5話

 顔に大きな傷がある中年刑事が、火をつけたばかりのタバコを咥えて家を見上げる。植物に覆い尽くされた一軒家。トレンチコートが引っ掛かりそうになるが、ズカズカと中へ踏み入る。ある程度切られてはいるものの植物は複雑に絡み合っており、奥に進むほど量が多くなる。 煙草に混じった異臭を、男の鼻が拾う。


「よお、花曇はなぐもり


 辿り着いたのは台所。床に放置された包丁、異臭の原因の一つは作りかけの料理のせいだろう。タバコの煙を吐きながら、ひらひらと手を振る相手は顔色の悪い若手刑事。暗い緑のスーツに、橙色の髪がよく目立つ。彼の向こうでは全身を暗青色に身を包まれた鑑識課員、三名ほどが忙しそうにしていた。


「ああ、お疲れ様っす…名残なごり警部…」


「お前さんまァた顔色悪いじゃねえか、外出るか?」


「血がダメなだけっす、大丈夫です…」


 花曇と呼ばれた若手刑事はずっと手で口元を押えていて、今にも吐きそうな様子。なんでコイツは刑事になったんだろう、名残はいつも思っている。血がダメ、と言いつつ彼は死体も苦手だ。ホラー映画なんて見た日には、一人で布団から足を出して眠れないのではないだろうか。


「…似たような事件は最近幾つかあったが。今回のはとびきり派手だな」


 パシャリ、パシャリとシャッター音とため息が響く。彼がこうなった原因は二つの遺体だ。幸せそうに女を抱きしめて笑う男。見たところ学生だ。女の頭に手を置いているのは、死の直前まで撫でていたのだろうか。

 一方で、女の顔は恐怖で歪みきっている。髪は白く、何本も抜け落ちてしまっていた。肌は皺だらけ、セーラー服に身を包んだ木乃伊ミイラが出来上がっている。全身が男から生えた植物に貫かれ、絡みつかれ、根が張り、花が咲き。逃がさないと言わんばかりだ。大きく開かれた口、裂かれた腹には臓器の代わりに植物が詰め込まれていた。惨たらしいことこの上ない。名残はフゥと煙を吐いたあと遺体に頭を下げ、手を合わせる。


「兄妹、うぅん兄妹か?」


「…DNA鑑定しますよ、念の為」


 鑑識課員の一人がぼそりと呟く。


「だよなァ。開花病が、深刻化でもしたのかねえ」


「は?いや、開花病はそんな病じゃ」


「冗談だよ、早めに検視回しとけ」


「俺は他ン部屋見てくる」と花曇の返事も待たず、名残は台所から去り、彼の吸っていたタバコの匂いだけがほんのり残る。落ち着いてきた花曇はまじまじと、遺体を観察した。人間の体はほとんどが水分と言っていい。成人男性だと、60%ほどだったか。それを全て奪われた人間が、こうなってしまうんだろうか。


「植物が奪った。…そんな、非現実的な考えでいいのか?」


 眉間を押え、首を思い切り横に振る。一旦そんな推理を振り払い、別のことで頭を埋めていく。


「納体袋にどう入れる?二人を引き剥がして入れるのか?勢い余って、遺体が損壊するのではないか?遺体修復エンバーミングで木乃伊はどうにかなるものか?厳しすぎやしねぇか?…今日の昼飯はどうするか。いや要らない、口が拒む。こんなもの見たあとに物を食えるわけがねえ。じゃあ晩飯は?まぁテキトーにジャンクフードでいいか。…待て、ちゃんと帰れるか?名残警部が飲みに誘ってくるかもしれない。断りたい。顔に大きな傷のある強面で、笑い上戸のオジサンだ。頼り甲斐のある善い人だけど飲みは嫌だ。美女なら許せた、喜んで飲みに行った。でも俺のことだからどうせ断れやしねえんだ。…この植物はなんなんだ、イボイボしたこれはツボミか?虫に見えなくもない。同僚にも何人か開花病患者はいるが、こんな植物もあるのか。一体なんの──」


