第161話 海遊び
海辺にある更衣室は、極めて簡素なものだった。プレハブ小屋に、カーテンで仕切りを作っただけ。
奥の方にはシャワールームもあるけれど、おそらくはそこも良い作りでは無いだろう。
「澪おねーさん、着替えられた?」
エリナがカーテン越しにそう訊いてくる。私はといえば、少しばかり水着をつけるのに苦戦していた。
「ごめん、もうちょっと待って」
なんとか後ろに手を回し、紐を結ぶ。体が少し硬いのは要改善といった所か。
なんにせよ、これで問題無しだ。最後にビーチサンダルを履いて、
「お待たせ」
カーテンを開ける。エリナは通行の邪魔にならない場所で待っていた。
それを見た瞬間、私の世界は固定される。
つま先から、頭の先まで。その全てを私はじっくりと見つめた。
色は白。白百合のようなビキニ。それがエリナの清楚な雰囲気を際立たせる。
エリナの柔肌に食い込む水着の紐。程よく痩せた体つきは、しかしガリガリでは無い。
スラリと伸びる四肢。しなやかなそれは、あまりにも柔らかそう。だけどそれは、贅肉の柔らかさでは断じてない。
白い生足には、水色のビーチサンダルを。そのサンダルになりたい、エリナの足の指で挟まれたい。
傷一つ存在しない体表は、まるでミロのヴィーナス。見たことないけど、ミロのヴィーナスを。
額にはゴーグル。海の中で目を保護するためだろう。私も着けている。
そして何より目を惹くのは、そのたわわに実ったおっ──やま。そう、二つのお山である。
水着に包まれたそれは、しかしながらそれに収まり切るものではなかった。
すごく柔らかそう。それに手を触れて、顔を埋めて、可能な限りそれを堪能し尽くしたい。
「どう、かな」
上目遣いで、エリナがそう訊いてくる。少しばかり不安げなのが余計にそそる。
「凄くいい……その、何と言えばいいか……つまり、凄くいい」
「何それ、日本語になってないよ」
エリナが破顔する。あぁ、そんな何気ない動作一つにも愛嬌がある。
「澪おねーさんも、似合っているよ」
「ありがとう……照れるわね」
今日の私は、ベージュの水着を着ている。ビキニタイプで、花柄だ。
私の事はどうでもいいのだ。大事なのはエリナである。
「さ、行こ!」
いつものように手を取るエリナ。だけど、いつもと違って彼女は水着姿だ。
ゴクリ、と喉を鳴らす。触れる事ができる距離に、服に遮られずに、エリナの体がそこにある。
それは、ただの劣情。それを抑え込むために、
「エスコートするわ」
大人な自分を演出してみせる。そうする事で、自分の余裕を見せようとしている。
出来ているかどうかは……まぁ、無理だろうなとは思っている。
だって、心臓がうるさいから。
だって、手が震えているから。
それでも、この手を引くのは私でありたかった。
「……ありがとう、澪おねーさん」
エリナは一瞬目をぱちくりとさせた後でそう言ってくれたのだった。
「ぴゃっ、冷たい」
水際では、ベージュの砂と水に濡れてグレーになった砂が、絶妙なコントラストを作っていた。踏み心地も、これがまるっきり違う。
ビーチサンダルを濡らす海水は、確かに冷たい。だからこそ、この暑い世界においてオアシスみたいだった。
「でも、気持ちいいわ」
「だね。暑いから、こういうのが助かるなぁ」
「そうね。風もないから、ちょうどいい気温だわ」
エリナの手を引いて、海の中に入っていく。浮き輪はまだちょっとお休みだ。
少しずつ、体が深いところに入っていく。暑いから冷たいへの変化が心地よかった。
波はそんなにない。空は快晴で、何より私は今、エリナと手を繋いで海に入ろうとしている。シチュエーション的には文句のつけどころがない。
「おぉ、すごい。なんか水の感覚がプールと違う」
確かに、同じ水でもお風呂の水とは違う感じがした。具体的には、サラサラしていないというか、ちょっと体にまとわりつく感じ。
「それに、水の中で砂を踏んでるって変な感じがする」
「確かにね。ちょっと歩きにくいわ」
ビーチサンダルである事もあり、確かに歩くのに支障があった。
それでも、そんな事は気にならない。エリナが居るのなら、意識はそっちに向けるべきだし、注意しなくてもそうなる。
肩まで海に入る。そこまで来る頃には、浜辺は遠くにあるような感じがした。
人でごった返す浜辺とは違い、海はそんなに人がいない。というか、人が広範囲に分散しているのだ。
「うわっ、しょっぱい」
小さな波でも、肩まで使っていたら口に掛かる。エリナの口に海水が入ったのだろう。彼女は顔をしかめた。
「海だもの、しょっぱいに決まってるわ」
「それはそうだけど。まぁ、でもそうだね。それも海の醍醐味かな」
私はそれに頷きで返した。
海で遊ぶのなら、海水が口に入る事もあるだろう。
「それはそうとして、ちょっと潜ってみるね」
私は名残惜しさを感じながら、エリナの手を離す。エリナはゴーグルで目を覆ってから膝をかがめ、海の中に入っていった。
ふと、エリナの髪が海水に浮かんでいることに気がついた。
いつもは艶やかな髪も、海水に浸かってしまえば別のものになる。でもそれは、
「ぷはぁ」
独特の色気を持つ。濡れた髪というのは色っぽいのだ。
「気持ちいい……どうかした?」
私は髪の濡れたエリナに見惚れていた。凄く色っぽくて、率直に言えばエッチだった。
とくに、髪が顔に引っ付いているところとか凄くエッチだ、とそう思った。
「何でもないわ。何が見えたの?」
それを表面には出さず、私はそう問いかける。
「人と、砂。それから澪おねーさん」
「何それ」
私はその返事に笑う。うまく笑えているだろうか。エリナに劣情を悟られていないだろうか。それが気がかりだった。
「澪おねーさんは潜らないの?」
「私は泳げないから」
「そっか」
そんな会話をしながら、私の意識は彼女の髪に夢中だった。
「……えい!」
顔に海水がかかる。エリナが私の顔に水をかけたのだ。
「ちょっ、何を──」
「笑顔笑顔。澪おねーさん、真剣にわたしを見つめるんだから、笑顔じゃなくなってるよ」
むにーっと、私の頬が引っ張られた。
「そうね、いけない。あまりにエリナちゃんが魅力的だから、ついつい真剣に見つめてしまったわ」
にっこり笑顔を意識する。それを見てエリナが満足そうに笑顔を浮かべ、私はそこに──。
「えい」
小さく海水を掛けたのだった。
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