第167話 それを見るために

「ん――朝」


 意識が浮上して、真っ先に違和感に気が付いた。なんというか、布団がいつもよりも柔らかい。

 それに、部屋のまとっている空気も全然違った。目を開ける前から、それがわかる。

 それは、部屋の匂いとか、空気とかそういうのだろう。


「そっか、ここ家じゃないんだ」


 ぼんやりとした頭で、自分が今どこにいるのかを思い出す。そう、今はホテルにいるのだ。

 少しずつ、意識が鮮明になっていく。それが何を意味するのか。

 つまりは、世界とのつながりが鮮明になっていくという事。夢の中という、自分の内部だけの世界から、すべてがある世界へ。

 必然、感覚も鮮明になっていく。

 そうすると、あることに気が付いた。なんというか、ものすごい違和感というか。ざっくばらんに言ってしまえば、目線を感じるというか。


「何か用、エリナちゃん」


 目を開けると、案の定エリナと目が合った。じーっと見つめられるような感覚は、気のせいではなかったということだ。


「うっひゃい」


 エリナが驚いたといわんばかりに飛びのく。そんなに驚くこともないのに、と内心でごちる。というか、うっひゃいってなんだうっひゃいて。


「いや、別に用ってわけじゃないんだけどね。ただ、ちょっと見てただけ」


 うん、と言い訳がましくエリナがそう言った。いや、じゃあなんで見てたんだーって追求するのは実に簡単な事なのだけど。


「……まぁ、いいわ。今何時?」

「っあ、うん。今は七時ぐらい」

「ちょうどいい時間ね」


 一つあくびをしてから、肩をコキコキと鳴らす。慣れないベッドで寝たからか、体が少し硬かった。

 しかし……寝起きでもエリナはかわいい。今の彼女は、紺色のパジャマを着ていた。ゆったりとしたTシャツスタイルのパジャマエリナは、まさしく美少女だ。

 私も似たようなパジャマを着ているけれど、エリナのそれとは雲泥の差だった。なぜかって、私は彼女みたいにかわいくないから。

 私の事はどうでもいい。


「どうかした?」


 エリナがこちらの顔をのぞき込んでくる。なんでもないよ、と胸の前で手を振った。

 寝起きのエリナ、なんというか……エロい。パジャマのゆったりとした感じが、エリナの色気を引き立てているような気がした。

 パジャマって、こうやってじっくり見るとあれなのね、と頭の片隅でそう考える。ゆったりとしているからこそ生じる、胸からおなかにかけての独特なラインが――。

 

「ただ、エリナちゃんが可愛いなって思っただけ」


 まるで、そこに性的な欲求が何一つないかのようにふるまう。そうすることが彼女にとって一番いいことだと知っているから。


「そ、そっか。ありがとう、うん」


 エリナは顔を赤らめてそっぽを向いた。

 むぅ、もっとこっちを見てほしいのに。


「さ、早く着替えてご飯食べに行こ!」


 強引に話を切り替えられる。とはいえここでいろいろ話をしていても時間が無為に消えていくだけなので、私は特に反対することはなかったのだった。




 ホテルの朝食は、豪華なバイキングスタイルだった。その仔細については省略するが、普段では食べないようなものをいろいろ食べられて、満足感があった。


「さて、帰りのフェリーが三時ぐらいだから……今からだと六時間ぐらいかな」


 のんびりと食後のコーヒーを飲みながら、私はエリナとこの後の予定を話し合う。今日も海に行くのか、それとも別の予定を入れるのか――という問題を解決するための話し合いだ。


「今日は、お土産とかじっくり見たいわね」

「いいねそれ。じゃあ、海辺をみながらのんびりとお店巡りかな」


 私はコーヒーをすする。苦みが強すぎるきらいがあるコーヒーだった。


「お土産はお店にと、あとは私達で食べる分とかかしらね」

「それでいいと思う。そんなに買っても、持って帰るのが大変だしね」


 エリナが笑い、私はそれに校庭の頷きを返した。


「じゃ、それで。時間もそんなにないし、さっそく動きだそ!」


 コーヒーを飲み干し、立ち上がった。

 ちなみに、食堂はガラガラだった。私達はすでに出遅れてしまっていることを、ここで察したのだった。




 で、ゴロゴロとキャリーケースを運びながら、私たちはお土産屋をめぐっていた。


「クッキーがいいかな?」


 とエリナが提案し、


「ありきたりじゃない?」


 と私が返す。

 この島の名物はタコらしいが、しかしながらタコは生もので、お土産には向かない。自分たちで食べる分には問題ないが。


「ちりめんじゃこ買っていこ」


 と、島でもとりわけ大きなお土産屋で、エリナが買い物かごにいろいろ放り込んでいく。じゃこ、海苔、タコを使った調味料などなどなど。

 とにかく目につくものは片っ端から買っていく、そんな印象だ。


「そうだ、これとかもいいんじゃない?」


 私は雑貨コーナーにあるキーホルダーを手に取る。真っ赤な、愛嬌のあるタコの形をしたキーホルダーだ。


「お揃いで、持っておくの。どうかな?」


 これを、私はエリナとの思い出にしたかった。これを持ち歩くことで、この旅行の事を思い出せるように。

 人の記憶とは儚い。私の記憶だって、死ぬまでちゃんとしている保証はどこにもない。

 それに、最期まで一緒にいられる保証もないし。


「いいね、それ」


 エリナがそう言って、キーホルダーを眺める。


「愛嬌があって可愛らしいじゃん」


 それは真実その通りだった。赤いタコの造形は、絵本に出てくるようなタコのキャラクターそっくり。


「しかし、いろいろ買うわね。食べきれるかしら」

「食べきれるよ。賞味期限が意外と長いし」


 二人なら大丈夫、とエリナが笑う。そう、二人なら。エリナの人生に、当たり前のように私という存在が居る事が嬉しかった。

 いろいろ突っ込んだ買い物かごをレジに持っていき、会計を済ませる。

 海岸沿いを歩く。まばゆい光が海面に反射して、宝石のように瞬いていた。

 時間はあっという間に過ぎていく。この旅行も、もうじき終わる。


「エリナちゃん」


 終わる前に、これだけは言っておかないと。


「なに、澪おねーさん」


 振り向いたエリナに、


「楽しかったわ。一緒に来てくれてありがとう」


 そういうと、一瞬エリナはあっけにとられたような表情を見せる。それから、その言葉をかみしめるようにはにかんだ後、


「うん、私も楽しかった!」


 太陽に負けないほどの眩しい笑顔。

 それが、あまりにも尊いものに思えた。

 だから、きっと。私にとってこの旅行は、エリナの笑顔を見るためのものだったのだ。

 写真には残せない、エリナの笑顔を見るためだったのだ――。

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