第172話 制服の二人

 シュルシュル、パサッ。

 服を脱ぎ、着替える音が聞こえる。そんなもの、同居しているからには何度も耳にしている。なのに、今日の音はずいぶんと主張してくる。

 それもそのはずだ。だって、脱衣所では、エリナが特別な服装に着替えているのだから。私はそれを、自分の制服を持ったまま待っている。

 ……制服は、私とエリナを結んだ一つの要素だ。

 それはなんとも歪で、蠱惑的な出会いで、おおよそまともとはいえない出会いだったけれど。それでも、この出会いそのものは良いものだったと信じている。


「これでよしっと」


 脱衣所の中から、エリナの声が聞こえてくる。

 心拍数が高まるのを感じた。


「お待たせ、澪おねーさん」


 脱衣所からエリナが出てくる。何度も見て、すっかり見慣れたはずのその姿に、私は息を呑む。

 紺色のジャンパースカートは、記憶にある通りの落ち着いた色合い。それに合わせて着ていたボレロは、今は着ていない。

 懐かしい。実際は、わずか一年にも満たない時間しか経っていないはずなのに、ずいぶんと懐かしく思う。


「なんか、久しぶりに着ると変な感じがする。ちょっと恥ずかしいな」


 照れくさそうにエレナがはにかんだ。その笑顔と、制服に私の気が変になりそうだった。

 あまりにもかわいい。それは、年下に対するかわいいの感情と、好きな相手に対するかわいいの感情が入り混じった、複雑なかわいいだった。


「どう?」

「似合ってるわ。すごく……そう、あの頃と変わらずにかわいいわ」

「よかった。じゃあ、次は澪おねーさんが着る番だよ」


 促され、私は制服を手にしたまま、エリナと入れ替わりで脱衣所に入った。

 制服……学生服。私の歳の人が着るような服ではない、子供の頃だけに許される特権。

 だから手元にあるのは本物ではなく、あくまでもコスプレ用のものだ。

 ふと、エリナの制服は本物なのだろうかという疑問が浮かんだ。本物だとしたら、どうやって入手したのか。そんな疑問を私は無視する。

 制服を袋から出すと、その作りの甘さが気になった。なんか全体的に生地が薄っぺらい。

 ブレザーもYシャツも、ズボンもネクタイもおもちゃみたいだ。

 まぁ、こんなものかと思い、私は服を着替えていく。

 制服は基本的にスーツとそう変わらない。ネクタイの結び方も変わらないはず──、


「って、ネクタイはゴムなのね」


 ゴムの輪に首を通す、結ぶ必要のないネクタイだ。誰が着けても同じようになる、コスプレ用らしい仕様だった。

 最後にブレザーを着る。着替えを終わって、私は脱衣所の鏡を見る。


「だいぶキツイわね……」


 ビジュアル面で厳しいものを感じる。なんというか、いわゆる学生服と学生のイメージからはかけ離れていると思うのだ。

 学生服と呼ばれる制服のイメージ。ざっくり言えば、可憐で美しく、あるいは可愛らしい。そういったイメージだ。エリナや乃亜ちゃんがこれに該当する。

 もちろんそこには年齢という要素も多分に含まれるし、私はすでにアラサーなので、若い人のような着こなしはできない。

 であれば、化粧の一つでもして若く見せたいところだけれど、私は化粧の仕方などろくに知らない。若作りなんてできないのだ。


「一緒に制服を着たいだなんて言い出さなければよかったかしら」


 ため息を一つ。それから、脱衣所を出た。


「お待たせエリナちゃん……変じゃないかしら」


 エリナは私を見ると、唖然としたような表情で固まる。そんなに似合っていないのか、と自分でもわかっていながら、しかしがっかりする。


「……綺麗」


 そんな私の心を知ってか知らずか、エリナが呟いたのはそんな言葉だった。

 えっ、と意外な言葉に私は間抜けな返答をした。


「綺麗だよ、澪おねーさん。すごく似合ってる」

「……むず痒いわ」


 そう言われることは予想していなかった。だからすごく嬉しいけれど、むず痒い。


「でも、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないよ。本当に似合ってて、かわいい」


 その言葉は、きっと本心なのだろうと思った。緩んだ表情は、しかし真剣なものだったから。だからそれが嘘じゃないって思えた。


「……だけど、不思議な感じだね。わたしたち、どっちも学生じゃないのに、学生服を着てる」

「そうね、確かにそうだわ」


 言われてみれば、確かにその通りだった。どちらも、本来学生服を着る立場にないものだから。

 だから、これは。


「少し早い、ハロウィンの仮装みたい」

「ハロウィンの仮装かぁ。うん、それは言えてるね」


 このシチュエーションがなんか少しおかしくて、二人で小さく笑った。

 まだ少し時期がズレているハロウィン。本来ありえない、エリナとの制服の時間。

 好きな人との、秘密のひと時。


「……エリナちゃん」

「なぁに?」

「その……久しぶりに制服を見れて嬉しかったわ」

「わたしも、澪おねーさんの制服は一度見てみたかったんだ。正直ちょっと恥ずかしかったけど、一緒に制服着れてよかったよ」


 ……また、制服を着てもらいたいな。そう思った。今日一日の思い出だけでなく、また見れる日が来て欲しいとそう思った。


「……エリナちゃん。こんど、その……」

「こんど、この服でどっか行こうよ。ハロウィンならコスプレイベントとかやってるだろうし」

「──えぇ、ぜひ行きましょう」


 エリナからその提案をしてきた事に、私は心が躍った。だって、またエリナの制服を見れるだけでなく、今度は一緒に外に出てるんだから。

 ハロウィンの季節って良いな。そう思った。

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