第232話 100の願い

 2日後の朝6時、レオンシュタインの小屋の前で2人の女性が叫んでいた。

 一人はシスター長、もう一人はミリアだった。


「レオン! 起きなさい!」


 ミリアの声を聞くと、レオンシュタインはノコノコとベッドから降りて、階段を下り、ドアを開けに行く。


「お、おはよう。ミリア。……早いね。シスター長まで」


 あくびをしながら、レオンは答える。

 でも、ミリアが会いに来てくれたことは嬉しい。

 残された時間は4日なのだ。


「何が『早いね』よ。2日間、朝の6時から夕方6時まで、私に生きろって叫び続けた人が何言うの。私、早起きの習慣ができちゃったよ」


 ミリアはそう言うと、持っていたバックの中から、1枚の紙を取りだし、レオンシュタインに突きつける。


「レオン。私、死ぬまでにやりたい100のことを紙に書いてきた。貴方が言ったんだからね。私、遠慮しないわよ」


 ミリアの目は赤かったが、顔には少し笑顔が浮かんでいた。


「ミリア、ありがとう。でも、お手柔らかに」


 シスター長は、そっと手で涙を拭く。

 ミリアが笑顔を思い出したことが嬉しいのだ。

 ミリアはレオンシュタインに、


「その1 空を飛んでみたい!」


 という願いを話す。


 レオンシュタインはミリアを連れて、すぐにワイバーンの飼育場に行く。

 早朝だったけれども、泊まり込んでいるグスタフに話し、すぐにヒメルの準備に取りかかる。

 ヤスミンが運転手となり、後ろにミリアを乗せると、あっという間に空に舞い上がる。


 冬の青空の中、ワイバーンは大きく翼を広げ、クリッペン地区の上空を何度も旋回する。

 教会の屋根や山の上を飛び越して、あっという間に飼育場に戻ってくる。


「すごい! 空を飛ぶって、空の上から地面を眺めるって、こんなにも素晴らしいんだ」


 ミリアは満面の笑みになる。

 ヤスミンから地面に降ろしてもらうと、すぐにレオンシュタインの側に走り寄る。


「レオン、すぐに2つ目いくわよ。大きなステーキが食べた~い!」


 すぐにルカスに伝令が走る。

 ルカスは、いつものように急ぐことなく、えっちらおっちら牛肉の塊を持ってくる。

 そして、みんなが集まっていたローレの店の厨房に、その肉をどかんと置く。


「こいつが食べ頃だ! 絶対に美味いぞ!」


 直径30cmくらいの半円状の赤い肉の塊は、見るからに食欲をそそる。

 すぐにルカス直々に、鉄板の上で肉を焼き始める。

 ジュージューという音とともに、牛肉の質の良い油の匂いが室内に充満する。


 ミリアはそれを目を輝かせて、じっと見ている。

 ルカスは、その大きなステーキをミリアの前に差し出す。


「本当に大きい!!」


 おっかなびっくりナイフとフォークで、肉を一口大に切り分ける。

 口の中に入れると、肉が溶ける!!

 

「美味しすぎるう!!」


 満面の笑みになる。

 周りにいるレオンシュタインたちも、大笑いになる。


 次の日も、そのまた次の日も、レオンシュタインはミリアのやってみたいことに付き合った。

 釣りをしたい、木を切りたい、大金貨に触りたいなど、願いは多岐にわたっていたが、その全てをレオンシュタインは叶えることにした。


(なんで、自分はこんなにムキになってるんだろ?)


 レオンシュタイン自身、不思議だった。

 でも、自分の中の何かが、それを命じている。

 それをすべきだと、心が叫ぶのだった。


 夕方、ミリアは最後の願いをレオンシュタインに伝える。

 それは紙には書いていなかった。


「私の最後の願いは、……結婚式を挙げたいの。レオン。夫役をお願いできないかな」


「えええ!」


「無理……かな」


 ミリアは無理に笑おうとしたが上手くいかない。


「いや、自分でいいの? 僕、その……」


「ね、レオン。貴方が私に教えてくれたんだよ。イケメンもいいけど、そうじゃない男の人にも素敵なところがいっぱいあるって。自信持ちなよ。こんな若い子と結婚できるんだよ。ラッキーじゃない!」


