第5話 ペンとインクと霊能者
川沿いの道を彼はとぼとぼと歩いていた。残った財布の中身で交通費は十分足りたのだが、少ないこづかいだ。少しでも節約したい。けっきょく乗り換えの駅で降りてそこから歩いて帰ることにしたのだった。
今日は本当に、本当にどうでもよいことに五千円も使ってしまった。散財の原因になった神の使いというミミズクはご機嫌で彼の周りを飛んでいる。彼はブッコローを袋に入れてブンブン回して放り投げてやりたくなったが、すんでのところで思いとどまった。
(こいついつまでオレのそばにいるんだろう。早く消えてくれないかな)
家までもう少し距離がある。気長に歩けば夕飯までには間に合うだろう。はじめて歩くこの道は散歩コースになっているらしく、犬を連れた人やジョギングをする人が頻繁にすれ違う。前から黒縁眼鏡をかけた50~60代くらいの女性が歩いてきた。彼は脇によけると女性は軽く頭を下げた。彼もすれ違いざまに頭を下げた。そのときだった。頭にガツンと衝撃を受けた。誰かに頭を思いっきり殴られたらしい。彼はそのまま意識を失った。
◆◆◆
ぼやけた視界がはっきりしてくる。さっきまで青さを残していた空は、今は紫色になっていた。どれぐらい気絶していたのだろう。
(そうだオレ誰かに殴られたんだ。やばい、いま何時だろう。夕飯に間に合うかな。母さんに怒られる)
彼がひとりで焦っていると横から「あー良かった」とノーテンキな声が横からした。
がばっと起き上がると彼の横にさっきすれ違った黒縁眼鏡のおばさんが座っていた。
「大丈夫? ぱーんとしたらあなた気絶しちゃって。でも息してるし大丈夫だと思ったんだけどそのまま放っておくのも心配だし気がつくまで待ってたの」
「あ、そうなんですか、ありがとうございます…。ってそうじゃなくてオレのこと殴ったんですか」
「うふふ。ごめんね。だってあなた変な鳥くっつけてるから払ってあげようかと思って」
「それでオレを思いっきり殴ったと」
「そう! 私そういうの視えちゃうの。いやぁ、でも人間に憑いてるのを払ったことがなくて力加減を間違えちゃったみたいで」ごめんね、とおばさんが悪びれもなくうふふと笑った。
「わたし岡﨑弘子っていうの。いわゆる霊能者ってやつ。普段は物に憑いてるのを払うことが多くて」こうやって、と自称霊能者 岡﨑弘子はバットでも振るような手つきで説明する。
「気絶させちゃったお詫びに私のお店にちょっと寄っていって。近いから大丈夫」
彼は腕をがっしりとつかまれ、振りほどくこともできずそのまま岡﨑弘子の店に行くことになってしまった。
岡﨑弘子の店は雑貨屋だった。こぢんまりした店構えでアンティーク調のどっしりしたドアを彼は緊張しながら開けた。
中に入って驚いた。さほど広くない店内にみっちりと商品が陳列されていた。時代の古そうな机には作家ものらしいアクセサリーや、金で縁取られたガラスの器に不揃いのボタンがざっくりと盛られていた。
上を見上げればやわらかな夕焼けのような光を放つ、ステンドグラスで出来た立体的なつくりの星がきらめいている。そしてその星を中心にオリオン座と北斗七星を模した金属製のモビールがちかちかと天井で瞬いていた。
ちょうど北斗七星の真下の机、そこにあるものに彼は目をとめた。
「それいいでしょう」
「あっはい。きれいですね。初めて見ました。これペンですか」
「そう、ガラスで出来てるの。とってもきれいでしょう」
その机には何本かのガラス製のペンが小さな光を無数に反射させながら横に寝かせて置かれていた。
「これすっごい私のおすすめ。手作りの一点ものなんだから。インクもね、すっごい種類があってこれなんか硬い感じもないし青みがかった黒だからラブレターにも最適」
「ラブレター?!」
「好きな子いるんでしょ」
「え、まあ、はい、いますけど」
「それならこのガラスペンとインクでばっちり。私の念も入れておくから」
「いや、買うとはひとことも…」
「五千円になります」
「そんな金ないです」
「持ってるでしょ五千円」
(なんでオレが五千円隠し持ってるの知ってるんだよ。これ緊急用の金なのに)
にこやかにじりじり迫ってくる顔が怖い。彼は岡﨑弘子の圧に負けた。
「ありがとうございまーす」
岡﨑弘子の軽やかな声に送られて彼は雑貨屋を後にした。
(ちきしょう。ブッコローといいあのおばさんといいオカルトな奴らはがめついのか? こんなことならまっすぐ電車で家に帰ればよかった)
彼はあと40分ほどで始まる夕飯に間に合わせようと全速力で家に向かうのだった。
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