第187話 11月半ば 冬の入り口
最近、急激に寒くなってきた。十一月の半ば、まるで冷房がいきなり壊れたような錯覚を覚える。
ハロウィンが終わって、オレンジのジャックオーランタンや、黒いコウモリや白いおばけが街から一掃された。
しかし、一昔前はハロウィンの時期にはコートを出すかどうか悩んでいた記憶があるのだが、今になってようやく出すかどうか考えだしているあたり、地球温暖化が深刻みたいだ。
と、まぁよく知らないことを考えてみた。それよりも、一気に気温が下がったことの方が問題だ。体調を崩すのは、だいたいこういった時期だからだ。
「はー、寒いね。コート新調したいなぁ」
エリナが手を擦り合わせながら、服屋の店先に並べられたコートを見る。そのエリナの横顔を見ながら、私はエリナのコート姿を想像した。
彼女にきっと、もこもこの可愛らしいコートが似合うだろう。これからはそういうエリナが見れるのかなと思うと、胸が踊る。
冬は苦手だけど、そう考えるとなるほど冬も悪くない。
「澪おねーさんなら、トレンチコートとか似合いそう」
「そうかしら。トレンチコートはもっと背が高くないと……」
「まぁ、それがあるけどね。でも、雰囲気が似合うと思うんだよねぇ……あっ、こっちのコートかわいい!」
エリナが別のお店のショーウィンドウに目を移す。そこには黒い、小さめのコートが置かれていた。シルエットが可愛らしいコートだった。
「冬になったしさ、またどこかに遊びに行きたいよね」
「そうねぇ……スキーは私が動けないから……どこがいいかしらね」
また、エリナと一緒に行く場所を探さないとな、とかぼんやりと思う。冬──今年の冬は例年と比べて、すごくいいものになるだろうという予感がした。
「はー、さむ。おはよー」
マフラーで首元を覆った乃亜ちゃんが、お店に入ってくる。
こう寒いと、お客さんの入りも良くないため、まあまあ暇な午後四時過ぎ。
今日は乃亜ちゃんの助けはいらなさそうだ、なんてぼんやりと思った。
「おはよう、乃亜ちゃん。今日は寒いわね」
「だね。一気に寒くなったのマジ勘弁って感じ。えっちゃんは?」
「キッチンにいるわ。暇してるんじゃないかしら」
店内を一望する。お客さんの居ない店内では、キッチンの仕事など全くもって存在しなかった。
「あー、まぁこんだけガラガラだとねぇ」
乃亜ちゃんがカウンターの席に座る。それから、手に持ったスクールバッグを隣の席に置いた。
「みーたん、ココアちょうだい」
「ココアね、ちょっと待ってて」
オーダーを記入して、キッチンに引っ込む。
「エリナちゃん、ココアお願い」
「はーい」
と返事をして、エリナがココアを作り始める。それを見てから、他のお客さんが来ていないかを確認しに店内に戻った。
「本当に誰もいないねぇ。退屈でしょ?」
「まぁ、退屈ではあるけどね……」
とはいえ仕事をしているふりぐらいはしておかないと。台拭きを手にとって、カウンターを拭いた。
「これぐらい暇な日もあって良いと思うのよね」
暇であることは悪いことではない。最近の私はそう思うようになっている。のんびりとできる時間があるのは幸福なのだと、一年前の私は知らなかったし。
「あーしは暇よりも忙しい方が好きだけどなぁ」
「そうなの?」
「だってさ、暇な時間って人生無駄にしてる感じがして嫌じゃん」
「なるほど……そういう見方もありなのね」
それは若いからこその物の見方な気がする。大人になると──というか私の環境が余裕がなさ過ぎただけなのかもしれないが──自然と時間に追われるようになり、暇な時間に価値を覚えるようになる。少なくとも私はそうだった。
『ココアできたよ』
耳に付けたイヤホンから、エリナの声が聞こえた。
「ココアできたから、取ってくるわね」
一言断り、キッチンに再び引っ込む。エリナが作ったココアをトレイに乗せて、表に戻った。
「はい」
「ありがと」
