第119話 ミカエル

「おはようございます!」


 と、わたしは大声であいさつしながら東堂組の事務所に入る。

 すると今日はいつもより慌ただしいような気がした。


「お、毎日熱心だなエリナちゃん」


 顔なじみになった組員が、わたしに気が付いてそう言った。彼もまた、どこかに行こうとしていたみたいだ。


「おはようございます。今日はなんか騒々しいですね」

「うん。エリナちゃんにも関係のある話なんだけど、来客でね。君を探している外人が居る」

「わたしを?」

「そう。それで、まぁ急遽警備体制を整えているってわけ」


 彼は何やら不思議な事を言う。警備って、誰が誰を守るというのだろう。


「ピンと来てないな。ほら、天城家の件で君、だいぶ嗅ぎまわっていただろ。で、このタイミングで外人が君に用事となると――殺し屋とかさ」


 殺し屋、という単語の意味が上手く呑み込めない。自分の中でその言葉を整理して、それからさぁっと血の気が引いていくのを感じた。


「殺し屋って、わたしにですか?」

「まぁ、可能性はゼロじゃないよねっていう事でさ。あぁ、丁度いいや。エリナちゃんついて来て」


 殺し屋、わたしに? と半信半疑のまま彼についていった。

 案内されたのは、わたしが最初にここを訪れた時にも通された応接室だった。そこの入口で、東堂組の組員が数人、わたしを待っていた。


「心の準備はいいかい?」


 と訊かれるけれど、殺し屋とか実感が湧かなさ過ぎて、心の準備をどうすればいいのかがわからない。

 けど、せっかく待たせたのにこれ以上待たせるのもな、と思って頷いた。


「失礼する」


 と、一人の組員が先に部屋に入った。後ろに居る組員が、


「行って」


 と小声でわたしに支持を出し、それに従って部屋に入る。


「お探しの人物です。松本エリナ、相違ありませんか?」


 最初に部屋に入った組員が、わたしを紹介した。

 わたしは部屋の中を視認する。そこに居たのは、なるほど確かに外人だった。少しいびつな正座をしている。


「エリナ・マツモト……」


 その外人は、少しこちらを見てから、


「ミオ・アマギという人物を知っていますか?」


 わたしに問い掛けた。

 天城澪、その名を聞いた瞬間、わたしの眼が見開かれるのがわかった。わたしは無意識に一歩前へと進み、


「澪おねーさんを知っているんですか⁉」


 そう問い掛け返していた。その返事に満足したのか、外人は組員に、


「間違いありません。ぼくの探しているミス・エリナです」

「そうですか。エリナ、そちらに座りなさい」


 わたしは指示されたとおり、対面の座布団に座った。わたしの後ろに組員が立ち、わたしの護衛を務めようとしている。


「あっと、申し遅れました。ぼくはミカエル。アメリカのマフィア、ニューヨーカーズの構成員で、ミス・ミオの婚約者です」


 外人――ミカエルの自己紹介を、自分の中で咀嚼する。彼は澪おねーさんの名前を出し、その婚約者だと名乗った。

 つまり、敵か。わたしの中で、彼から澪おねーさんを引き離さないとという感情が生まれた。だけど、じゃあどうすればいい、と考える。


「そんなに睨まないでくだサイ。今日は、ミス・エリナにお願いがあって、トウドウの力をお借りしたのデス」

「お願い、ですか」

「はい。端的に申し上げますと、ぼくとミス・ミオの結婚を破綻させる手伝いをしてほしいのデス」


 と、彼と澪おねーさんを引きはがす方法を考えるわたしに、なかなか信じがたい提案が飛び込んできた。

 彼は――敵ではない? その感情がわたしの中に渦巻いていく。だけど、信じていいのか。


「ぼくとミス・ミオが結婚したら、多くの血が流れマス。それは避けたい事態ですし、何よりもぼくには他に好きな人がいるのデス」


 彼の目線はまっすぐわたしを見据えて離さない。彼がどれほど真剣かという事が伝わってきた。

 まだ、信じる事は出来ない。だけど、


「なるほど、お話はわかりました。でも、わたしがそれに協力するメリットはなんですか?」


 もちろん最大のメリット、澪おねーさんを助けるというメリットがある。けど、それは置いておき、彼の様子を伺うためにそう問い掛けた。


「メリット、ですか。端的に言えばありまセン。なにかしらの報酬をぼくから差し上げることもできまセン。けど、お願いしたい」


 ミカエルはそう言って頭を下げる。

 報酬はない、と彼は断言した。報酬を偽ろうとしないあたり、誠実な人なのだろう。


「ミス・ミオは君に会いたがっていマス。ぼくの母のせいで、彼女は今不幸な目に合っています。だけどそれは嫌だ。ぼくはニューヨーカーズの一員として、ボスである母の暴走を止めて、ミス・ミオを解放してあげたい。そのために、君の力が必要なんです!」


 なんてまっすぐな言葉。その言葉は、きっと信じるに値する言葉だと、そう思ったのだった。


「……何をすれば、力になれますか?」

「力を貸してくれるんですカ! ありがとうございます!」


 正直、マフィアだとかなんとか言われても、わたしには実感が湧かない。だけど、ここに来て初めて、わたしは本当に澪おねーさんを助けようとする人に出会ったような、そんな気がした。

 だから、まぁ。彼を信じてみようという気になったのだった。




 その日の夜、わたしは龍さんと同じ車に乗って、天城家の事務所に向かった。

 目的は天城澪の奪還と、天城家の追放。

 ミカエルがもたらした情報が決め手となり、東堂組がついに動き出したのだ。

 そして、わたしもそれに参加する。わたしにも役割があるのだから、参加しないわけにはいかない。

 待っていて、澪おねーさん。必ず助けるから――。

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