9話

 暗闇。


 天国でも、地獄でも無さそうだ。ここから俺は、無に還るのか?


「すみお」


「なに、はるあき」


 見れば幼い頃の俺と、本を読む墨生すみおがいた。


「なんでおまえ、いつも本よんでんの?」


「オレははるあきと違って…トモダチ、いないから」


「オレとはトモダチじゃないのかよ、遊ぼうよ」


 驚く墨生の手を引いて、外に連れ出す幼少期の俺。フッと、ロウソクの火のように消えてしまった。これが走馬灯と言うやつだろうか。


 次々と現れては、去っていく。


 帰り道で白線以外マグマゲームをした時、些細なことで喧嘩した時、仲直りした時、弁当のおかずを交換した時、友達とゲームで白熱した時、皆と遊園地に行った時。すっかり忘れていたもの、今でもずっと覚えているものも、綺麗に映し出されていた。


 懐かしいなぁ。浸っていると、何処かの台所が映る。嫌でも見覚えがあった、食葉家の台所だ。血塗れになった墨生と、墨生の植物に絡みつかれている茉白ましろちゃんが映っている。


「は?なにして」


 根を、茉白ちゃんの腹に突き刺していた。グジュリと、決して気分の良くない音が聞こえる。まさか、墨生がこんなことする訳が


「はるあき…」


 先程と同じ幻だと思っていた、消えると思っていた。だが墨生は、今にも泣きそうな顔で歩み寄って来る。


「お前、なんで」


「はるあき…おれ、どうしよう……」


 縋りつくように、俺の手を強く掴んでくる。おそらく茉白ちゃんの血でべっとりと汚れた。


「…償うしか、ないんじゃねえの?」


「罪滅ぼしのために、死ぬからさ、だからさ、はるあき……と一緒に、死んでくれない?」


 楽しそうに、笑っていた。細めた目は緑色で、不気味に光っている。罪滅ぼしをする奴の顔じゃねえ。

 ──こいつは

 直感的にそう思った。しゅるり、しゅるりと、蔓が獲物を絞める蛇のように巻きついてくる。コイツは墨生の振りをした、誰なんだ?!


「なあ、はるあき…」


「離せッ!」


 突然、轟々と胸から炎が溢れ、俺の身体を包む。巻きついてきた蔓と、墨生の顔にある植物が燃え上がった。


「アア゛ァア゛ッ!?」


 仰け反り、離れていく。俺は目を逸らしてしまった。中身が違うとはいえ、友人が燃やされているところなんて、誰も見たくないだろう。




「…お前も、を拒絶するのか……?」


 聞いたことのない、墨生のか細い声。見ると目はいつも通り黒く、移った炎は既に消えていた。こいつの泣き顔を見るなんて、何年ぶりだろう。墨生の言葉に、俺は何も返すことができなかった。


「…はるあき……。」


 墨生の肩には、謎の手が置かれていた。目を凝らせば闇から、墨生とよく似た容姿の男が現れる。黒髪黒目、どこにでも居るような特徴だ。でも似ているどころじゃなかった、何一つ変わらない。身長も、顔のパーツも肌の色も、何も違わなかった。


「悲しいよね、苦しいよね、辛いよね」


 声も同じだった。双子の兄も弟も、墨生にはいないのに。男は手でそっと、墨生の右目を覆い隠した。


「一度眠ってこんなこと、忘れてしまおう」


 男がそう言うと、墨生の腕が力無く揺れた。本当に眠ってしまったらしい。微かに、規則正しい寝息が聞こえた気がする。


「誰だよお前、墨生に何を」

「今何かしたのは、君じゃないか。君は墨生を拒絶した」


 近づこうとすれば、指先を向けられた。

 違う。俺は別に墨生を拒絶したわけじゃない。中身の違う、墨生じゃない何かを拒絶したつもりで


「可哀想な墨生。ただ押し込めていた望みを、解放しただけなのに。不純物の混じった人間に…」


「不純物?…なんのことだよ」


「ふっ。きっと近いうちに、わかるよ」


 男は俺の左胸を見ているようだった。

 不純物。先程溢れ出てきた、炎のことでも言っているのか?


「さぁ、そろそろ戻ろうか、墨生」


 背を向ける男と墨生の姿が、サラサラと砂のように消えていく。止めようとするが足は動かなかった、何かに掴まれているようだった。でも、手は伸ばせる。鋭利な棘が肌を突き刺し、止めてくる。だが、構っていられない。俺はそのまま強引に手を伸ばす。こういう時、ガムみたいに伸びれたら便利なのにな!


「待て、墨生ッ!!」


 男がくるりと振り返って、


「ぼくも呼んでよ、クワってさ」


 微笑んできた。


 黒い茨に覆われ、視覚が役に立たなくなる。届きそうで、全く届かなかった。身体がふわりと、宙に浮くような感覚になる。

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