 ゴン、と彼の頭を背後から叩く影が一つ。


「イッッテ!?」


「黙れないのか花曇」


「す、すんません、福木ふくぎさ」


「独り言が多すぎる、耳障りだ」


 花曇の詠唱を止めたのは鑑識課員の一人だ。先程からよくため息をつき、気怠そうにしていた女性。長いであろう銀髪を押さえつける帽子の下には鋭い黒眼。結構な力で叩いたらしく少し手をさすり、花曇を睨みつける。背丈のせいか高圧的だ。


「ふ、福木さん。この植物って、なんの」


「自分で調べようとしたらどうだ石頭刑事デカ


 言葉を途中でばっさり切り捨て、彼女は仕事を再開させる。彼女の背を見て花曇は肩をガックリ落として、スーツのポケットから画面端が割れたスマホを出した。手早くロックを解除する。

 とっ、とん。とっ、とん。リズム良く、画面を親指で弾いていく。ヒットするものを絞っていけば目的のものがヒットした。


「桑、Mulberryマルベリー…ああ、英語ではそうなのか」


 どうやらこの植物は桑と言うらしい。検索候補サジェスト・キーワードに「桑 花言葉」と出てきて花曇はなんとなく、それを押してみた。


「ロミオとジュリエット?悲恋、ギリシャ神話?」


 一番上に出てきたまとめサイトを開き、目から入った情報は花曇の口からぶつぶつと溢れる。彼を止めるものは現れない。鑑識課員の福木はイヤホンをつけて無視しているようだった、少しばかり音が漏れている。

 スクロールする指が、ピタリと止まった、彼が目を惹かれたのはたったの五文字。


「共に死のう」


 読み上げて、六文字。こんなもの、いくらでも彼は変な推理をしてしまうじゃないか。


 桑の実が転がり、踊る。


 ────ぐしゃ


 実が潰れ、床と靴底を汁が汚した。福木とはまた違う女性の声、悲鳴が家中に響き、その場の全員の視線が集まる。


「おろしたばっかの靴なんだけど?!最ッ悪!花曇くんティッシュある?!」


「何してんすか徒野あだの警部補!靴は履き替えて来いって警部に」


「一軒家の中がこんなジャングルになってるとは思わないじゃん!!」


 シャツのボタンもネクタイもろくに締めず、下着と胸が見えている。くっきりと脚のラインがわかるパンツスタイル、スーツは肩にかけるだけで今にも落ちそうだ。刑事らしからぬ服装だが、警察であることを悟らせぬ。ある意味、正しい服装なのかもしれない。片手にはコンビニの袋が握られている。呆れながらも花曇は彼女にポケットティッシュを手渡す。服装について触れないあたり、いつものことなのだろう。徒野はシンプルなデザインのソレから二、三枚のティッシュを取ると靴に付着した汁、潰れた実を拭きとると証拠品エビデンスと書かれている袋の辺りにこっそり丸めたティッシュを投げる。気づいた人間に捨てさせるつもりなのだろう。


「共に死のうとか言ってたけどなに、新手の告白?福木ちゃんとかに?」


 視線を感じて、花曇カエルが振り返れば福木ヘビがこちらを睨んでいる。


ちげェです!花言葉っす、花言葉!この植物について、調べてたら出てきたんです。」


「あら、意外とロマンチストだったの?花言葉なんてテキトーに付けられてんのに」


「でもアタシ、そういうの好き」なんて若干のフォローをして、今度は持っていた袋を花曇へひょいと投げる。慌てて受け取り、中身を見ると差し入れだった。コーヒーやエナジードリンク、紅茶など、覚醒作用カフェインがあるものばかり。視線を彼女に向けるとしゃがんで、兄妹らしき遺体を見始めていた。花曇は気になっていた缶コーヒーを一本取ると片手でタブを開き口をつける。苦くて濃い、油断すると胃もたれしてしまいそうなブラックコーヒー。おかげで彼の顔は引き締まった。



 ────ぴくり。

 遺体が微かに動いたことに気がついたのは、一人だけ。

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