第142話 2人の麒麟児
王国歴163年4月8日 午前8時 グライフ公爵ウルリッヒ卿の館にて―――
「なるほど。だいたいのことは分かった。証人として帝国のヴィフト卿がいるのであれば、私も動きやすい。君たちも災難だったね」
王国の良心ウルリッヒ卿は穏やかな口調でレオンシュタインに語りかける。
朝の8時にも関わらず、応接室で待っていてくれたのだ。
齢は70を過ぎているものの、その
ただ、ウルリッヒ卿は目の前のレオンシュタインをじっと見つめる。
(この若者の物腰はどうだ。私相手でも全く臆するところがない。穏やかでありながら堂々とした態度。伯爵家の三男と聞いていたが、すでに当主の風格がある)
その後、雑談となり、レオンシュタインは椅子をすすめられ、腰を下ろす。
名工の作らしく、座った瞬間に背筋が伸びるような感じがする。
椅子の座り心地を楽しみながら、ウルリッヒ卿に旅での体験について説明する。
(なるほど。旅で多くの経験を積んだようだ。しかも、グブズムンドル帝国との人脈がかなり多い。これは我が国にとって
「では、コムニッツの国境まで私の部下を同行させよう。それならば安心だろう」
レオンシュタインは大いに喜び、感謝の意を述べて退出するのだった。
窓からその様子を眺めていたウルリッヒ卿は、
「あの若者をどう思う? ルドルフよ」
傍らに座っている息子のルドルフに感想を求める。
ルドルフは次期グライフ公爵として、王国でも首都長官という重い役職に就いていた。
「柔らかい物腰の中にも、乗り越えてきた者の強さを感じますな。それに正義を愛し、不正を憎む。貴族とはこうありたいものです」
ウルリッヒ卿は曖昧に頷く。
「しかも、バイオリンの巨匠エックハルト殿の弟子でもあり、帝国のバルタザル交響楽団とも親交が深いようだ」
「結びつきを深めておくべきと思います。彼ら全員が揃い次第、私的な交流会を持ちましょう」
「それがよい」
そんなことを知らないレオンシュタインとヤスミンは、すぐに宿に戻っていた。
さすがに1日中、走り続けていた疲労と面会の疲労は深い。
食事も取らずに二人は眠ってしまった。
§
翌日、後発部隊も宿に到着し、みんなで再会を喜び合った。
襲撃もなく、安全だったとレネが報告する。
のんびりとコーヒーを楽しんでいると、グライフ公爵家からの使者が部屋にやってきた。
私的な会食にみんなを招待したいとのことだった。
レネとフリッツは、すぐさま行くと公爵家の使者に返事をする。
「レオン殿、これはチャンスです。絶対に逃してはなりません」
レネの言葉に続け、
「ウルリッヒ卿との結びつきなど、得ようと思っても得られません。レオンさんはまさに豪運! すぐに行きましょう!」
フリッツも興奮気味だ。
レオンシュタイン自身は、みんなで美味しいものが食べられそうなことを単純に喜んでいた。
§
私的な会食どころではなかった。
まさに
南国の珍しい果物も、なつかしいグブズムンドル風の魚料理など、あらゆる美食が並べられていた。
スイーツに関しても、各国の有名なものが取りそろえられ、バウムクーヘンも中央に数多く揃えられていた。
大喜びで食事をする中、レネやフリッツは会話に花を咲かせる。
イルマやヤスミンは、スイーツを食べることに忙しい。
それぞれの思いが交錯する会食となった。
レオンシュタイン一行を丁重に送り出し、ウルリッヒ卿はルドルフを応接室へと招く。
「ルドルフ。レオンシュタインをどう思った?」
ウルリッヒ卿は険しい顔つきで息子に尋ねる。
「レオンシュタイン殿のまわりは華やかですな。女性は王国でも比肩するものがいないほど美しい方ばかりです」
「男性は、グンデルスハイム伯爵家を立て直したフリッツ卿、ローマ法の第一人者バルバトラス殿、そして、死神ゼビウス卿ですか……」
ウルリッヒ卿は頷くと、厳しい口調になる。
「財・法・武が揃っておる。これは考えねばならぬぞ、ルドルフ。あの陣容からして、決して人の下に立つ男ではない」
傍らの赤ワインに手を伸ばすと、ほんのわずかな量を口に含む。
そして、香りを楽しんだ後、ごくっと音を立てて飲み込んだ。
「彼らは王国に仇なすのではないか? それならば、全員、ここで始末してしまうのも手だが……」
ウルリッヒ卿の目が怪しく光る。
王国の良心であるのと同時に、王国の守護者でもあるウルリッヒ卿は、これまで数々の謀略を手がけてきた。
ルドルフはそれを笑顔で否定する。
「父上、それは考え過ぎと思われます。それよりも、我が公爵家は彼とよしみを深めるべきと思います」
「ほう、その理由は?」
「1つ目は、父上もおっしゃっておりましたグブズムンドル帝国と交流を深めるためです。シーグルズル7世と個人的なつながりを持つレオンシュタイン殿は貴重な存在です」
「まったく、オットーの奴が反対しなければ、もっと帝国との交流が深まるものを」
忌々しそうにウルリッヒ卿が吐き捨てる。
帝国との交流を推進しているのがウルリッヒ・グライフ公爵の一派、敵対すべしとの一派がオットー・ヴェルレ公爵の取り巻きだった。
「2つ目は、文化的な側面です。巨匠エックハルト殿の弟子にして、帝国でも知られた演奏家のレオンシュタイン殿との交流は深めておいて損はありません」
「そして、3つ目はシュトラント伯爵家とのつながりです。最近、新しい当主になったマヌエル卿は、あまりよい噂を聞きません。レオンシュタイン殿が帰国し、その補佐につければ南方が安定します。ゴート族の問題がありますから」
その明確な理由を聞き、ウルリッヒ卿に笑顔が戻る。
「肩に力が入りすぎていたようだ。ルドルフのよいように話を進めよ」
「はっ」
そう言うと、ルドルフは執務室へ戻っていった。
ウルリッヒ卿は、持っていたワイングラスの中身を一息で飲み干した。
ヴィンテージのワインだけあり、豊穣かつ複雑な味と香りが素晴らしい。
ワイングラスをサイドテーブルに置くと、ウルリッヒ卿は大きな窓の側に立つ。
「シュトラントにも麒麟児が生まれたようだが、我が家でも麒麟児が育っておったようだな。互いに手を携えれば、よい国造りができよう」
そう独り言を述べると、しばらく窓の外の月を眺めるのだった。
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レオンシュタインへの強力な後ろ盾がまた1つ。
王国も人がいないわけではないのです。
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