乃亜ちゃんがココアを啜り、満足げに表情を緩める。
「ん、甘くて美味しい。えっちゃんが作ってくれたって思うと、余計に美味しく感じる」
「そういうものなの?」
内心では激しく同意しながら、不思議なことを言うのね、というニュアンスを込めて返答する。
実際、好きな人が作ってくれた食事は、味の感じ方に補正がかかる。私もまた、エリナの料理は美味しく感じるのだから間違いない。
実際最近は料理の腕もプロレベルになってきてるけど。
それよりも、私は乃亜ちゃんのその発言が気に掛かった。まさか、乃亜ちゃんもエリナのことが好きなのか。
思いがけない恋のライバル登場の可能性に、私は少しばかり心臓がうるさくなり始めるのを実感した。
その心臓の動きは、外敵に対する警戒態勢に他ならない。それが表に出ないように、口の中でわずかに舌を噛んだ。痛みが私の心を鎮めてくれる。
「そういうものなの。あ、でも今の会話は秘密でね。本人に知られると恥ずかしいから」
そういう乃亜ちゃんの表情に、恥ずかしがるようなものは一切ないように見えた。
なんか、そういうところでも負けているなぁと感じる。そりゃあ、恥ずかしがる女の子はかわいいと思うけど、こういう時にサラリとしている女の子は強いのだ。
恥ずかしがるというのはかわいいけど、相手に隙を見せているようなものだし。
「わかった、秘密ね」
こちらとしても、わざわざそれを言う必要性もないし。
「……もう冬だね」
湯気の立つココアを見て、乃亜ちゃんが呟く。
「高校生活は楽しいけどさ、時間が経つのが早すぎるんだよね」
「さっき言ってたこと?」
「うん。ほんと、一日一日があっという間に過ぎていくから、無駄にできないって感じがするんだよね」
「なるほどねぇ……」
時間を無駄にできない。その中には、子供であるが故の見方があると思ったが、学生であるが故の見方もあったわけだ。
……時間がもったいない、か。
「乃亜ちゃん、一個相談なんだけど」
「なに?」
「これからの時期に、その……好きな人をデートに誘うならどこが良いのかなって」
焦りがあった。今のままだと、エリナとずっと一緒にいられるわけじゃない。彼女にもし恋人ができたら、私が隣にいるわけにはいかなくなる。
そんな仮定の話を思い浮かべるだけで、正気ではいられなくなってしまう。
だから、時間が無くなってしまう前に最善を尽くして──言い方は悪いが──エリナを手に入れたいと思った。
「なに、誰かデートに誘いたいの?」
乃亜ちゃんは私の質問に食いついた。さすがは女子高生、恋バナにはまるで釣り堀の魚みたいに食いついた。
心なしかイキイキしてるようにも見える。
「楽しそうね」
「だって恋バナだよ! JKなら古今東西誰もが好きな話題だって。で、誰を誘いたいの?」
「それは、秘密だけど……」
「えー」
不満げな物言いとは対照的に、乃亜ちゃんの表情は楽しそうだ。間違いなく、今の乃亜ちゃんの中では、この出来事がエンターテインメントとして昇華されているに違いない。
まぁ、それをどうこう言うつもりはないし、相談している以上それぐらいは受け入れるけれど。
「で、そうそう。この時期のデートスポットだよね? だったらやっぱり、イルミネーションがいいと思うな。あーしだったら、イルミネーションに誘ってもらえたら飛んで喜ぶと思う」
「飛んで喜ぶ、ねぇ」
エリナがそういう仕草をするかどうかはさておいて。
イルミネーションかぁ、と口の中で繰り返す。
光り、輝く街並み。
光り、輝く装飾達。
その中にいるエリナ。見たことのない冬服に身を包んでいる。
その光景がどのような感情を私に与えるのかは知らないけれど、それはすごく見てみたい。
「いいわね、イルミネーション。誘ってみるわ」
私の返事は、欲望に塗れた返事だった。
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