二話

マーガリンとジャムを塗った、簡素なトーストをもそもそほおばりながら、昼のニュースを観ている。

観ていたというか、光と音がテレビから漏れるのを眺めていた、と言った方が正しい。観たい番組は無かったけど、なにか音が鳴っていないと寂しい気がした。珍しい感覚でもないだろうが、一種の現代病なのかしらん。


時間的にはもう正午をまわっていたが、だらだらと昼まで寝ていたせいで胃がまだ準備中だったので、パンだけ食べることにした。

焼いてジャムを塗っただけのパンといっても、日本の店で売っている食品に不味いものはそうそうないので、僕の舌ならじゅうぶん満足できる味だ。

にもかかわらず、僕が浮かない顔をしているのは、昨日、小学校からの付き合いがある友人から届いたメールが原因だった。


『タイムカプセルを掘り起こすので、行きませんか?』


挨拶などを割愛して要点だけまとめると、だいたいこうだ。

大学の春休みが始まって、暇を持て余すことが多かったので、予定ができること自体は歓迎している。

問題は、タイプカプセルなどを埋めた記憶がないということだった。

不審に思ってメールをよく読み返すと、「私が個人的に埋めた」という文章が目に入った。

一人で埋めたなら一人で回収してくれよ。

自分が小学校で彼と出会い、今に至るまでの十数年の思い出には、彼の起こす問題に巻きこまれた苦渋の記憶が多分に含まれていた。


食べ終わった朝兼昼食の片付けをして、最低限の荷物を持っていつでも出かけられる状態まで準備しておく。

不安は残るが、10年以上友達を続けているだけあって彼のことは決して嫌っていないし、退屈している時に外に出るきっかけをくれるのはありがたい。

もう一度持ち物を見て、忘れ物がないのを確認してドアノブに手をかけたところで、


「……おっと、危ない危ない」


テレビが点けっぱなしだったことに気づいた。

一旦靴を脱いで、リビングに戻る。


『先日起きた殺人事件の容疑者は未だ逃亡中で……警察は周辺の防犯カメラを解析するなどして捜査を……』


じっくり見たい内容では、どうやらなさそうだ。食い気味にリモコンの電源ボタンを押すと、液晶は真っ暗になり、何も言わなくなった。

アナウンサーは、事件はここからそう遠くない場所で起きたと言っていたが……こういうことは考えても仕方がない。

静かになったリビングを後にした。

外に出ると、あたたかい光を肌に感じて空を見上げた。小春日和といった気候で、もっと薄手の上着に着替えようかとも思ったが、目的地の方角にかかる雲を見たところ、その必要もなさそうだった。




「なぁ、なんで鬼なんだと思う?」


彼と合流し、案内に従って歩いた先には、鬱蒼とした森が口を開けて待っていた。

タイムカプセルを埋められそうな場所というとかなり候補が絞られるので、途中から察して覚悟はしていたのだが、いざ目の前まで来るとやはり尻込みしてしまう。

隣を見やると、僕のリアクションを楽しむような彼のにやけ顔があった。

ここまで来て引き返すのも癪なので、引き続き彼の案内で、森の中を進んでいく。


「この森がある場所さ、名前こそ山ってついてるけど、山ってより丘って感じだろ?ちょっとした展望台があるけど、そんなに眺めがいいってわけじゃないし」


さっきの話の続きだろう。

彼の話の通り、舗装された道が一本あり、そこをまっすぐ進むと展望台につくのだが、今は道を逸れたとこを進んでいる。


「だから熊とかイノシシとかの動物もいないし、川があったら河童が出るなんて言われたんだろうけど、川もないしさ」


だから、この辺には、人しかいない。

彼はそう言っていったん息をつく。


「人しかいないなら、鬼が出るなんて話にはならなそうだけど」


「そう?俺はむしろ逆だと思うね。鬼になれるのは、人間だけだろ」


なんだって?

