第179話 自然と不自然

 的がハロウィン色に染まっていく。最初は大型ディスカウントストアだけだったのが、コンビニから小さな個人商店までがハロウィンになっていく。

 ハロウィンまであと一週間半ぐらい。


「エリナちゃん、そっちはどう?」


 私たちはといえば、ハロウィンの飾り付けを進めていた。丸一日お店を閉めての、大改装だ。

 ハロウィンの飾り付けテーマは、賑やかハロウィン。おばけもドラキュラもフランケンシュタインも、その全部が入り混じった飾り付けだ。


「うん、終わったよ」


 エリナは壁をメインに飾り付けていた。私はテーブル周りの飾り付けを担当している。

 エリナの飾り付けを見ると、すごく賑やかだった。デフォルメされたフランケンシュタインをサンドイッチするようにおばけとジャックオーランタンの飾り付け。

 ドラキュラの象徴であるコウモリがバッサバッサと羽ばたいているように、壁面全面にたくさん飾られている。


「どうかな」

「いいじゃない。賑やかね」


 これらの飾り付けは、基本的に乃亜ちゃんが描いた絵を焼き増しして使っている。乃亜ちゃんがこんなに可愛らしい絵を描けるなんて意外だった、と思わざるを得ない。

 その乃亜ちゃんはといえば、今日は買い出し担当だ。ホールで着る、ハロウィン用の衣装を買いに行った。


「澪おねーさんはどう?」


 いつも以上に、まるで楽しいですよと言わんばかりにエリナが笑顔を浮かべる。

 まただ、またこの笑顔だ。

 ここ数日、エリナの笑顔が増えた。それは良いことのように思えるけれど、どうしても違和感を拭い切れないでいた。


「こっちも問題ないわ。メニュー表の飾り付けは順調よ」

「わかった。カウンターのほうやっちゃうね」

「おねがいね」


 表面上は平静を装いながら、一体この違和感はなんなのだろうと考える。

 どこか見覚えのある、無理した笑顔。


「まさか、ね」


 一瞬脳裏によぎった想像を、頭を振って掻き消す。あの笑顔は、売春している時の笑顔にそっくりだなんて、冗談でも思っちゃいけないことだから。

 しかし、この違和感を無視することは悪手に思えた。


「エリナちゃん……」


 カウンターに向かっていくエリナに対して呟いた。

 あなたは今、何を抱え込んでいるの。そう聞いて、踏み込みたかった。

 無理に笑わなくて良いんだよって、言ってあげたかった。

 同居を決めたあの日、あの橋での出来事のように。

 でも、それをエリナが望んでいないようにも思えた。

 無理して笑っていて、そんなふうに笑うなって言っても、今の彼女はきっと聞き入れてくれない。

 なにかが、彼女を変える致命的な何かがあったのだと感じる。


「エリナちゃん……」

「呼んだ?」


 私の呟きに、エリナが振り返った。笑顔の仮面を貼り付けて。


「っぁ……」


 そんな笑顔を向けられても、心が苦しくなるだけ。お願いだから、自然に笑っていてほしい。


「な、なんでもないわ。ちょっと考え事をしてたらこぼれただけ」

「なーにー? わたしのこと考えてたの? ちょっと恥ずかしいな」

「そんば恥ずかしがるような事は考えてないわよ」


 誤魔化すように私も笑う。

 本当は、笑えない事を考えていたのだけど、エリナに変な思いをしてほしくなかったから自然な笑顔を浮かべられた。

 あるいは、エリナも同じなのかも。私を心配させないように、無理な笑顔を作っているのかもしれない。


「さ、こっちも終わったわ」


 最後のメニュー表に、可愛らしいゾンビの絵を貼る。死人かつ腐敗したゾンビを飲食店のハロウィンで使うのはどうなんだ、とか思った。


「終わった? じゃあ休憩しよ。コーヒー淹れていいって言われてるから、用意するね」


 エリナが厨房に入っていく。その瞬間、エリナが辛そうな顔をしたのを見逃しはしなかった。




「ふぅ……コーヒー美味しいわ」


 エリナの淹れたコーヒーを飲んで、一息つく。だいぶ腕を上げたな、とか誰目線で言ってるのかわからない評価を下す。

 でも実際、上達したのは間違いない。最初の頃は、苦味が多すぎで風味がない、缶コーヒーのような味わいだったのだから。


「ありがと、澪おねーさん」


 にへら、とエリナが笑う。自然に口角を上げて、本当に嬉しそうだ。

 ただ、コーヒーを褒めただけ。それだけなのに、こんなにも嬉しそうに笑う。

 その姿が愛おしい。自然に笑うエリナの姿は、いつ見ても良いものだ。

 だからこそ、思考の中に棘が残っていた。さっきの無理した笑顔が。

 見比べれば一目瞭然だ。エリナが無理して笑顔を浮かべている事はすぐにわかる。

 私はコーヒーカップを置く。


「エリナちゃん」


 それから、ハッキリとエリナを見据えた。


「何かあった?」


 あえて断言はしなかった。逃げ道を用意して、言いたくなければ言わなくてもいいようにした。

 本当に取り返しがつかない事になっているのなら、素直に話してくれるだろうという信頼があったから。

 エリナが目線を逸らす。何かあったというのは当たりらしい。


「べ、別に何にもないよ。いつも通り」

「いつも通り、ね……私には言えないこと?」

「そ、そんなこと……うん、ごめん。澪おねーさんには話したくない」


 そういう返事をするって事は、私が何かしたか、あるいは私がらみのトラブルを抱えているって事だろう。

 何かをやらかした記憶はないのだけど。


「あっ、澪おねーさんが嫌いになったとか、澪おねーさんのせいってわけじゃないよ。ただ……澪おねーさんには話したくないってだけで……だから、ちょっとの間心配かけると思うけど、大丈夫だからね」

「そうなのね。じゃあ、これ以上は訊かないわ。でも、一つだけ」


 これだけは、言わないといけない事。今のエリナには、絶対に伝えないといけない事。


「無理に笑わなくていいのよ」


 それに心当たりがあるようで、エリナは目を見開いた。それから、言い訳を探すようにあー、とかえーとか言ってから、


「そう、だね。うん、前に澪おねーさんに言われた事だよね。わかってる……わかってるけど、今は無理しても笑わないといけないから」


 それっきり黙り込んでしまった。

 私としても、かける言葉がない。

 場に流れる空気が重くなるのがわかった。

 そうして、それぐらいの時間が経ったのだろうか。一瞬だったようで、長かったようで。


「たっだいまー! 色々買ってきたよー!」


 その空気をぶち壊したのは、乃亜ちゃんだった。

 彼女はきょとんとしたような顔で、


「あり? どったの? なんか暗くない?」


 その空気の重さ、暗さを吹き飛ばすようにそう言ってくれた。その辺はさすがギャルといった感じだ。

 それが今はありがたかった。

 乃亜ちゃんがくれた風を利用して、


「なんでもないわ。さ、残りをやってしまいましょう」


 そう言って仕事に戻ろうとした。

 きっと、何かしていないと気になって正気ではいられないから。そんな理由だった──。

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