第78話 潜伏に向けて
王国歴162年11月5日 深夜 コムニッツ公爵領の街道にて――
夜も更けて午後10時を過ぎているにも関わらず、フリッツは馬車を止めなかった。
人はほとんど見えず、ただ月明かりだけを頼りに、ぽくりぽくりと、コムニッツの首都に向かう街道を進んでいく。
深夜12時を過ぎた頃、フリッツはようやく目指す場所を見つけた。
「このイェーガー沼の周辺は、過ごしやすく馬車を隠しやすい場所です」
街道から少し離れた沼のほとりに馬車を止める。
馬車に乗っていたレオンシュタインたちは、すぐに降り、身体を伸ばす。
バルバトラスとフリッツは、野営のために急いで火をおこす。
火で辺りが照らされ、ほのかな暖かさが周りに広がる。
松の枝を入れたせいか、その香りも漂ってくる。
焚き火を囲んで全員が座ると、ようやくほっとした気分が広がった。
フリッツは、全員に飲み水を配り、まずは一息つくように話した。
「ほんと! 気持ち悪い男だったよね!」
ティアナが憤る。
ようやく落ち着いたのか、珍しく怒りを露わにしていた。
「王様に訴えるといいんじゃない?」
ティアナの言葉に、フリッツは冷静な口調で答える。
「辺境伯に危害を加えられそうになり自衛したと訴えても、辺境伯側は自分が害された、流言飛語を流された、招待貴族を危険に晒された、と主張するでしょう」
「そんなことって」
ティアナが信じられないといった表情をする。
フリッツは悲しそうな笑みを浮かべながら、話を続ける。
「そんなものなのです。ただ、今回は見ていた人が多いですから、表立っては訴えてこないでしょう」
バルバトラスはそれに続けて、
「表立っては動けない、とすれば裏で動くことになりそうだな」
と、考えを述べる。
フリッツは同意し、恐らく刺客を放つだろうと予想する。
その答えにティアナ、イルマは反応し、鋭い目つきになる。
「ですから、なるべく辺境伯領から離れて、王都に向かう事を進言します。その場合、東の大回りルートになります。お金もかかるでしょう」
現在、レオンシュタインの財布は多くの銀貨を出す余裕はない。
また、働こうにもエイムハウゼンはレーエンスベルク辺境伯領に近すぎる。
「では、私のバイオリンの師匠に会いに行き、そこでお金も借りましょう」
レオンシュタインはフリッツに提案する。
「師匠とお金のことについて話すのは気が引けます。でも、今は師匠を頼るしか思いつかないですね」
「師匠はどちらにいらっしゃるのですか?」
「コムニッツの首都、アルテンドルフです」
アルテンドルフは大都市のため、辺境伯に見つかりにくいこと、多くの働き口があること、そして王都に近いことが、フリッツから説明される。
結局、それ以上の考えは浮かばなかったため、まずアルテンドルフに向かうことになった。
夜も更け、馬車の中ではレオンシュタインと、ティアナが眠ることになった。
レオンシュタインの肩の傷はフリッツが用意したポーションで治すことができたが、その反動が現れ、疲れで目を開けていられない。
ティアナもあまりにいろんなことがありすぎて、すぐに眠ってしまう。
イルマは眠ってしまった2人を優しく眺めた後、ヤスミンと打ち合わせをする。
「ヤスミン、よろしく頼むよ」
「任せて」
そういうと木の上に登り、周囲を偵察し始めた。
イルマはイルマで、音を立てないように剣の練習をする。
(主を傷つけたゲオルフは絶対に許さない)
そう心に秘めると、猛然と剣を振るい始めるのだった。
フリッツの予想通り、やや街道から離れたこの場所に、追っ手は現れなかった。
翌11月6日の早朝からコムニッツの首都エルテンドルフ目指して馬車が動き出した。
馬車の中では、イルマ、ヤスミン、バルバトラスが眠っていた。
この寒い時期、馬車で旅行をしようとする者は少ないため、道ですれ違うことも少なく、今日の宿泊地に着くことができた。
街道から少し奥に入った草原の中である。
今夜の見張りは、フリッツとレオンシュタインだった。
レオンシュタインは、フリッツからいろいろな話が聞けるので、見張りも苦にならない。
「フリッツさんのおかげで、左肩はほとんど治りましたよ」
レオンシュタインが礼を述べる。
フリッツは、いつものようにニコニコしながら、黙って頷いた。
今日は銀河の小さな星の一つ一つがよく見えるような空だった。
季節は晩秋になり、もうすぐオリオンの三つ星が見える頃だ。
星から寒さが伝わってくるような気がして、レオンシュタインは焚き火に拾ってきた枝を投げ入れた。
よく乾ききっていない枝がパチパチと音を出す。
燻された木の匂いが鼻につく。
「私、レオンさんがホーエンシュバンガウ城で弾いたピアノの曲を以前、聞いたことがあるんです。その人はレオンさんほど上手ではありませんでしたが、それでも感動しました」
フリッツが自分のことを話すのは珍しかった。
それに、レオンシュタインのことをレオンと呼ぶことも、気になった。
レオンシュタインは焚き火を見ながら、黙って語ることに耳を傾ける。
フリッツはレオンシュタインに向かって話しているようで、実は自分に向かって話をしているようだった。
「今回はお城で、しかも前より遥かに上手な人が弾いたのですから、私は全身が震えるくらい感動しました。ああ、私はピアノの曲が好きなんだなって」
焚き火から、火の粉が舞い上がっていく。
それを二人はぼんやりと眺めていた。
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