第175話 夢想
澪おねーさんの制服の写真を眺めながら、わたしは一人でぼんやりとしていた。
あれから約一週間。今日は仕事も休みの日で、ぼんやりとできる日。澪おねーさんは食材の買い出しに出ていて、わたし一人しかいない。
一人、そう一人なのだ。わたしは今一人。いつもは大体澪おねーさんと一緒にいるから、こういう時間は割と貴重だ。
貴重なんだけれど、だからと言って何かをする気になるわけでもなく。こうして澪おねーさんの写真を眺めることで時間をつぶしている。
「澪おねーさん」
わたしの好きな人。わたしがそばにいたい人。でも、いつかは別れなければならない人。
その別れがいつになるかはわからないけれど、そのための心構えは常にしているつもりだ。
制服姿の澪おねーさんの写真を、しっかりと見る。
澪おねーさんと制服は、一見するとちぐはぐなバランスに見える。それは当然だろう。澪おねーさんの年齢は、わたしと一回り以上離れているわけだし。
しかしそこはわたしの選んだブレザータイプが功を奏した。ブレザーは構造がスーツに似ているから、セーラー服よりも違和感は少ない。
わたしの着ているようなジャンパースカートも、基本は合わないほど悪くはないのだけれど、あれは少し可愛すぎる。乃亜ちゃんのように可愛い系の顔つきなら似合うだろうけれど、美人系には少しミスマッチだ。
その点ブレザーはいい。かわいい子にも美しい人にも似あうのだから。
「澪おねーさん……」
制服に身を包んだ澪おねーさんを見ていると、背徳的な気持ちを持ってしまう。
そう、制服の持つ清廉さと、だけどそれが本来制服を着る立場にない人が着ているという事実。そしてパンツスタイルであることでスタイルが強調されるという点。
スタイルが強調されるから、わたしはそれに意識を奪われる。
澪おねーさんは、スタイルが良い。もともと瘦せ型で、スレンダー。それがわたしの好みと合致している節がある。
それが、元々のわたしの好みだったのか、澪おねーさんを好きになったから好きになったのか。それは定かではない。
ただ、一つだけ。
「好き……澪おねーさん……」
きっと、澪おねーさんがどんな姿であっても、わたしは好きになっただろう。彼女の見た目ではなく、その内面もまた、わたしの好きな部分なのだから。
彼女の生き方はとても不器用。だけど、大切な人のために行動できる人で、わたしもその大切な人に入っているんだっていう実感がわく。
率直に言って、わたしは澪おねーさんに大切にされているんだろうなって思う。わたしと一緒にいると、彼女はよく笑ってくれるし、わたしが澪おねーさんの写真が欲しいって思って、半ば無理矢理制服姿の写真を撮った時も、けっこうあっさりと写真を撮らせてくれたし。
それに、数日前に事務所で大橋さんと鉢合わせてしまった時も、すぐに逃げたわたしの方に来てくれたし。
だから、大切にされているんだろうとは思う。
澪おねーさんは優しいのだ。わたしのしてきた行為を知ってなお、わたしに優しくしてくれるのだから。
でも、そんな澪おねーさんの人生を、わたしが縛るわけにはいかない。縛るわけにはいかないから、わたしはいずれ彼女と別れなければならない。
「澪おねーさんと、一緒に制服を着れてよかったな……」
思い出が一つ増えた。大切な思い出が一つ、二つ、三つ。彼女と過ごしているすべての日々が、わたしにとって掛け替えのない思い出になる。
その思い出があれば、わたしは澪おねーさんと離れても耐えていける。
いや、それは少し違う。
わたしは耐えなければならない。彼女と別れるその時の辛さを、その先の、澪おねーさんの居ない人生を。
「嫌だなぁ……」
そう呟いてしまったのは、ほんとうに無意識的なものだった。
嫌だなんて、思う権利はないのに。
もし、出会い方が違っていたら。澪おねーさんともっと良い出会い方をしていたら。
そんなたらればの話が脳裏に過った。
例えば、互いに学生で。
わたしは一年生で。
澪おねーさんは上級生で。
そんな出会い方。
そんな出会い方をしていたら、あるいはただの友達として、ずっと一緒にいられたかもしれない。
そんな、たらればのはなし。
「……はぁ」
そんな話に意味はない。そんな夢物語は、夢物語以上のなんでもない。
わたしは体を売っていて。
澪おねーさんは私を買って。
出会いはそんな、最悪の形だった。
澪おねーさんの制服を見たからか、一緒の学校に通う幻を見たのだ。
「澪おねーさんと一緒に学校行ってみたいな……」
口を突いたのは、そんな儚い希望。どれほど手を伸ばしても、絶対に叶うことのない希望。
わたしは学校に行くお金を持っていないし、澪おねーさんは学校に行く年齢じゃない。ただそれだけの事なのだ。
だから、一緒に制服を着て、それで満足しなければならない。それ以上を望むのはいけない事なんだって、理解している。
理解しているのに、心はそれを拒んでいた。
あり得ないことを望んで、あり得ないことをしたいと思っている。
澪おねーさんとやりたい事。その欲望だけが際限なく増えていく。その中には不可能なこともたくさんある……というか、不可能ばかりだ。
一緒に学校に行きたいなんて、それこそ最も大きな不可能だろう。
「澪おねーさん……」
その不可能を――仮にだが――叶えられるのなら。そう夢想する事もある。けれども、それはやはり澪おねーさんの人生を縛ることで、そんなのはやっぱり間違っているのだと思う。
思うのに、そう考えるのが止められない。
罪悪感が、わたしを壊していくのがわかった。
それでも、
「ただいま」
澪おねーさんの前では、いつものわたしでいなくちゃいけない。
澪おねーさんが帰ってきた。わたしはいつものように、あどけない笑顔を張り付けて、出迎えるのだった。
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