第186話 ハロウィンナイトメア

 深い闇を見ている。それは未だ像を結んでいない、漠然とした概念の集合体だ。

 わたしは闇を見つめ、闇に浮かんでいる。それは、自分の意識が覚醒していないことを示していた。

 より正確にいうのなら、意識と肉体が結びついていない状態だ。こうやって言うと、少しばかりややこしく思える。つまり、眠っている状態ということ。

 この闇は、夢だ。なんの夢も見ていないという夢を見ている。

 夢とは記憶、あるいは願望だ。わたしはそんなことをぼんやりと考える。

 闇が消えていく。漠然とした世界が、わたしの脳の中で形を持っていく。


〈エリナちゃん〉


 頭の中で、澪おねーさんの声が反響する。甘い、蕩けるような声だった。わたしの心をドロドロに溶かして、それ無しでは生きていけなくなるような声。

 その言葉を中心に、わたしの視界が一気に構築されていった。

 そこは、見覚えのある場所だった。やや暗い照明は、薄いピンク色に光っている。部屋の中には大きなベッドと、ソファ。シャワールームの中は丸見えで、羞恥心を欠いた作りをしている。そこはいわゆるラブホテルだった。

 よく知っている……わたしはそれをよく理解している。嫌というほど見てきた。

 わたしはベッドで横になっている。柔らかいベッドは体を沈めて、浮遊感を与えてくれた。


〈エリナちゃん、こっちを見なさい〉


 言われて、わたしの腕が拘束されている事に気がついた。強力な力で掴まれている。

 部屋の中を彷徨っている視線が、無意識のうちに一箇所に固定される。わたしの腕を掴んでいる人物に。その人物は、左手一本でわたしを拘束していた。

 その人物は、見間違えるはずもなかった。澪おねーさんだ。ただし、その服装はわたしの見慣れた澪おねーさんではない。


「……みお、おねーさん」

〈そうよ、エリナちゃん」


 澪おねーさんの姿を認めると、彼女の声がどんどん明瞭になっていく。

 澪おねーさんの姿は、まさしく吸血鬼だった。服装はコスプレをしている時のもので、見慣れてはいないけれども知っていた。

 そして表情もまた、わたしを挑発した時のようなものだった。あの時は無理をしていたのか、表情に違和感があったけど、今はごく自然にわたしを挑発していた。

 これは夢だから、わたしの望む澪おねーさんが存在している。現実の澪おねーさんではできないような事を平気でやってのける彼女がそこにいた。


「ねぇ、こうして欲しいんでしょう?」


 わたしの下腹部を、澪おねーさんが撫でるように触れた。澪おねーさんの体温を感じて、それがわたしに触れている。

 快感だった。わたしの腹部に触れられることが、それがたとえ夢想の出来事だとしても。

 つつー、と澪おねーさんが指を這わせる。おへそをひとしきり堪能した後、わたしの肋骨の部分に触れる。そこで初めて、わたしは服を着ていない事に気がついた。かろうじて下着だけは着けていた。

 服を着ていないから、澪おねーさんの体温がはっきりとわかる。


「ん……ぁ」


 澪おねーさんはわたしの両足の間に割って入り、体をたっぷりと撫でていく。角張った手が、わたしを快楽に包み込む。


「ふふ、かわいいわね」


 澪おねーさんの手が、わたしの胸に到達する。直後、あまりにも強い快楽が脳髄を焼く。ギュッとシーツを掴んで耐える。それでも声が漏れた。


「ねぇ、どうして欲しいの?」

「ふー、ふー」


 返事ができない。どうしても、返事ができない。

 全身が快楽を感じる器官になってしまったみたい。


「ぁ、ぐ……」

「返事をしないなんて、本当にいけない子……ねぇ?」


 わたしの胸を揉みしだいていた澪おねーさんの手が、わたしの顎を掴む。ぐいっ、と強引に顎を上げさせられた。

 そこで終わればよかったのに。わたしの夢なんだから、終わらせちゃえばよかったのに。

 澪おねーさんがわたしの唇に軽く触れる。本当に軽く、愛おしいものに触れるように。


「ねぇ、どうして欲しいの?」

「わたし……は……壊し、てほ……しい、の」


 快楽に溺れて、自分が何を言っているのかもよくわからない。音は理解できるけど、意味を理解できない。ただ、もっとグチャグチャにして欲しいと、そう思ってしまった。


「壊して欲しいのね。いいわ」


 澪おねーさんの吐息がわたしの肩に触れる。そのまま口を開けると、キラリと牙が光った。


「あっ、がっ」


 そして、その牙がわたしの肩に突き刺さる。目尻から涙が溢れ、痛みがわたしを狂わせる。

 痛みは快楽だった。全身の血が媚薬になって、わたしの意識を混濁させていく。

 わたしの中に澪おねーさんが入ってくる。指先から何から何まで、澪おねーさんの与える快楽に染まっていく。

 こんなの、知らない。知らないから、わたしはそれを気持ちいいが、感じられないものとして認識していた。

 ……夢は、夢でしかないから。わたしの知らないものは、形にできないのだ。


「あぁ、あっ、あ」


 それでも、その快楽に抗うために、わたしはシーツを離して、澪おねーさんにしがみついた。


「もっと、もっと壊して──」


 そう懇願するしかできない。もっと、もっと、もっと──。




 ハロウィンの夜、そんな夢を見た。

 死にたい。

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