第305話 大混乱

 王国歴165年10月10日 午前12時40分 ユラニア城 教会にて


 3カ所で戦闘が継続する中、ティアナとフラプティンナはその場を離れられずにいた。

 まだ、洗脳はとけず、指輪の力も残っていた。

 しかも、近くには同じく洗脳されたままの司教がいる。


 その危険性に気がついたのはアリカタだった。


「誰か! その司教を遠くにやってくれ!」


 それを聞いたフリッツは司教の側に走り寄ると、


「さ、司教様。避難しましょう」


 と、司教のポケットにさりげなく退魔香を入れ、出口まで誘導する。

 けれども、魔族に睨まれた瞬間、


「お二人よ。神の前で誓うのです。そのお方を生涯愛することを」


 と、絶叫にも近い言葉で叫んでいた。

 魔族を愛することなどできない二人は、逡巡しながらも答えようとする。

 それを見たイルマは、ティアナの口を塞ぐ。

 同時にフラプティンナには、


「ロス! レオンシュタインのこと忘れたのかよ!」


 と、言葉で牽制する。

 愛しますと喉まで出かかっていた言葉をフラプティンナは飲み込む。

 司教は異様な力でフォルカーから逃れようと、暴れて教会内から出ることを拒んでいる。


「フリッツさん。危険だけど、二人を助けるには司教の力が必要ッスよ」


 そう言いながら、その司教を押さえつけたものが現れる。

 フォルカーだった。

 そこに、レオンシュタインとヤスミンが入ってくる。


(よし、全ての条件は揃った!)


 フォルカーの作戦はついに最終段階を迎える。


 アリカタは魔族と距離を取ると、ジュズを高らかに鳴らし、『喝!』と大音声を発する。 

 胸から小さな灰色の紙を2枚取り出し、左の人差し指と中指の間に挟んで、口の前に移す。


急急如律令呪符退呪呪符を用いて呪いを直ちに退けよ


 その瞬間、ティアナ達の四方に火が燃え上がり、そのまま5秒ほど青い炎を揺らす。 

 その火が消えた瞬間、虚ろだった二人の目が大きく見開かれる。

 そして、指にはめられている指輪を外そうとするが、どうしても指から離れない。


 レオンシュタインの側にいるフォルカーが大声で叫ぶ。


「二人とも! 結婚の契約を宣言しないと、指輪はなくならないッス!! 急ぐッス!」


 ティアナは、レオンシュタインの側に走り寄ると、指輪を着けた方の手でレオンシュタインの右手を握りしめる。


「私はレオンシュタインを生涯の伴侶とし、いかなる時も側に寄り添い、愛することを誓います」


 可愛らしくも必死な声が教会中に響く。

 司教はその場から逃げようとするが、フォルカーとフリッツががっちりと掴んで離さない。

 そうして、フォルカーはポケットに忍ばせていた対魔の指輪を強引に司祭につける。


「あんたは、人間の宣誓を祝福するッス!」


 愛を宣言したティアナはレオンシュタインの頬をそっと掴み、唇を近づけていく。

 ところが、レオンシュタインは思わず顔をそらしてしまう。

 戦いの最中とは言え、人前でのキスは恥ずかしい。


「レオンさん、何してるッスか」


 フォルカーの呆れたような声を聞きながら、ティアナはにっこりと微笑むと、おもむろにレオンシュタインの脇腹に右フックを叩き込む。


「ぐう!」


 レオンシュタインが思わず顔を下げた瞬間、その頭をガッキと掴むと、互いの唇を重ね合わせる。

 

「今ッス! 祝福を!」


 ぐいっと掴まれた腕を捻られ、司教は思わず、


「神の祝福があらんことを」


 と、叫んでしまう。

 その瞬間、ティアナの指輪が煙のように消える。

 静かにその場に座り込みながら、


「何だかロマンチックじゃないなあ」


 と呟いてしまうティアナだった。


 それを見たフラプティンナも、自分がすべきことを悟る。

 レオンシュタインの側に駆け寄ると、


「私もレオンシュタインの生涯の伴侶となり、いかなる時も側に寄り添い、愛することを誓います」


 ふわりとローズマリーの匂いが香ったかと思うと、フラプティンナもレオンシュタインに口づけを交わしていた。


「ほらもう一回ッス! 祝福を!」


 司教は今度は、大分しっかりとした言葉で、


「神の祝福があらんことを」

 

 と話すことが出来た。

 その瞬間、フラプティンナの指輪も溶けるように消えてしまった。


「やったッスよ!! 指輪が外れたッス!!!」


 フォルカーが大声を出し、ノイエラントの面々に笑顔が広がっていく。


「レオン!」


「レオン様!」


 二人の花嫁は、レオンシュタインの側で涙を流して抱きついている。


 それを優しい目で眺めていたアリカタは、ヴェルレ公爵の魔族に向き合う。

 素早い魔族は、すでにアリカタの全身を傷つけていた。


 全身に毒が回る前に浄化し、致命傷を防ぐ。

 魔族との接近戦は、人間にとって圧倒的に不利なのだ。

 けれども、アリカタは顔から不適な笑みを消さなかった。


 そして懐から一房の髪の毛を取り出す。


「よお、これに見覚えがあるか」


 魔族は何も答えなかった。

 アリカタは、黙ったまま懐から呪符を取り出す。


「急急如律令呪符禁動!《呪符を用いて動きを直ちに禁止せよ》」


 呪符が魔族に当たる瞬間、動きが止まってしまう。


「お前にとってもどうでもいい女性だったのかもしれねえが、この子はな一生懸命生きた子なんだ。心の優しい子だった。だから、俺は」


 そう言うとアリカタの左目が黄金に輝く。

 ジュズを両手でジャラジャラ鳴らしながら、 不動明王の真言を唱え始める。


 その瞬間、アリカタの背中から赤い炎が燃え盛った。

 同時にアリカタの顔も憤怒の形相に変わる。

 不動明王を降臨させたのだ。


「ओं अमोघ वैरोचन महामुद्रा不空なる御方よ、大日如来よ मणि पद्म偉大なる印を有する御方よ ज्वाल प्रवर्त्तय हूं宝珠よ蓮華よ、光明を放ち給え


 そのまま光明真言を唱えると、魔族の身体が金色の光で包まれていく。

 光に包まれた魔族は、やがてボロボロと身体が崩れだす。

 けれども、執拗にアリカタに手を伸ばし、その喉笛をかみ切ろうとしてくる。


三鈷剣さんこけん!」


 と叫ぶと、後ろの不動明王がその剣を振り上げ、魔族へと振り下ろす。


「ナメルナ!」


 魔族はあざ笑いながら剣を防ごうと手を上げるが、その手を切り落とし、さらに身体を切りつける。


「Ghuuuuuu」


「これは、退魔の剣なんだよ。防げるわけがねえ」


 そう言いながらも、アリカタは口から血を吐き出す。


「時間がねえな」


 いくら修行したとは言え、不動明王を降ろすのは人の身としては限界があった。

 身体が崩れながらも魔族は、さらに牙を剥きだし、攻撃を繰り返してくる。


(とにかく動きを止めれば)


 その瞬間、猛烈な気持ち悪さのため、胃の中のものを嘔吐してしまう。


(イマダ!)


 魔族はアリカタに接近し、防ごうとした右腕に噛みつく。


「ぐああ!」


 魔族はそのまま、アリカタの腕をかみ切ろうとした。

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