鬼がどこから来たのかという話をしていたはずが、いきなり鬼が人間になるという話に飛躍してしまった。

いや、人間は鬼にはならないだろ...…

困惑する僕をよそに、彼は話を続ける。


「殺人鬼、っていうだろ?」


一瞬、脳裏に出かける直前見た事件のニュースがよぎる。


「人食い鮫とか人食い大蛇とか、パニック映画で出てくるだろ。動物が人を襲うのは大抵、食うためか自分を守るためだ。でも、人が人を殺すのはその限りじゃない。快楽殺人なんて言葉があるくらいだし」


話しながら、どんどん森の奥に進んでいく。


「だから、同じ人間と思いたくないっていう心理なのか、単純に人の道を外れたって意味なのか、人を殺した人は鬼と呼ばれた」


曇りなのに重ねて木立が日の光を遮り、森の中は夜みたいに暗い。


「じゃあ、ここでも昔、だれかが人を殺したってこと...…か?」


僕がそう言うと、先導していた彼は、足を止めてゆっくりこちらを振り返り...…


「さぁ?」


と首を傾げた。


「えぇ...…」


「この土地の歴史を調べて判明した、驚愕の事実、とかだと思ったのか?ぜんぶ想像だよ」


途中から身構えて話を聞いていたのが馬鹿みたいだ。

ただ、頭の片隅で昼のニュースの映像が断片的に浮かび上がって、さっきの話とのつながりを探そうとする思考が僕の中にあった。

関係ないことはわかっている。関係ないもの同士を無理やり結びつけても、意味は無い。


「お、そろそろつくな」


彼が言うと、立ち並ぶ木々の隙間にある、少し開けた場所にでた。

開けたといってもあまり広くはない。四畳半くらいだろうか?

なぜここだけ木が生えていないのかはわからないが、なにかを埋めるには確かにここが良さそうだ。


「こんなとこよく見つけたな……僕も誘ってくれたら良かったのに」


「だって、お前昔はこの森怖がってただろ」


確かに、小学生のころはここに近寄るのも嫌だった。なんなら今でも苦手意識はある。


「でも誘われたら全然行ってたと思う。気になるから」


「好奇心で好き嫌い克服するとか、変なやつだよな。俺が言えないけど」


「好き嫌いとは少し違う気がするけど……」




そんなこんなで、いざ掘り返そうという時に、とんでもないことに気づいてしまった。

なんと、地面を掘るためのスコップが入ったバッグを、コンビニのトイレに忘れてきたというのだ。

僕も本人も目的地に着くまで全く気づかなかったのは間抜けすぎる話だが、手で掘るわけにもいかず、忘れた方の間抜けが、バッグを回収して戻るまで、一人で待つ運びとなった。


改めて周りの景色を見回す。

相変わらず不気味な雰囲気だったが、落ち着いてみればなんてことのないただの森だ。むしろ静かで読書なんかに向いてるかもしれない、と思ったが、暗くて字が見えなそうだと思って、すぐにその考えを打ち消した。

静かで。

そういえば、森の奥といっても、標高でいえばほとんど同じところを歩いてきたので、住宅街とはそれほど離れてないはずだが、車の走行音なんかが聞こえてこない。

ふと、無意識に掌で自分の腕をさすっていることに気づいた。

厚着していたこともあるが、家からここまで、そこそこの距離を歩いてきただけあって、つくころには全身が汗ばんでいた。

汗が引いて体が冷えたのだろう。さっき言った通り、気温が下がるほどの標高ではない、はずだ。

そんなことを思っていると、一箇所だけ落ち葉が高く積もった場所を見つけた。

近所の人が掃除してまとめたということは無いだろう。人が入ってくるような場所じゃないし、なにより落ち葉は片付いていないし雑草も生えっぱなしだ。

彼が戻ってくるまでやることも無いので、落ち葉を崩してみることにした。

飛んできたサッカーボールを蹴って返すくらいの勢いで足を振り抜くと、落ち葉の山は呆気なく飛び散った。

露わになった地面には、宝箱も隠し通路もなく、ただむき出しの土があるだけだった。

まぁ、当たり前か、と思いながらも、そこには、確かになにか違和感があった。

むき出しの土...…そうだ、ここだけ雑草が生えていないのだ。土の色も若干、他の場所より濃い。ちょうど地面を掘り返したように。

ということは、彼はここにタイムカプセルを埋めたのだろうか。

しかし、彼が埋めたのは数年前で、それだけの期間があれば、雑草も生えるはずだ。

じゃあ一体誰が、なにを、人の来ないこんな場所に埋めたのだろうか。

そこまで考えた時、しゃがみこんだ僕に覆いかぶさるような影が、地面に落ちていることに気づいた。

後ろに、誰かがいる。


ここからコンビニまでは走っても5分、彼が戻ってくるにはまだかかる。

であれば一体誰が、こんな場所に来るのだろうか。

別に「誰か」である必要はない。散歩していた人がきまぐれで森の中に入ったか、それか、やはりここを掃除してる人が近所にいるのかもしれない。落ち葉を踏む音も、茂みをかき分ける音もしなかったが、僕が地面に気を取られて聞いていなかったと考えた方が自然だ。


