第4話 自信満々に馬はウソを言う

 着いたのは競馬場だった。霞のかかる春の晴天の空の下、まだ昼前のだというのに酒のにおいをさせ耳に鉛筆を引っかけたおじさんが闊歩している。

「おいブッコロー、こんなところで何するんだよ。郁さんとぜんぜん関係ないだろ」

「だから略するな! そもそもオマエの恋が成就しないのはなぜだ。オマエの高校生活を振り返ってみろ。オマエはおのれの願いを果たすために何をした」

「だからそのために勉強を…。おまえの名前は長いんだよ。」

「ちがーう!! だからオマエは駄目なのだ。ワタシの名前は適正な長さだ。オマエは一度でも郁さんに声をかけたのか」


 たしかに彼は高校生活で一度も郁さんに声をかけることはなかった。いつも遠くから郁さんを目で追いかけるだけ。どうしてだろう。いや、分かっている。彼は怖かったのだ。郁さんに告白して冷たく振られることが。

 彼の表情を見てどうだと言わんばかりに羽をぶわっと膨らませたブッコローが短い翼をパタパタさせ彼の目の前で浮かんでいる。


「いいか。恋は常に一方的なものだ。思いが募りひと目でいいから会いたい、話しかけたい、なんなら抱きしめたい。そんな一方的に高ぶらせた思いをぶつけなくてどうする。いくら思いつめたって相手に伝えなくては意味がない。好きだ好きだと言いながら見ているだけで恋を成就させたいなどおこがましい!」

「見てるだけって、だからオレは大学に合格して郁さんに告白しようと…」

「ちっがーう!! オマエはぜっんぜん分かっていない! 恋は一瞬一瞬の決断がものをいうのだ。常に決断しろ! オマエのように決断を先延ばしにして恋が成就するわけないだろう」

「いや、でも」

「つべこべ言うな。若者というのはコロコロ変わる。昨日と今日行っていることが違うものだ。一度駄目なら二度、三度。諦めることなく体当たりするのだ。オマエにはその気概がない」


 少し熱くなりすぎたことに気がついたのか、えへんとブッコローが咳払いした。

「というわけでオマエは有金を馬に賭けるのだ」

「はあ? 話がぜんぜん見えないんですけど」

「いま言ったとおりだ。オマエはおのれの恋のために体当たりする勇気も意気地もない。そんなオマエの心根を鍛えてやる。それにはこの場所がピッタリの場所だ」

「いやいやいや、ぜんぜん分かりません」

「いいか、競馬とは自分の決めた馬を信じすべてを賭ける。競馬は恋と同じだ!」

(こいつはなにを言っているんだ。神じゃなくて本当は悪魔の使いなんじゃないか)

 ブッコローの無茶苦茶な理論に彼はもう何も頭に入ってこなかった。


「とはいえオマエは競馬が初めてだろう。どの馬に賭けるべきかもわかるまい。だからワタシが先に情報収集してやった。その結果、賭けるべき馬はあれだ」

 ぴしっと短い翼でパドックを歩く一頭の馬を指した。

「名はハリセンボン。あの馬はいま絶好調だ。どの馬よりも速く走れる自信を持っている」

「自信をもってるなんて、どうして分かるんだよ」

「あやつに聞いた」

「えっ、あやつって馬? 馬に聞いたのか?」

「そうだ。本人に聞いたのだから間違いあるまい」

(まじか…)

「さあ」

「さあってなんだよ」

「馬に賭ける金をだせ」

「何言ってんだよ。そんな金あるわけないだろう」

「そんなことはない。昨日オマエは母上から”おこづかい”なるものをもらっただろう。さあ出せ」

(こづかい全部なんて誰が出すかよ。百円でいいだろ)

 もう何を言っても無駄な気がしてとりあえず財布を出したそのときだった。ブッコローの黒目がキラリと光った。そして財布に向かって鋭く滑空したと思ったらがしっと五千円札をはさみ、ひゅうと空へと飛び立っていった。

「あっ!!!」

「これでワタシが賭けてくる! オマエはそこで待っていろ!」

「おい! 待て! 泥棒ミミズク! オレの五千円札返せよ! てか話がぜんぜん違うだろ! 嘘つきミミズク!」

 競馬場に響く彼の絶叫は周りの同情を集めた。(とくに負けたおじさんに)


 ◆◆◆


 馬券が花びらのように風に巻き上げられ、ひらひらと落ちていく。桜が舞うのは美しいが競馬場で舞うのは負けた馬券である。彼が不本意に買った(買わされた)馬券もこの舞い散る一枚になった。


「おい、ブッコロー話がぜんぜん違うじゃねえか。間違いないんじゃなかったのか」

 神の使いのミミズクは黙っている。

「おいなんとか言え、この嘘つきミミズク」

「嘘つきとは失礼な。どうやらオマエは勘違いしている。そもそも金を賭けることが目的ではない。おのれで決断し実行することが目的なのだ。それが達成されたのだからワタシは嘘をついていない」

「だったら百円よかったじゃん。なんで五千円なんだよ。あ、もしかしてオレのためとか言って実はブッコローがやりたかったんじゃないの」

「な、なにを言う。ワタシが競馬を長年やってみたかったからと言って、参拝に来た人間をそそのかして馬に賭けさせようなどと、神の使いとしてそんなことをするわけがない」

 適当にカマをかけたのが図星だったらしくブッコローの動機はほぼほぼ明るみに出た。彼は最初からはめられていたのだった。さてはあの風にさらわれた千円札もブッコローか。合計六千円の恨みである。


 ブッコローは真の目的が達成されて満足げに飛び回っている。こいつの言うことはもう聞かないことにしよう。そう決意して彼はかろうじて残った交通費で家路に向かった。









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