第163話 秘密の中身

 四時頃になると、人の数もだいぶ少なくなってきた。私はまだ夕方にも差し掛かっていないような時間なのに、と疑問を覚えた。

 空はいまだ青々としていて、夏であることを感じさせる。ゆえに、まだ遊べる時間なのだが……。現実には、人々は海から上がって、各々の帰路についている。

 あるものは船着き場に。

 あるものはホテルのある場所に。

 そして、


「そろそろ一度ホテルに帰ろ」


 エリナもそれに倣うようにそう言った。


「え? まだ四時だけど」


 浜辺に建てられている時計塔を見て、私はそう返事をする。


「あー、まぁそうなんだけどね。ちょっとしたイベントがあるっていうか」

「イベント?」

「そう、イベント。その準備があるから、一度ホテルに戻らない?」


 きっと私は怪訝な顔をしているだろう。エリナの考えが読めないから。

 イベントって何のイベントなんだろう。なにか考えがあるのは間違いないのだけれど。

 でも、まぁ。


「わかったわ」


 エリナの事を信用することにした。




 ――というのが、今から三十分ほど前。そのあと海水浴場に設置されているシャワーを使用して海水や砂を落し、ホテルに戻ってきた。


「ふー、楽しかったぁ」


 ホテルの部屋に入ると、室内は暗かった。私がカードキーを入り口横のスロットに差し込むと、一気に部屋の電気が付く。


「楽しかったわね」


 フロントで受け取った荷物を部屋の隅にまとめる。体に残る疲労感はちょうどよい感じで、今夜はぐっすりと眠れそうだという予感があった。


「けど、戻ってくるの早くない? もうちょっと海にいてもよかったと思うけど」

「澪おねーさん、ポスターとかって見た?」

「ポスター?」


 見ていない。ポスターに目が行くよりも、エリナに目が行っていたから。


「何か貼ってあった?」

「海の家とかに貼ってあったよ。私はネットで見たんだけど、これを楽しみにしていたんだよ」


 言いながら、エリナはずっと隠していたカバンを開けていく。

 その中に何が入っているのだろうか、と私は好奇心から覗き込んだ。

 そこには、服らしきものが入っていた。カラフルな柄は、おそらく花柄。全体の色合いは、薄い青色とピンク色だった。二着入っているらしい。


「これは?」

「浴衣。今日お祭りがあるんだって」


 わくわくした様子で、エリナが浴衣を取り出していく。

 そうか、お祭りがあるのか。確かにどこかしらでポスターを見かけていてもおかしくはない。

 ポスターに目が行かなかったのは、エリナを見ていたから。ほかの光景にしたって、最低限しか見ていないのだろう。最低限安全を確保する程度しか。


「お祭りねぇ。もしかして秘密にしていたのって?」

「厳密に言えば、浴衣の方だけどね。どっかしらでお祭りの事気が付くと思っていたんだけど」

「全然気が付かなかったわね。ずっとエリナちゃんの事を見ていたから」

「……そっか」


 あ、照れてる。かわいい。

 エリナはベッドの上に浴衣を広げていく。少し動きが速いのは、照れを隠すためか。


「その浴衣はどうしたの?」

「中古でね。安く売ってたから気にしなくていいよ」


 と言われても、浴衣って結構な値段するものじゃないのか。気にするなっていうのは少しばかり無理があるように思えた。

 浴衣は上下に分かれていて、それとは別に帯が付属している。

 浴衣のほかには、その下に着るのであろう肌着も入っていた。こっちは二着とも同色で、真っ白だ。


「それに本格的な奴じゃなくて、簡易的な奴だから」


 エリナが服を脱ぎだす。私はあわてて目をそらした。さっきまで水着を見ていたのに、変な話だ。

 それはきっと、水着か下着かの違いだろう。なんというか、水着に比べて下着は見るのに罪悪感を感じるのだ。


「澪おねーさんはどっちの色がいい?」


 私の罪悪感を知らないエリナは、無邪気にそう訊いてくる。私は視界にエリナを入れないように――そしてそれは無理難題である――しながら、浴衣の色を再確認する。

 ピンクは恥ずかしい。そんなプリティな色の浴衣を着るような歳でもないし――。


「じゃあ、青色のにするわ」

「わかった。じゃあわたしがピンクだね」


 エリナがピンクの浴衣を手に取って、下着の上から肌着を着ていく。


「着れるの?」

「下調べはしたから、多分大丈夫だよ」


 浴衣に関してはそんなに詳しくないが、これは本当に簡単に着れる浴衣みたいだ。下半身に着る方を丁寧に着けていく。私も服を脱いでからそれに倣うことにした。


「……ん、意外と難しいわね」


 着ようとするとわかるけれど、浴衣というのは着るのが難しい。簡易的なものでも、ちゃんと位置を合わせたりしないといけないから。


「だね――っと、こうかな」


 エリナの方が先に着替え始めていた分、先行して下を着終える。私が終えるまで待ってから、上の浴衣を羽織った。


「まぁ、超本格的って感じではないぶん見栄えはしないけどね。ちなみに、左側が上だよ」


 エリナの仕草を見ながら、浴衣を着ていく。左側が上に来るように着たら、


「これでよし、と。最後に帯を結んだら――」


 手間取りながら、エリナが帯を結び終える。


「どうかな、澪おねーさん」


 少し恥ずかしそうに、エリナがその場で一回転する。それを見て、私はしばし手を止めてしまった。

 ピンク色というのは、服としてみると結構主張する色だ。それは浴衣とて例外ではない。

 だから、その色を着こなすのは大変だ。その服に合わせた所作や、何より本人の持つ見た目が大事だから。

 それで言えば、エリナの浴衣は完ぺきだった。主張するピンク色は、しかしエリナの可愛らしさにマッチしていた。私ではこうはいかないだろう。

 まぁ、エリナは何を着ても似合うと思うのだけど。

 とにもかくにも、エリナにピンク色の浴衣は極めてマッチしていると言えた。


「かわいい。すごくかわいいわ」


 このエリナには触れたくない。可愛らしいお人形を愛でるように、ただ眺めていたかった。


「そっか、よかった」


 エリナは照れながらそう言って、


「澪おねーさんも早く着てみせてよ」


 言われて、私はあわてて帯を締める。

 私はといえば、ちゃんと着こなせている自信がなかった。エリナのように、似合っているとは思えなかった。

 けれども、それは私の主観での話。


「どう、かな」


 私はエリナにそう問いかける。

 結局大事なのは、エリナにどう見られるのかなのだ。


「澪おねーさん美人だから、浴衣も似合うね」


 その言葉が、たとえお世辞だとしてもうれしい。


「じゃ、行こ。もうお祭り始まってるよ」


 エリナが私の手を取る。まるでエスコートするよと言わんばかりに。

 なら、私はそれに乗っかろう。そう思ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る