頭ではそんな可能性を考えつつも、不思議と僕は、背後にいる「誰か」が、ここに何かを埋めた本人だという気がしてならなかった。


振り返らなければ。振り返って、誰がいるのかを確認しなければならない。

そう思って体を捻ひねろうとした瞬間、ヒヤリとした冷たい感触が、首筋に触れた。

これも見えない。角度的に、何が首に当たっているか分からない。

しかし、これ以上首を動かすと、”これ”が皮を破って、肉を押し分けて、やがて血が溢あふれ出す。

なぜかそんなシーンを想像して、体が凍ったように動けなくなってしまった。

背中に鳥肌が立つ。体温がさらに下がるのを感じる。首に当たっているモノを伝つたって、体の熱が奪われていくような錯覚さえ抱いた。


『なんで、お前がここにいる』


動揺しているような、上擦った男の声だった。


『お前は、俺があそこで、×××で殺したんだ』


僕を、誰かと勘違いしている様子だった。男が言っている場所を、最近どこかで聞いた気がする。

そうだ、昼にみたニュース。あの殺人事件の犯行現場。

あの事件の犯人が、僕の後ろにいるというのか。


『殺して、あそこに置いてきたはずなのに、俺についてきて、どこにいても、家にまで来やがるから、もう一度殺して、ここに埋めてやったんだ』


空気を引っ掻き回すような、不快な声で男はしゃべり続けた。

男は、僕以上に混乱して、焦っているのか、要領を得ない話をしている。

死んだ人間が家までついてくるなんて、ありえない。

ましてや、殺すなんて不可能だ。

死んでいるのだから。


『なのに、また出てくるから、見に来たら、やっぱり地面から這い出て来てたのか』


考えがまとまらない。

思考しても意味のない話をしているのだから、当たり前か。

それでもなんとか、男が、僕を殺したはずの相手だと勘違いして、地面から出てきたと思いこんでいることは分かった。


『そんなに俺が憎いのか。元はといえばお前が悪いのに。自業自得だ。俺は悪くない。悪くないんだ。どうしたら分かってくれるんだよ』


男がうわごとのようにしゃべり続けるのを聞くうちに、僕の中に、男の姿を暴きたいという気持ちが段々と湧いてきた。

自分でもなぜだか分からない。ただ、一方的に勘違いされて、気味の悪い話を聞かされて、腹が立っていたのかもしれない。

冷たくなった指先に血を送るようなイメージで、手を動かす。

手が動くことが分かったら、体に力をこめる。凝こごった空気を破るように、


『あぁ、そうか。また出てきたなら』


思い切って振り返って、


『もう一度、殺せばいいんだ』


男の全貌を、明らかにする。


「......え?」


そこには誰もいなかった。

ナイフを持った殺人鬼が立っている、僕がそう思っていた、いや、実際に立っていたし、感触もしたし、声もした、その場所には、乾いた落ち葉が散乱している他には、何もなかった。


「おーい、悪い悪い、待たせたな...…おい、大丈夫か?」


ハッとして振り返ると、バッグを担いで戻ってきた、見慣れた友達の姿があった。

気づいたら厚い雲は遠くの空に流れて、周りは明るくなっていた。

体温も戻って、少し暑いと思えるほどだ。

あれは、いわゆる白昼夢というものだったのだろうか。

あんなに不気味で、恐ろしく感じた男の声が、既に思い出せなくなっている。ついさっきの出来事なのに。

いや、だから、起きていないのか。

起こっていないから、思い出せない。ネガティブな話を勝手に結び付けて、変な妄想をしてしまっただけだ。

そう納得しようとした時、


「あれ、お前、首のとこ怪我してるぞ」


え?

自然と、首元まで手が動く。掌てのひらに、じっとりとした感触が伝わる。

顔の前まで持ってくると、その手は、真っ赤な血で濡れていた。




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