人は旅先で買ったお菓子を出し合い、食べ始めました。

 ウルルが机にほおづえをつきながら、誘います。

「どうする? カップラーメンでも買いにいく?」

 時計はまだ21時を差したばかりです。それでも、ヒラリは断わりました。

「よくアスリートがそんなことを言うわね。寝る前に食べると太るじゃない」

 けれど、ウルルはお菓子をほおばります。

「モトだから、モト。それに疲れたときはちゃんとカロリーも取らないと」

「で、あの骨董品みたいな自動販売機? 笑わせる。絶対、お腹壊しそう」 

 きっと、さっきの最悪な体験を忘れようと必死なのでしょう。

 そんなくだらない二人のおしゃべりの間、マドカはテーパックを湯飲みに入れてお茶を作ろうとしました。ただ、湯飲みが三個しかないって? 四人部屋で一個、少なくないかと思いました。

 とりあえず、考えないようにしましょう。いつだって考えすぎは悪い方へ繋がりますから。

 さあ給水、給水と。マドカはポットを持ち上げます。

 しかし、エッ? 入っている? 思わず両手です。確かこれって人の頭、三人分の重さに違いありません。旅館の人が事前に準備していたのでしょうか? お湯がすでに保温状態でした。

 ちょっと、気にかかります。それでもポットの頭を押すと

 ズ、ズズズズ………。

 鼻水をすするような音。注がれる湯飲みには、ミドリ色の表面を黒いものがクルクルと回り始めました。もしや、茶柱でしょうか? その答えは

「うわっ!!! 何、これ!」

 思わずマドカの声。なんと、そこには複数の虫の死がい! ポットからでした。

 それを見たヒラリも飛び上がるように悲鳴です。

「なんで、こんな! ちょっとヒドくない!」

 じゃあ、このポットの中はどうなっているの! 想像するだけで飲みたくありませんでした。ウルルは証拠になると、スマホで動画を撮ろうとしました。しかし、あることに気づいていくのです。

「ちょっと、あの障子のシミ。人の顔に見えなくない?」

 外へのぞむ障子には三つの穴が開いていました。そのため、うっすらと黄色いシミと合わせて見えなくもない。ただし、テレビのとなりの柱のこぶはより一層、人の顔に見えました。

 苦しくゆがんだ顔。その流れるラインが、濃いシミがそう思わせるのです。そうなると、逆に探し出す。あの天井の木目は? ふすまの汚れは? よく見ると、だんだんそのように見えてきました。

 しまいにはウルルが探しに行きます。障子を開けると、すぐにガラス戸。それも開けると、手すりつきのベランダに出ました。外は深く、真っ暗な闇につつまれていました。

 まだ、春の夜は寒く、白い吐息へと変わります。髪の先から凍っていく。ウルルはひどく暗い顔をしていました。

「ヤバい。この部屋、メチャメチャおかしいよ………」


 木造で、不安定なベランダ。床にはミドリ色の人工芝生しばふが敷いてあるだけで、イスやライトアップもありません。そして左側だけ、急に空気が重かったのです。

 おそるおそる見ると、アンモニア臭が立ち込める……トイレでした。

 明らかに一人用でしょう。個室風呂やサウナなら分かりますが、ポツンと隠れるようにあったのです。それもトイレのトビラには上の部分がなく、のぞける意味不明さ。天井には裸電球のみでした。

 ヒラリもマドカも顔を出します。すぐにヒラリからはため息がもれました。

「はぁ~~~。何この作り、気味が悪い。

 部屋を変えてもらうにも、アケミは寝ちゃったし。どうしようもないか」

 三人は肩を落としますが、ふと部屋からの物音に気づきます。

 ササササササ、それは小動物が地を走る音でした。

 畳を走り、とても耳ざわりで二度と聞きたくない。アケミが寝ている、その露わになった彼女の足首から『何か』が逃げ去るのを目撃したのです。

「ヒラリ……、マドカ……、見た?」

 さすがのウルルも声が震えていました。走り去る影。とても表現が追いつかない。あまりの速さに目も追いつていませんでした。もしかして暗いところから急に明るいところを見たせいでしょうか? いいえ、物音がしたのですから。

 もしかして………?

 その言葉の先はのどの手前で引っかかり、なかなか出ませんでした。ただし、間違いなく見たと確認し合います。それも隠れる場所はないんです。つまりはこの部屋にまだ『何か』が、いる!

