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 Wは降り返って大きく取り乱してしまった。何せその声をかけてきたのが≪カルメン≫であり、その女の手には酒の入ったコンビニの袋があったからだ。今まさに帰ろうとしているような、そんな姿がそこにはあった。


「ああ、ええ。そうですよ。僕はあなたを連れ戻すように言われてきたのです。もうすぐオーダーストップになるようで、今のうちにお金を回収するとのことです。それに、あの先輩がずっとあなたのことを探していましたよ」


「あの先輩って、どの先輩?」


「あなたの隣に座っていた先輩ですよ。刈り上げの先輩」


「あぁ、竹内先輩ね。だとしたら、戻るつもりはありませんよ。お金は先輩の驕りでお願いしますって伝えてちょうだい。それか、あんたが代わりに払ってくれてもいいんだけれども」


 Wは彼女の態度にどこか腹を立ててしまった。一体どこが気に食わなかったのかわからないが、話の途中で無性にムカついてしまい、最後の代わりに払ってくれてもいいという言い方で完全に嫌ってしまっていた。


「ダメだ。僕は払わないし、先輩にも伝えない。あなた自身で先輩に伝えるんだ」


 そう、もっともなことを言って見せたものの。Wはその場から動けないでした。その態度はすぐに≪カルメン≫から心内を見透かされる要因となってしまう。


 そして、Wの状況を理解した≪カルメン≫は愉快そうに大笑いを見せてきたのだった。豪快な笑いであった。あらゆるうっぷんを一気に吐き出すような、それでいって、その笑顔に見惚れて、怒りを忘れつつあるWがいた。


「なるほどね。あんた、連れてこいって命令されたから、トボトボと一人で戻れないわけだ。惨めな子ね。私がいないと帰れないなんて迷子の少年かしら?」


 そう、Wのことを煽ると、また自分の言った迷子の少年という言葉がひどく気に入ったようで何回か繰り返して笑った。一通り、笑った彼女は、流れるような身のこなしで体をWに近づけると、彼の手を自らの掌で包み込んだ。


「ねぇ、あんた。今から二人でさあ。二人っきりで遊びにいかないかい? カラオケに行きましょうよ。そこで、朝になるまで歌って、お酒を飲んで、騒ぎに騒ぐの。どうせ、戻ったってつまらないじゃない。つまらないものに、お金を出すなんてもったいないじゃい。だから、二人でもっと楽しいことにお金を使おうじゃないかい。わたしゃ、歌だけは自信があるのさ。私の歌をあんたに聞いて欲しいわ。だから、ねぇ。お願い」




 

「僕はね、行くべきじゃなかったんですよ。この誘いに乗るべきじゃなかった。これは悪魔との契約だったんです。一生彼女に尽くすという恐ろしい契約書をここで握らされていたのですよ。今こうやって語るだけで、全身にひどく寒気を感じているんです。ただね、これだけは言わせてほしいんですよ。僕にとってこの時の彼女こそ、天使だったのです。期待と不安で一杯いっぱいだった僕は、あの歓迎会で全部を壊されました。あの後、僕に残された道は惨めな自分と周囲を比較してコソコソと目立たないように、味のない日々を過ごしていくだけの道だったんです。歓迎会の中、一人で食事を口に運びながら僕はずっとそんなことを考えていたのです。そんな僕に、彼女は手を差し伸べてくれたんですよ。ほかでもない特別な≪カルメン≫が。彼女が明るい大学生活への希望を照らしてくれたように見えたのです。だから、応えてしまったのです。ええ、即答でしたよ。そして、この時すでに僕という存在を彼女にささげてしまっていたということなのです」

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