第165話 花火

 エリナに手を引かれて、私は山の中に入る。山の中とはいえ、ちゃんと整備された道だ。

 そこまで傾斜もきつくなく、高くもない山だけれど、浴衣を着ていると少しばかり上るのが大変だった。

 人通りは多い。下る人は少なく、上る人が多いのは、きっとそういうことなのだろう。

 早々に私は、エリナがどこに連れて行こうとしているのかを察した。ここまで材料がそろっていれば、大体気が付く。

 ついでに、標識には展望台と書かれているし。

 私は察しながらも、それを指摘できずにいた。きっと彼女はサプライズのつもりなんだろうし――違うかもだけど――、指摘するのは野暮というものだろうし。


「さすがにこの辺にお店はないね」


 エリナが言った通り、このあたりに屋台は出ていなかった。それは単純に、傾斜があるからだろうと私は予測する。傾斜がある道は、屋台を設営するのには不向きだろうから。

 振り返ると、まだまだにぎやかな祭りの光景が目に入る。すべての人がこっちに来るわけではないのだから、にぎわっているのは当然と言えた。

 最も、その賑わいは先ほどまでよりは落ち着いている。少なくとも遠目にはそう思えた。


「確かにね。おなかが空いても、何も買えないわ」

「結構食べてたけどね」


 エリナが笑う。それにつられて、私も笑った。


「確かに結構食べたわ。いろいろ初めて食べるものが多くて、楽しかったわ」

「綿菓子とか、新鮮な反応していたよね」


 綿菓子、それは白くてふわふわな食べ物。まるで雲のようなお菓子が、目の前で作られていくのは見ていて面白かった。

 けど、何よりも食べたときの体験が面白かった。見た目通りふんわりとしているかと思ったら、意外と固い。そしてとてつもない甘さだった。

 だが、悪くない。常食しようとは思わないけれど、こういった機会に食べるのはありだと思った。


「ちょっと甘すぎだけど、美味しかったわ。エリナちゃんは何が気に入ったの?」

「わたし? わたしはね、りんご飴が美味しかったかな。不思議な味わいで、あれ好きだなぁ」


 りんご飴か、と私は思った。あれは私はあまり好かなかったから。

 けど、それもまた人の個性なのだろう。


「っと、着いたよ」


 話をしているうちに、私たちは展望台についていた。

 そこにはすでにかなりの人数が集まっていて、その時を今か今かと待っている。その人々の群れの中に混じって、私たちもその時を待つことにした。


「さすがに気が付いているよね?」


 エリナがそう訊いてくる。


「えぇ、さすがにね」


 ここまで来て、そう問いかけられて気が付いていませんというのはおまぬけが過ぎるというもの。

 私は素直に、


「花火でしょ?」


 と答えることにした。


「やっぱり気が付いていたんだね。サプライズしようと思ったんだけど……まぁ、いっか」


 しょぼんとするエリナに可愛らしさを覚える。どんな表情をしていても、エリナはかわいかった。

 それはさておき。

 展望台は賑やかだった。友達と、カップルと、家族と、いろいろな人がいて、楽し気に笑いあっていた。


「花火って久しぶりに見るけど……久しぶりが澪おねーさんでよかった」


 嬉しいことを言ってくれる。エリナにそう言ってもらえることが、胸が躍るほどに嬉しい。たとえそれが、友愛からくる言葉であったとしても。


「私も、エリナちゃんと来れて嬉しいよ」


 私のそれは、恋愛感情からくるものだ。エリナの事が好きだから、彼女と一緒に花火を見れるというこの体験が、すごく嬉しいものに思えた。

 遠くから、ひゅう、という音が鳴り響く。


「あっ、始まったよ」


 エリナが目線を空に向ける。私もその視線の先を追いかけた。

 色のついた、光の線が闇夜を照らす。それは綺麗な赤色をしていた。

 それは勢い良く天を切り裂いていく。まるで天翔ける竜のように。

 そして、轟音。乾いた破裂音がして、私たちの場所に光が届く。


「……綺麗」


 その声は私のものか、エリナのものか。花火の轟音が、声の主を不明瞭にしていた。

 ざわめきが起こる。すごい、とかそういう言葉が、展望台のあちらこちらから聞こえてくる。

 二つ、三つと花火が打ちあがる。それは一瞬にして空を駆けて、様々な色の爆発を見せる。立て続けに音と光が届き、それを楽しむ。

 花火は儚い。瞬く間に花を咲かせ、そして消えていく。その後には何も残らないけれど、私たちの心に光を焼き付ける。

 綺麗だった。この綺麗な光景を、エリナと一緒に見られたことがすごく嬉しい。

 だけど、だからこそもっと近くにエリナを感じていたかった。この光の中でも、それに負けないほどの、私だけの花を。

 無意識に、エリナの手を握っていた。


「澪おねーさん?」


 困惑したような声が、私の耳に届く。それを無視して、私はエリナの指に私の指を絡めた。


「エリナちゃんを感じていたいの。ダメ?」

「ダメじゃ、ないけど」


 私はエリナの方を向く。彼女の顔に、花火の光が落ちる。彼女の顔が赤く見えるのは、エリナが恥ずかしがっているのか、それとも光の加減か。

 心臓がどくどくと脈打つ。エリナはこの血流を感じているのだろうか。感じていて欲しいな、とか思った。


「私は、エリナちゃんとこうしている時間が好き。一緒にいて、いろいろなものを見て、触れ合っているこの時間が好き」


 その言葉は、本心からのものだ。私の世界にはないものをくれるエリナと、そうやって触れ合っている時間が大切で。

 好き、好き、好き。言葉がどこまでも続く。私はずっとこうしていたい。


「エリナちゃんと一緒にいるのが好き。エリナちゃんを見つめている時間が好き。エリナちゃんのそばにいられる今が好き」


 でも、それでも。


「だから、今はそれだけで……ごめんなさい、変な事言ったわね」


 今はまだ、彼女の事が好きだと伝えるわけにはいかないから。

 臆病な私は、エリナに踏み込む勇気がまだないから。


「花火、綺麗ね」


 そう言ってごまかしたのだった。

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