第1話「出会いの春」

 その日Wは入部希望のギターサークルの歓迎会に来ていた。大学入学以降誰もが抱えるであろう一種の浮かれが彼にもあった。


 ずっと、ギターを弾いてみたいという憧れもあり、今ならと踏み込んだところ。軽い説明の後に、この歓迎会の詳細を知らされたのだった。


「まずは雰囲気からだよ。うちの部活は特に毎年多くの人が入ってくるからね。そこから日にちが立つたびに徐々に減っていく、だからまずは皆で集まって部活の雰囲気を知ってもらうようにしているんだよ。なんか違うなって思ったなら、もう何も言わずに来ないで良い。ただ、一度入部届を出すと、いろいろ面倒でね。だから、必ず入部希望なら歓迎会に来て欲しいんだ。楽しむだけでも十分さ」


 Wは「わかりました」と力強く頷き、部活やギターについていくつか質問をした。大抵のことは深い回答は得られず、詳しくは入部してから。歓迎会でも説明するからおいで。と流されるだけであった。


 すでに、Wは何か違うのではないか? この場所は自分には不相応な場所なのかもしれないという思いを抱いてはいたが、その反面こういった集団に属するのも一興のようにおもっていた。


 俗的な言葉で『大学デビュー』を夢見ていたわけである。慣れないワックスを髪に塗りたくって彼は駅前で大勢の学生の中に紛れていた。


 自分よりも姿見の良い人間に囲まれて「なんと、惨めなことだろうか」と、ある種希望を打ち砕かれたような感覚を味わい、いっそこのまま帰ってしまうかといったところであった。


 その時に彼女は現れた。


 大学にいると、異国の生徒を目にすることがある。そういった異国の人間はどれほど集団に溶け込んでも、すぐに判別できる。また、不思議なことで日本人でも同じことがいえる場合がある。


 この人間は自分の住む地域と一切つながりのない遠くの他県からやってきたのであろう。その背に流れる風に他県の香りを纏っている。似通っているが異なるものがある風体。


 その女はそういった周りと違う雰囲気を纏っていたのだ。多くの同級生が大人になろうと形作っている中で、彼女は既にその先にいるようであった。


 そして、美女でもあった。


 近寄りがたい、芸能的な美ではなく。バランスが良いといえばいいのだろうか。美に十の条件があるとするのならば、その七、八を満たしているような女だった。


 快活で明るく。その笑みこそが何よりの武器である。


 彼女の名は≪カルメン≫。


 Wはこの女に対してこの時点ではなんの気持ちも抱いていなかった。一目惚れではないということだ。


 ただ、近寄りがたい女だと思っていた。そして、この女がサークルに入るなら、どんなにこの歓迎会が心地よくても入部はしないだろうと心に決めた。彼女は崩壊の業を背負った存在であるということをこの時すでにWは気づいていたのだ。いたというのに。この出会いは彼の記憶に何よりも強く色付きで刻みこまれるのだった。


 さて、始まった歓迎会であったがWにとっては苦痛であった。彼はギターを弾きたいだけであり、音楽への精通は皆無であり、できる話と言えば大学の履修登録についてくらいであった。気づけば周囲は女子一、二人に対し男子複数名で囲んで会話を行うような状況が出来上がっていた。


 Wは、わざわざ群がる気にもなれないで、隅のほうで一人お酒も飲めずに食事を進めるばかりであった。


 そこから、一時間と半時過ぎた頃であった。その場で最も発言力の強い先輩が、≪カルメン≫がいなくなったことに気づいた。そして「おい、あいつは?」と声を張り上げたのだった、その場が一瞬静寂に包まれることとなったがすぐに、ざわつきが生まれた。


 誰もが、「あいつ」が≪カルメン≫であることに気づいていた。彼女はずっとその先輩の隣にいたからだ。そもそも、先輩がその隣席に彼女を招いたわけであり、先輩が≪カルメン≫のことを気に入っていたことは一目瞭然であった。故に、誰もが≪カルメン≫を連想したのだった。


 一人の男が、「彼女ならさっき店の外に出ていくのを見ましたよ」と声を上げた、こういった場には不慣れなWはまさか支払いもせずに帰ってしまったのではとハラハラさせたが、先輩は大きく舌を鳴らして「たばこか? 未成年だろあいつ」と頭を掻いた。


 そして、また各々が自分たちの会話に戻っていく中、Wは先輩と目線があってしまった。高圧的な人だったが、その時はどこか優しい声音でWに要求してきた。


「ねぇ、多分店の横に喫煙所に同級生の女子がいると思うんだよね。今のうちに金の回収やっておきたいからさ、呼んできてくれない?」


 Wは急に声をかけられて少々驚いてしまったが、すぐにその要求に応じ。店の外へと向かった。手持ち無沙汰ため何か役割を与えられたことにホッとしたのだった。まだ、この場所に自分が居られるという一縷の望みをもったままでいられる気がした。


 そうして、喫煙所に向かったが、驚いたことにそこには≪カルメン≫の姿がなかった。本当に帰ってしまったのか、はたまた先輩の言っていた「あいつ」が≪カルメン≫ではなかったのか。定かでないまま、その場を右往左往してしまった。何かミスをしでかすのが怖かった。


誰もいなかったことを伝えたのち、あの先輩の態度が急変て「もういい俺が行く」なんて言いただした暁にはいよいよ自分の居場所などなくなるように思えた。


 そんな、Wに向かって一人声をかけてきた。


「ねぇ。あんた、私を探しにきたんでしょ?」

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