 三人は黙りきり、耳に集中します。まだ、どこだ。。。。どこにいる。

しかし、集中しているのは彼女たちだけではありませんでした。

 じっと視線を感じる。

 そう、個室トイレの中からのぞかれている気配です。ですが、とてもそちら側を見れない三人です。あの、暗がりのトイレから『何か』がのぞいているぞと脳が伝えてくるのです。

 もう、ウルルはさけんでいました。

「ダメだ、部屋を変えよう!」

 ただし、ヒラリはここでも断わります。

「それは無理! こっちはお菓子もひろげて、お湯も出して、かなり使っている。クレーマーだと思われたら大変よ!」

 ウルルの疑いの目。

「そんなこと言ってさ! 自分にマイナスになるだけでしょ! ただの議員の家族が、こんなところでウワサなんか広まるかって!」

 ああん? ヒラリのとがった目でした。

「一般人のウルルは知らないのよ。休み中ってのが一番、危険なんだから!」

「フンッ! 今までいじめで楽しんできたヒラリがどの口なのさ?」

「ハアッ? このストーカー女に言われたくないけど」

 ツバの飛び交う醜い罵声の応酬です。逆に、外はとても静かでした。たまらずマドカが仲裁です。

「二人とも、いいからやめてよ。

 ウルルは結構夜なんだしさ、部屋替えは無理かもね。ヒラリもここは外なんだから。とりあえず私がフトンを敷いておく。その間、受付にでも説明してきてよ」

 二人はふくれた顔をいったん解除。ウルルが受付へ、その横でヒラリがフォローすることになりました。

 残されたマドカは一人、ガラス戸と障子も閉めます。二人の足音が聞こえなくなった後、ぐったりとしてつぶやきました。

「ホント、うっせぇわ。あの二人も死んでくれればいいのに」


 使えない有料テレビ。全員のスマホもバッテリーが赤表示です。

 マドカは机を引きずりながら部屋の隅へ移動です。荷物もまとめて、せっせと寝床のスペース作りです。だって音でも立てていないと、動いていないと、怖くて怖くて。

一人のときほど、見えないものが見えたり聞こえたりしたら、とても逃げられないでしょう。今でもホラッ、薄目でした。できるだけ必要以上ものを見ないようにしましょう。ただ、不安な足もとにはアケミの安らかな寝顔がのっそりと。

 現役合格した三人はホント自由だよね。マドカはだんだんと腹が立ってきました。

「ケッ、余裕かよ! 

 でも、アケミの場合は担任にさんざんコビ売っての推薦じゃん。ウルルだって、スポーツ推薦? このバカ食い女のストーカーが! ヒラリだって、おんなじよ。親のツテで大学に受かったようなものだし。

 世の中、要領の良いやつだけがおいしい思いしてるって、ふざけんなよ」

 小声は大きくなっていました。ふと、顔面を踏みつけたい衝動へかられます。しかし、そんなことはできません。この卒業旅行で踏ん切りをと、思っていましたから。マドカにとって、これで終わりの旅行と決意していました。だって今後、彼女たちと付き合っていたらキャンパスライフの話に絶対、およぶでしょう。そこで、うらやましいとは口が裂けても言えません。

 さあ準備、準備と。気持ちを切り替えて、押し入れのふすまに手を入れます。

 スルスルと開けると、暗がりの小スペースに白いフトンの山。マドカはかまわず両手ごと、突っ込みました。

 ただ、

 あ、あれれ?

 フトンの中で『何か』とぶつかる。急いで手を引っ込めると、小指にからまっている誰かの小指が! 青紫の手首が重さとともに現れる!

 喉頭が、瞳孔が、開いて止まない。心臓が握りつぶされて吐き出せない。それほどのきちがいな衝撃。しかし確か、マドカはさめざめしく笑っていました。 


「へへへヘヘッヘヘッヘッ。

 なぜ、私たちは悪いことしてないのにいつも隠れて様子を見て、へつらってご機嫌取り。正直、もううんざりよ。

 もう、怨霊でもいい。クソみたいなやつらを、未来に喜ぶやつらを、ぶっつぶしたい!」

 フトンの奥からも笑い声が共鳴する。それは小指と小指が結ばれるほど固い約束でした。





 

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