第178話 ピエロ

「まず初めに」


 とその自称占い師の買春男はそう切り出した。


「占いは絶対的なものではない。あくまでも、未来への指標の一つでしかない」

「それは、まぁ。わかりますけど」

「その上で、占いの目線から見ると、君は運がないね。はっきり言って君は運を持っていない人間だ」


 占いは絶対的なものではない、と言っておきながらも、彼は極めて絶対的にそうだと言い切る。その矛盾にもやっとしたのと、澪おねーさんとの出会いすら否定された気持ちになって、すでに彼の前に座ったことに後悔をしていた。


「そうかな。わたしは今幸せだけど」

「幸せであることと幸運であることに因果関係がないわけではないけれど、運とはそれ以外のモノも合わせた複合的な要素で構成されているんだよ」


 つまり、運とは色々なモノの詰め合わせだということだろうか。微妙に間違っているかもしれない。


「じゃあ、どうしてわたしに運がないってわかるんですか?」


 男は机に置かれているカードの束を手に取った。慣れた手つきでシャッフルを始める。


「運を構成する諸要素のうち、もっとも大きいものは人との繋がりだ。良き人と、良き付き合いを持つことこそ、人を幸運にする」

「それは、わかるけど。だからこそ、わたしは幸せだと言える」

「幸せと幸運は別物だよ。君は良き人々との付き合いを持っているみたいだが、その付き合いは永遠ではない」


 話の意図がわからない。何を言いたいのだろう、とわたしは困惑する。


「ピンと来ていないようだね。うん、では言い換えようか。今のままでは、君の近くにいる人たちは、いずれ去っていくよ」


 シャッフルを終えた男が、一番上のカードを引く。

 二本の縦線に、斜めに引かれた一本の横線。


「ハガル。意味はトラブルとか災難とか、そういう意味だ」

「トラブル……」

「自分の周りから人が離れていくのも、トラブルの一つだ。家族、友人……恋人」


 恋人、という言葉に心臓が跳ねる。全身の血が一瞬沸騰したような錯覚に襲われた。


「そういった人々が、無条件に周囲にいてくれるはずがない。トラブルは不運であり、そして今の君は不運を呼び寄せる」


 乃亜ちゃん、店長──澪おねーさん。親しい人の顔が浮かぶ。

 つまりは、彼はこう言いたいのだ。


「今のわたしからは、人が去っていく……」

「もちろん、絶対にそうなるとは言い切らないがね」


 ……わたしはいずれ澪おねーさんから離れなければならない。それが前提だけど、その時が来る前に、澪おねーさんから離れていくなんてことは考えたことがなかった。

 それは、耐えられるのか。澪おねーさんに見捨てられたら、心が壊れてしまうんじゃないか。


「どうして、そんなことを」


 男はカードを置き、わたしの頬を掴む。そのままむにーと横に引っ張り、そのことに嫌悪感を覚えた。

 澪おねーさん以外に、頬を引っ張らないで欲しかった。というか、澪おねーさん以外の人には、私に触れないでって言いたかった。


「……人が離れていくという不運を呼び寄せる人には、ある種の特徴があるんだ」

「特徴……」


 男がパッと手を離し、頬が痛んだ。


「そ。今の君に現れている特徴だ。闇を携えた瞳に、希望を持たない思考。卑屈で自己否定をする──人が寄りつかない、暗い人間だ」


 何も言い返せなかった。だって、自分でもそうだってわかっていたから。瞳はわからないけれど、澪おねーさんと一緒に居続けるという希望を持たず、売春してきた自分を否定している。

