第174話 十月の事務所にて

「お疲れ様です」


 と、言って私たちは事務所に戻る。時刻は五時で、ちょうど上がりの時間だ。

 上がりの時間といっても、日によって多少の前後が発生する。混み具合とかそういうもので変化するのだ。今日はまぁ、普通ぐらいの時間だろう。


「はい、お疲れ様」

 夕子の言葉を聞きながら、事務所に入った。

 エリナと制服合わせをしてから、数日が経った。制服はあれ以来着ていない。

 そんなことをふと思ったのは、今日が平日で、乃亜ちゃんが事務所にいたからだ。


「よっすー、おつかれー」


 事務所の机に、乃亜ちゃんが向かっている。机上には、ノートと教科書らしき本。


「お疲れ様。乃亜ちゃんは勉強?」


 机上を覗き込んだエリナがそう問いかける。


「うん。二学期中間テスト期間に入ったから。あーし、点数を取るためにはそれなりに頑張んなくちゃいけないから」

「なんか意外ね。真面目に勉強する子だとは思わなかったわ」

「あっ、なにそれ酷い」

「自分の見た目を振り返ってから言いなさい」


 染めた髪は、おおよそ真面目な学生とは言い難かった。真面目な学生ならば、髪は染めず、スカートも短くせず、ついでにネイルもしないだろう。

 一方の乃亜ちゃんはと言えば、スカートも膝丈ぐらいで、ネイルもしている。


「先生に良い顔されないでしょう、そのネイルとか」

「化粧もしてるし、うちは緩いから校則的には違反してないんだけど、良い顔はされてないよね」

「だったら」

「だから良い点を取らなくちゃいけないの。えっちゃんだったらさ、良い点とってるギャルと悪い点を取ってるギャル、どっちが印象悪いと考える?」

「わたし?」


 不意を突かれた、着替え途中のエリナが一瞬固まる。それから、


「わたしだったら、悪い点の子のほうが印象悪いかな。遊んでるだけって感じると思う」

「みーたんは?」

「私も同じ意見ね」


 着替えながら、そう答えた。


「そ。だから成績だけでも真面目さを演出しておきたいってわけ」

「意外とやり手なのね、乃亜ちゃんは」


 そういう風に生きることができる人は、人から好かれやすい──たぶん。

 立ち回りが上手いというのだ。大橋さんもこのタイプだったように思う。立ち回りが上手いから、前の職場でも目を付けられなかった。

 私には無理な生き方だ。


「やり手ってほどじゃないよ。なりたい自分になるために、頑張ってるだけ」

「それを頑張れるのが、やり手って言うのよ。乃亜ちゃんもエリナちゃんも、そういうところがすごいと思うわ」


 そう、私にはそれができない。できないから、敵を作ってしまう。敵を作って、傷つけられて……。

 でも、そのおかげでエリナに出会えた。エリナに出会えた奇跡は、私のその性質が起こしたのだ。


「ところでさ」


 乃亜ちゃんが何やら笑顔を浮かべる。絶対ろくなこと考えていないと断言できる笑顔だった。


「みーたんの制服、見たいなぁ」

「えっ、私の制服を?」


 なんか、今すっごく間抜けな"えっ"という声が出た気がする。


「なんで」

「なんでって、見たいから。興味があるなぁって。写真とかないの? 高校の頃のさ」

「ないわよ。私、そもそも高校に行ってないもの」


 そこで乃亜ちゃんはハッとしたような表情を浮かべ、それから申し訳なさそうに。


「ご、ごめん。無神経なこと言っちゃった」

「気にしてないから良いわよ。私自身、あまり進学に乗り気じゃなかっただけだから」

「そう、だったんだ。じゃあ、今から高校に行く気は?」

「今のところはないわね」


 わずかに視線を動かし、エリナを捉える。

 エリナと一緒の高校だったら、行ってもいいけど。


「そうなんだ。見たいなぁ、みーたんの制服」

「それ、あたしも興味ある」


 事務所に入ってきたのは、大橋さんだった。


「おはようございます、先輩、乃亜ちゃん」


 大橋さんはチラリとエリナを見やると、すぐに目線を逸らした。徹底的に無視する構えのようだ。

 これは別に珍しいことじゃない。二人は基本的に仲が悪いというか、互いに避けている感じがするのだ。


「澪おねーさん。わたしは外で待ってますね」


 そそくさとエリナが退散する。私は小さくため息をついて、さてどうしたものかと考える。

 無理に仲良くさせることは難しいだろう。以前の一件から、大橋さんがエリナを嫌っていることは明白だし。

 立ち回りが上手い大橋さんらしからぬことだ。ここまで敵を作ってしまうような行動をするなんて。

 なんで嫌ってるんだろう。そんな疑問が思考に現れた。考えてもある意味仕方がないだろう。私には大橋さんの考えはわからないわけだし。

 さて、この場合どちらの味方をするべきか。そんなのは決まり切っていた。


「大橋さん」

「なんですか、先輩?」

「なんていうか……」


 なんて言えばいいんだろう。


「……その」

「あっ、そうだ。あたしも先輩の制服が見たいです!」


 深刻な雰囲気を感じたのか、大橋さんがカラッと空気を変えようと努める。それに毒気を抜かれたわけではないが、乃亜ちゃんのいるわけだし、そこまで深刻ぶっても迷惑をかけてしまうと思った。

 だから、


「着ないわよ、制服なんて」

「えー。ハロウィンなんだし、制服着ましょうよ」

「アラサーの私が制服を着ても、誰も得しないわ」


 それに、私の制服はエリナと一緒の時にしか見れないものにしたいし、見せる相手もエリナがいいから。

 ……できれば、エリナと一緒に学校に通いたいな。

 そんな、ありえない夢物語を一瞬思い描いた。


「じゃ、私帰るわね。お疲れ様」


 えー、と不満げな大橋さんは半ば無視して、私も事務所を出たのだった。

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