第156話 旅行前日

 金曜日、夕食後。明日はいよいよ旅行に行く日だ。

 自室にて、私は着替えをスーツケースにに入れていく。予備も含めて三セット、それとエリナにアピールするための水着一着。水着は特に丁寧に入れていった。

 それから、化粧品を入れたケース。エリナにおすすめされた化粧品が入っている。化粧をした方がいいと言われた時から、積極的にではないけれど化粧をするときもあった。

 で、エリナとデート――もとい旅行なんて化粧しないわけにはいかず。だから持っていく。不安もあるけど、インターネットで海で落ちないような化粧の仕方も学んだし、大丈夫だと思う。

 後はモバイルバッテリーとか、そう言った小物もスーツケースに入れた。

 

「澪おねーさん、準備できた?」


 壁を隔てた、エリナの自室から声が聞こえた。


「できたわよ」


 荷物の中身を一つ一つ確認して、問題が無い事を認める。最後にスーツケースを閉めて、これで終わりだ。

 もう一つの荷物――手提げバッグには、レジャーシートやビーチサンダルを入れてある。

 いろいろ考えた結果、この手提げバッグを今回の旅行のために用意した。砂が付着するであろう物だけを纏めて入れることにしていた。


「そっちは?」

「まだ少しかかるかな。思った以上に荷物が多くて」

「そんなに何を持っていくの?」

「秘密。今はね」


 エリナは何かを隠している。それが何かは知らないけれど、いずれは話してくれると思う。今は秘密、という事だから。

 それに秘密なら私にもあるし。

 常用しているカバンを開く。そこには、今回の旅行のために奮発して買ったあるものが入っていた。

 それを見て、私は少し笑う。これを使うのが楽しみだ、と私は思ったのだった。


「っと、何とか入った。こっちも準備終わったよ」


 私はカバンを閉める。それから、壁に背を付けた。


「楽しみね、旅行」

「うん、楽しみ」


 私の言葉に、エリナが返事をしてくれた。いつものように、平静な声で。

 特別な行事ではあるのだろう。だけど、そこにドキドキという感情を持ち込むことはない。

 どうしたら、そこにドキドキという感情を持ってくれるのか。どうすれば、エリナに私に対する恋心を抱かせられるのか。

 その試行錯誤をするのが、恋愛というものなのだろう。


「じゃ、明日も早いしそろそろ寝るね」


 エリナがベッドに入る音が僅かに聞こえてきた。


「えぇ、おやすみ」


 そう言って、私もベッドに入ったのだった。




「澪おねーさん、まだ起きてる?」


 というエリナの声で私は目を覚ました。外はまだ暗く、街は寝静まっている。


「起きてるわよ」

「入ってもいい?」

「いいわよ。どうしたの?」


 扉が開けられ、エリナが入ってくる音がした。私は上体を起こして、彼女を出迎える。

 部屋が暗いため、表情がよく見えない。


「眠れなくて。一緒に寝てもいい?」

「いいけど……なにか不安でも?」

「そういうわけじゃないんだけどね……」


 エリナが私のベッドに入ってくる。何度経験しても、それはわたしにとって緊張する出来事だった。

 動揺を悟られないように、極めて平静に。


「旅行に行くのって久しぶりだから、ワクワクしてさ。どんな場所で、どんなことをするんだろうって思ったら、興奮しちゃって眠れないの」


 その言葉が私を安心させるための嘘ではない事は、彼女の声色からわかった。本当に彼女は、この旅行を心の底から楽しみにしている。

 彼女が眠れないのは、彼女が言った通りに興奮しているから。


「そうなの。私も、楽しみで眠れないわ」


 それは嘘だ。楽しみだからこそ、私は眠る。その楽しみを十全に満喫するために。


「人間、リラックスするのには一定の周期で鳴る音を聞くといいって」


 という口実を作り、私はエリナを抱き寄せる。頭が丁度私の胸の所に来るように調整し、


「だから、私の鼓動を聞いて」


 優しくそう言った。

 エリナは私が抱き寄せたことに抵抗することなく、静かに私の鼓動を聞いていた。


「どう、少しはリラックスできた?」

「ふふ、少し鼓動が早いよ」


 エリナの答えは、私の問いかけの答えにはなっていないような気がした。なんというか、ぽわぽわした答えっていうような感じだ。

 眠いのか、それは当たり前だ。眠れなくても、頭は睡眠を欲するのだから。


「でも、ありがとう」

「どういたしまして」


 心臓が早いのは、エリナが傍に居るから。エリナと同じベッドに居るから。

 そんな事は言葉にはせず、私はただ耐える。エリナがゆっくりと眠れるように。


「澪おねーさんも、楽しみにしてくれてるの?」

「もちろんよ、楽しみにしてるわ」


 エリナとの旅行だ。これこの上なく楽しみである。そんな事は当たり前の事。


「でも、同時に怖いの。旅行って初めてだから、どんなトラブルが起きるかわかんないし」

「それはそうかもしれないけど、大丈夫だよ。わたし達なら」


 エリナの言葉はすごく頼もしい。何を根拠にそう言っているのかはわからないけれど、なんとなくそれが本当であるという気にさせられる。


「そうね、大丈夫」


 だから、大丈夫。どんなトラブルがあっても、私達なら乗り越えられる。

 まぁ今回はただの旅行だし、そんな大きなトラブルはないだろうけれど。

 気が付けば、エリナは寝息を立て始めていた。

 私はそんなエリナの頭を優しく撫でる。サラサラの髪が心地よかった。


「おやすみ、エリナちゃん」


 私も目を閉じ、眠りの中に入っていく。明日と明後日、二日間の非日常に思いを馳せながら――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る