 肘でレオンシュタインの腹を突く。


「わ、分かった」


 すぐにシャルロッティの店に依頼がとぶ。


「なんやて、明日結婚式? そりゃあ、おもろいな。今あるドレスとタキシードを手直ししよか。さあ、みんな。今夜は徹夜や! 忙しくなるでえ!」


 シャルロッティの店はすぐに臨時休業に入り、ドレスの仕立て直しに全力で取り組み始めた。


 教会にはレオンシュタインが直々に出向き、アンドレア神父に司式者の依頼をする。

 勿論、アンドレア神父は新婦の悲しい運命を理解していた。


「神も許してくださると思うのです。ただし、誓いの言葉で嘘はダメです」


 アンドレア神父はレオンシュタインに釘を刺す。


 悩むレオンシュタインを見て、アンドレア神父は笑顔で助言する。


「レオンシュタイン殿。彼女の心を救いたいという気持ち、誠に尊いものだと思います。ですから、彼女を本気で救うのであれば、嘘はいけません」


 夜を徹して、教会に赤いバージンロードの絨毯が敷かれ、会場中に花が飾り付けられる。

 温泉を利用した温室栽培が成功し、ほぼ1年中、花を購入することができる。


 花火の発注も済み、残るは衣装だけになった。

 既に夜の11時を過ぎ、ミリアとレオンシュタインはシャルロッティの店で、衣装合わせに忙しい。

 レオンシュタインの着付けを担当しているシャルロッティは、腹を叩きながらの調整に忙しい。


「レオンはん、あんた最近、また太ってきてるで。以前のシュッとした体型はどうなったんかいな?」


 頭をかくレオンシュタインだった。


 また、ミリアの着付けもお弟子さんの手によって行われる。

 ミリアの希望で薄いブルーが選択される。


「ブルーって幸せの色だって言うから」


 そのミリアの言葉に、ついてきたシスター長は部屋の奥に隠れて、泣くのを必死にこらえる。

 ドレスのサイズが決まると、ミリアはほっとしたように椅子に座り込んでしまう。

 隠そうとしているけれども体調は悪く、こっそり吐いているのをレオンシュタインは何度も見かけていた。


「ミリア。もう眠ろうか」


 ミリアは素直に頷くと、シスター長に支えられて、シャルロッティの店を出て行こうとする。


「レオン! 遅刻しないでよ!」


「そっちこそな!」


 ミリアが出て行くのと同時に、シャルロッティの弟子達があまりにも悲しい運命に、嗚咽をし始めてしまった。

 

 ついに当日がやってきた。

 レオンシュタインが迎えに行くと、ミリアは既にブルーのドレスを身に纏っていた。


「レオン、何か言ってよ!」


「うん、すごく綺麗だ!」


「ま、月並みだけど嬉しいよ」


 そう言って、二人は教会に移動する。

 どこからどう見ても、幸せそうな新郎新婦にしか見えない。

 周りを見渡すと、招待客や祝福したい人が教会に入りきらないくらい溢れていた。


「あは、こんなに暇人がいるんだね」


「ミリア、失礼だぞ!」


 二人はゆっくりとバージンロードを歩き始めた。

 ミリアの顔色は徐々に悪くなるのをレオンシュタインは感じていた。

 それでも、教会の祭壇まではゆっくりと進んむ。


 そこには、いつもの笑顔を見せるアンドレア神父が待っていた。

 祭壇には二人の指輪が、箱の中にそっと並べられていた。


「それでは、誓いを交わして婚姻の証とします」


 アンドレアは冒頭の説教を全てとばしてしまった。

 もう時間がないと見てとったのだ。


「ノイエラント当主レオンシュタイン=フォン=ヴァルデックよ。なんじは、隣に控えるミリアを生涯、愛し続けると誓うか」


「誓います」


 一瞬、ティアナの顔が曇る。


「それでは、ミリア。そなたはレオンシュタインと結婚し夫と迎え、病気の時も健康な時も、豊かな時も貧しくつらい時も、どんな時でも変わらず命の続く限りずっと、愛し、尊敬し、貞操を守り続けることを誓いますか?」


「誓います」


 周囲の人たちはみな下を向き、涙を隠す。

 神が二人を分かつ瞬間がもう、そこまで迫っている。


「それでは、近いのキスを」


 レオンシュタインはミリアのベールを取ると、躊躇せずにキスをする。

 その瞬間、ミリアの指輪が溶けるように消え、アリカタはそれを見逃さなかった。

 ミリアの顔が輝き、心からの笑顔になり、レオンシュタインに顔を寄せる。


「レオン、ありがとう。でも……ここまでみたい」


「待って! ミリア!」


 ミリアは少し困ったような顔をすると、アリカタの方を振り向き、目で促す。


「アリカタ! まだだ! 止めろ!!」


 ミリアは両手で祈る仕草になり、膝を折る。

 もう、立っていられない。


「ओं अमोघ वैरोचन महामुद्रा不空なる御方よ、大日如来よ मणि पद्म偉大なる印を有する御方よ ज्वाल प्रवर्त्तय हूं宝珠よ蓮華よ、光明を放ち給え


 アリカタは無表情のまま光明真言こうみょうしんごんを、ゆっくりと唱え始めた。

 せめて苦しみが無いように、アリカタは一心に祈る。 

 ミリアは一瞬笑うと、すぐに、ことりと首を垂れた。



 そして、二度と目を開かなかった。

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