第257話 海
王国歴165年7月2日 午後2時 ノイエラント クリッペン地区の船着き場にて――
そう言うと使者は被っていたヘルムを取る。
黒と茶色が混ざった髪に、太い眉毛で、頬骨が横に広がり、丸い鼻と厚い唇が特徴的な女性だった。
身長は180cmを超え、レオンシュタインとほぼ変わらない。
甲冑から覗く筋肉は、日常的に鍛錬していることが分かる。
美人とは言えないけれども、愛嬌があり、声がとても美しい。
「もしかして、アルタンツェ?」
口を大きく開けて笑う癖は昔と変わらない。
レオンシュタインは何故か首をかしげつつ、目の前の女性はアルタンツェで間違いないだろうと判断する。
その昔、アルタンツェ、レオンシュタインの2人は伯爵家でも浮いた存在だった。
アルタンツェは人質(のようなもの)、レオンシュタインは食べるだけの役立たずという属性が、彼らから人を遠ざけていた。
ただ、8歳から2年間、一緒に遊んだことはレオンシュタインの胸の中に暖かいものとして残っているのだった。
「アルタンツェ殿、ようこそノイエラントへ。歓迎します」
まずは、当主として対応する。
アルタンツェは、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま挨拶をする。
カーテシーの作法を完璧にマスターしていた。
「レオンシュタイン殿。我が国への親書、ありがとうございます。我が国はノイエラントとの交流を進めていくこと願っております」
願ってもない話だった。
宰相レネや主任参謀長であるグラビッツは、嬉しさを隠しきれない。
話はここまでにして、まずは使者に休息してもらうことにする。
最近、建築した迎賓館にアルタンツェを案内し、ノイエラントの重臣達はレオンシュタインの丸太小屋にて今後の方策について話し合う。
「レオン様、これはまさに僥倖。まさか、公国が友好的とは思いませんでした」
レネの声に主任参謀長グラビッツも続ける。
「公国に我が軍を駐屯させられれば、レーエンスベルク辺境伯の動きを
みんなが喜ぶ中、レオンシュタインだけは浮かない顔だ。
「レオン様。何か気になることでも?」
「いや、そうじゃないんです。ご使者が知り合いだったことに、びっくりしているだけです」
その後、とにかく友好を促進するために交流を進めようという話が決まる。
まずは明日の晩餐会を成功させようと、張り切って準備に取りかかるレネたちだった。
レオンシュタインはどうしても気になることがあり、アルタンツェの休んでいる部屋へと歩いて行く。
部屋の前に着くと、ノックをする前にアルタンツェがドアを全開にする。
「レオ! 私、海が見たいな。案内してよ!」
「アル姉、相変わらずだね」
「何よ、大人ぶって。らしくないよ!」
そう言うとレオンシュタインを引っ張るように、海を目指して走っていく。
「あはは、あんた、相変わらず足、遅いねえ」
「アル姉が速すぎるんだよ」
とぶように走っていくアルタンツェをレオンシュタインは息を切らしながら、追いかけていく。
そういえば昔、同じようなことがあったと、レオンシュタインは思い出していた。
やがて、やや道が登りになり、海を一望できる広場に到着する。
時間は午後5時を過ぎ、もうすぐ海に太陽が沈もうとしていた。
「ひゃあ~。やっぱ、海は広いねえ。しかも、太陽が海に沈むところが見られてラッキー!」
アルタンツェは満面の笑みで海を眺め、興奮している。
レオンシュタインは、昔を思い出し、思わず含み笑いをする。
「ん? それ、何の笑い?」
「いや、明るいアル姉は健在だなって」
アルタンツェはレオンシュタインのおでこを人差し指でつつく。
「言うようになったねえ。でも……」
その後の言葉を濁して、また、海を眺める。
アルタンツェの横顔をじっと見ながら、レオンシュタインは気になっていたことにズバリと切り込む。
「アル姉。何で素顔を隠してるの?」
アルタンツェはレオンシュタインを見て、ニヤリと笑う。
「さすがレオ。気付いてたか」
アルタンツェはそのまま海を見つめている。
レオンシュタインはその横に座り、ただ一緒に海を眺めていた。
「公国は海がないからね。いくら見てても飽きないな」
太陽は半分が海の中に入り、海の上に長い光の道を作っている。
海面がキラキラと輝き、光も波に揺れているようだ。
二人は太陽が完全に沈む瞬間まで、それを眺め続けていた。
「アル姉。どうして、ノイエラントにやってきたの?」
アルタンツェは、暗くなっていく海から目を逸らさない。
「ノイエラントっていうか、お前に会いに来たんだよ。どう、嬉しい?」
「久々に会えて嬉しいけど、それだけじゃないよね」
アルタンツェは、沈んだ太陽の周りに広がる残照を背にレオンシュタインに打ち明ける。
「レオ。……助けてくれよ」
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