 あぁ、確かに彼の言うことはもっともだった。それを、わたしを買った人に指摘されるとはなんという皮肉か。

 わざわざ暗い人間と一緒に過ごしたいなんて人は稀だろう。そういう人間は、徐々に孤立していく。


「じゃあ、どうすれば……」

「まずは笑うことだ。笑顔は人を惹きつけるからね」


 笑顔。心の底から笑えれば、澪おねーさんのほうから離れていく事態を避けられるのだろうか。


「あとは、諦めないことだ」

「諦めない、こと」

「何かを渇望して、諦め切れなくて、でも諦めたふりをしている人間は惨めだからね」

「わたしが何かを諦めたふりをしている、と?」


 シラを切ってみせる。

 ほんとうはわかり切っていたけれど。何を諦めているのかを。

 そしてそれが諦めたふりでしかないことも。

 つまり、わたしは澪おねーさんのことを諦め切れないでいる。


「諦めたふりをしているだろう? そう……恋愛絡みかな」


 目線が泳ぐ。それを見て、男がニヤリと笑うのを、視界の端で捉えた。


「どうして、わかったの?」

「そこは、占いの力とでもしておくよ」


 それは企業秘密だと言いたいのだろう。気になるけれど、そこに疑問を挟んでも特に解決はしないので無視する。


「……わたし、売春をしてた」


 観念して、わたしは心情を吐き出した。

 きっと、誰かに吐き出したかったのだ。だけど、わたしの過去を知らない人には吐き出せないし、吐き出してはいけないことだから。


「そんなわたしが、ある人を好きになった。すっごい素敵な人で、でも……だからこそ、わたしがその人に告白したりだとか、そういうのはあり得なくて……だって、素敵な人だからこそ、わたしみたいな汚れた人間と一緒になっちゃいけないんだって思う」


 一通り口にして、吐き出した。吐き出したはずなのに、胸の奥のモヤモヤは消えないばかりか、どんどん膨らんでいく。

 それも当然だ。澪おねーさんはわたしの大部分を作っているのだから。澪おねーさんとの出会いが、わたしを変えてくれたのだから。


「それは、典型的な運を逃す人の思考だね。私はカウンセラーではないから、こうしなさいとは言わないが……うん、そうだね。私らしく解決しよう」


 男はもう一度カードを引いた。

 そのカードは見慣れない形状の文字が書かれていた。


「べオースか。選択や偶然、チャンスを意味するルーンだね」

「選択……」

「どんな選択をするのか。おそらくはその時が迫っているというように解釈したよ、私は」


 選択の時。澪おねーさんと離れるか否か、改めて決めろと言われているような気がした。


「まぁ、いずれにせよだ。笑うことをすすめるよ。君がこのアドバイスを受け入れるかどうかも含めて、君自身がどう選択するかは知らないけど、笑っていればきっと良いことが起きる」


 さて、と男が笑ってカードをしまう。


「……もう我々は会わない方がいいだろう。互いに関係性はよろしくないしね」


 それもそうだ。わたしたちは売春で繋がった人なのだから。

 その事実が、澪おねーさんにも当てはまることに気がついたのは無視した。胸が痛む。


「さぁ、行った行った」

「う、うん。その、お代は」

「必要ないよ。古い知り合いだからね」


 その言葉に甘えることにして、わたしは席を立つ。

 買春していたわりに、良い人なのかもと思った。

 でも、心の中の汚泥は消えないままだった。話したとしても、すっきりとはしてくれなかったのだった。




「笑顔、かぁ」


 トイレの鏡に向かい合う。

 淀んだ瞳をしている。それに、口角も下がっていて、なるほどこれは不運な人間の顔だと納得してしまった。

 ため息をついて、口の中に両手の人差し指を突っ込んだ。

 笑顔とは口角を上げた顔のことだ。だから、口を横に引っ張って、無理やり上に引き上げた。

 歪な笑顔だ。あまりにも歪で、まるで出来の悪いピエロの化粧をした人のようで、目も当てられない。

 それに、口の端っこが痛い。避けそうだ。

 パッと指を引き抜く。途端に表情が、元の不機嫌そうな顔に戻った。

 ため息。

 澪おねーさんから離れていかないように、明るいわたしを演じないと。

 大丈夫、できるはずだ。

 エゴイストだ、わたし。いずれかは自分から離れる人に、彼女からは離れてほしくないなんて。

 そんなエゴイストのわたしに蓋をする。

 そのために、不恰好なピエロになるのだ──。

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