第185話 吸血鬼の誘惑

 澪おねーさんは、漆黒に身を包んでいた。文字通り、真っ黒の服を着ている。

 黒いタキシードは、彼女の体型にピッタリと寄り添い、シュッとした印象を持たせている。白いYシャツがコントラストになっていた。

 それにプラスして、蝶ネクタイを締めている。白色の蝶ネクタイは少しばかり光沢があって、どことなく安っぽさを感じた。

 そして特徴的だったのは、その身に纏わせているマントだ。外は黒く、中は赤い。蝶ネクタイと同じように光沢があり、安っぽい。

 衣装は安っぽいけれど、澪おねーさんの素材の良さがそれを打ち消しているように見えた。


「……かっこいい」


 無意識に、そう呟いていた。澪おねーさんは反応を示さないことから、届いていないとわかる。

 澪おねーさんの、かっこいい系の顔立ちと、痩せた体つき。それが、この衣装と理想的なハーモニーを見せる。

 耳には小さなイヤリング。赤色の、おそらくルビーを意識したであろう見た目だ。

 そして目元にはアイライン。目尻を上げる印象の化粧が施されている。どこでそんな化粧テクニックを覚えたのか。それは澪おねーさんの顔を引き締めて、美しい美術品のような印象を持たせた。

 口紅で鮮やかになった唇も、やや色白に施された化粧も、澪おねーさんの素材の良さに裏付けされたかっこよさを持っていた。

 その姿が、わたしの心をざわつかせた。

 この澪おねーさんに、めちゃくちゃにされたい。おそらくモチーフは吸血鬼で、彼女に血を吸われたいという欲求が芽生えてきた。

 もちろん澪おねーさんは人間だから、吸血なんてできないのだけれど。だけど、あの艶のある唇で、その口の中にある歯でわたしに触れて欲しかった。


「お、似合ってるじゃん。いいね!」


 様子を見にきた乃亜ちゃんが、澪おねーさんを褒める。その声でわたしの思考は現実に引き戻された。


「サイズはどう?」

「ちょっと小さいけど、動けないほどではないわ」

「そっか、ならよかった。みーたんに似合うと思ったんだよね、ドラキュラ。えっちゃんもそう思うっしょ?」


 どうかしら、と目線で澪おねーさんが問いかけてくる。


「う、うん。似合ってるよ、すごく……かっこいい」


 面と向かって、率直な感想を述べたかった。けれども、あまりにも眩しすぎて直視できなかった。

 そりゃあ、澪おねーさんがかっこいいのは元から知っているし、そんなことは当たり前すぎる事実だ。

 でも、今の澪おねーさんのかっこいいはベクトルが違う。衣装のせいか、いつもより自信があるように見える。


「似合ってる? それならよかったわ。でも、恥ずかしいわね」


 振る舞いはいつもの澪おねーさんのはず。なのに、見え方が全然違う。

 また、新しい澪おねーさんを知ることができた。その事実が嬉しくて、体が興奮する。心拍数が上がっていくのがわかって、顔が赤くなる自覚をする。


「う、うん……その、一個お願いがあるんだけど」


 この澪おねーさんに迫られたい。その顔でわたしを見つめて、その細くて硬い指でわたしを押さえつけて、わたしの体に跡をつけて欲しい。

 そんな欲望が、つい口を突きそうになる。


「お願い?」

「その……」


 それを強力な自制心で押さえつける。こんなお願い、困らせるだけだから。

 その代わりに、


「わたしを、こう……少し挑発するような態度を……ね」

「挑発? うーん」


 わからない、というような顔つきで澪おねーさんが考え込む。我ながら、よくわからないことをお願いしている自覚はあった。

 困らせているなぁ、わたし。


「こんな感じ?」


 悩みながら、澪おねーさんがわたしの顎を優しく掴む。それから少し持ち上げて、わたしに顔を近づけた。

 まさか、キスされる。そんな想像が脳裏をよぎり、目線が泳ぐ。心臓が破裂しそうで、だけど拒絶する選択肢はありえなかった。

 澪おねーさんの顔が近い。吐息が直にわたしにかかり、ミントの爽やかな香りがした。歯磨き粉の香りだ。

 それはわたしを余計に狂わせる。澪おねーさんをあまりにも近くで感じすぎていて、ただ唇が触れ合うだけだという、心を落ち着かせるための暗示が効果を発揮しない。

 しかし、そんなわたしのドキドキとは裏腹に、澪おねーさんはキスしてはくれなかった。


「私に血を吸われて、眷属になりたいの? 悪い子ね」


 その代わり、耳に口を近づけてささやいた。背筋がゾクリとして、胸の奥が締め付けられるような感覚がする。

 低く、わたしにだけ聞こえるささやき声は、いつもの澪おねーさんとは全然違った。こちらを挑発する、誘っているような声。低くてかっこよくて、艶やかでエロい。

 そんな声で誘われたら、もう我慢できない。

 お願い、そのままわたしをぐちゃぐちゃにして。そんな言葉が喉から出かける。わたしは澪おねーさんの奴隷です、と。


「なんてね。こんな感じでどう?」


 パッと澪おねーさんが表情を柔らかくする。それを見て、あぁこの人はわたしをどうこうしようっていう気はないんだなって、そう思い知らされる。

 ……でも、これでよかったんだ。もし一線を超えてしまったら、わたしは澪おねーさんから離れられなくなる。


「う、うん。なんかドキドキした──すごくよかったよ」


 すり抜けるように、わたしは澪おねーさんから離れた。


「さ、そろそろ仕事の時間じゃない? さぁ今日も一日、頑張ろう!」


 わざと明るい声を作って、そう言った。




 ……その後の仕事は、全くもって集中できなかった。

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